小鳥が地面をちょんちょんと飛び跳ねる様子を眺めながら、ユリは大量の芋の皮むきと格闘していた。
日本にいたころは、ユリが有里として生活していた頃は、こんな風に包丁を握る機会もあまりなかった。全ては彼女の母がやってくれていたし、そもそも気まぐれと家庭科の授業以外で、調理することなどありはしなかった。
生活が変われば変わるものだよな、と、ユリはすっかりとこの世界へ飲み込まれ、慣れきってしまった自らの手を一瞥しながら作業を続ける。
スリリルは、ユリの嫌味の言葉を受け止め、しっかりとその条件どおりの場所へと彼女を送り届けてくれた。
彼女がいてもさほど目立たない程度の土地。
その言葉どおりに、ユリは全く人通りがない街道へと飛ばされ、食うや食わずの路上生活を強いられる羽目となった。
確かに人がいなければ、目立つこともないよな、と、意識を失いかけた彼女だが、持ち前の運のよさなのか、悪さなのか、飛ばされてから一週間後に混濁した彼女を救ったのは、ちょうどその街道を通り、隣の町へと移動しようとしていた旅芸人の一座であった。
団長とその家族を中心とした一座に迎え入れられたユリは、その代わりに、彼らの食生活を一手に引き受けることとなった。
ただ飯ぐらいをすることに罪悪感しか覚えない彼女にとっては願ってもない条件であり、あまりの一座の人間の腕の悪さに、そろそろ専用の賄い人が欲しいと思っていた一座にとっても、もっけの幸い、とも言える出会いであった。
「ユリちゃん、手伝おうかい?」
顔がいい、というだけで入れられたとしか思えない劇団員の一人が近寄る。
そろそろ次の公演地が近づき、このあたりで一度、次回の演目や、宿泊場所、町への交渉などの打ち合わせをすべく、少し手前で早い宿泊をとることとした。当然、一座の人間は、団長を囲みながら打ち合わせをしているはずであり、唯一人、まったく壇上とは関係のないユリと、小さな子供たちだけがこうやって夕食の準備をしている。
そんな中、にやけた顔をぶらさげながら、近寄ってくる男に、ユリがいい顔をするはずはない。
「間に合ってます」
小さな手で、ユリに芋を洗って手渡ししてくれる子供はかわいい。
だが、下心しかもっていない男はかわいいとは思わない。
ユリはそちらの方へチラリとも視線を向けずに作業を続ける。
どうせその先はお決まりの騒ぎが起きるだけだし、と、ユリが心の中で呟いていると、案の定、その騒ぎの元が大げさに足を踏み鳴らしながらやってきた。
「ちょっと、なにやってんのよ!」
チっと小さく舌打ちをして、男が大げさな仕草で天を仰ぐ。
見たくもないが、視界に入る鬱陶しい三文芝居に、思わず芋の形が残らなくなりそうになり、慌てて心を静める。
「またきたね」
「またきたねぇ」
となりでかわいく微笑む子供、ニアですら、この茶番劇にはため息をついてしまうほど見慣れている。
「あんたも、人の男にちょっかいださないでちょうだい」
「いやいやいや、出してないし」
理不尽にも怒鳴られたユリは、やはりお決まりの言葉を返す。
腰を極限まで絞り、腰周りはたっぷりと布をつかった衣装を着た彼女は、この一座ではそこそこ人気のある女優の一人、らしい。その彼女は、ユリのところへのこのこ現れた優男にあからさまな恋心を抱いており、今まではこの男もまんざらではなかった、そうだ。
そう、ユリがくるまでは。
この優男、見掛けはいい上に、甘い言葉を何のてらいもなく吐けることから、割と年頃の女性に受けがよく、その意味でもこの一座においている意味がある、とは団長の言葉だ。
そうでなければ、演技も芸もまかないもできないこの男が、この一座に存在する理由がない。
だが、適度に女にだらしがなく、適度に意気地なしなこの男は、今こうやってユリが巻き込まれているいざこざのように、女関係での問題が途切れることなく続いており、これもまた、一座の悩みの種でもあった。
高圧的な鼻息を残しながら、優男はまさしく首根っこをひっ捕まえられながら、連れて行かれた。
一連の騒動をうんざりしながら目の端に入れていたユリは、ようやく下ごしらえが終了した食材を大鍋にいれ、掛け声とともに調理場へと移動する。
「ニア、こっちおいで」
ちょこまかと足元にまとわりつく彼女に注意しながら、ユリが簡易に据えつけられたかまどの近くまでたどり着く。
移動が基本、とも言える旅芸人一座においては、このようなこのような設備を移動させ、設置し、また撤去することなど造作もないことであり、今回もまた、瞬く間に出来上がった簡易かまどにてユリは簡素だが、栄養のある食事を作ることができる。
「結構楽しいかも」
最初はスリリルを恨みに恨んだユリではあったが、慣れてしまえば馬車の移動も、宿泊も、空の下の食事もなにもかもが目新しくも楽しい。
風呂に入れないのが日本人としては辛いところではあるが、気候のせいか、それほど辛くもないのが本音だ。ただ、今現時点で現代日本に飛ばされれば、きっと周囲の人間が数メートルは離れてしまうだろうけれど。
「おいしい」
ただ野菜を干し肉でとっただしで煮ただけの汁に感嘆の言葉がもれる。
それは大仰なものではなく、介抱されていた間にユリが食していた食事内容から容易に想像ができる。心の底からこの質素な食事に彼らが喜んでいるのだと。
「でもユリちゃん、いいのかい?このまま私たちと一緒にいて」
団長の奥さんが、ユリの隣で話しかける。
ユリの今回の設定は、夜盗に襲われ、誘拐された主人をもつ女中、といったものだ。
隣町に行くため、あの街道を馬車で進んでいた一行は、卑劣な誘拐団に狙われ、馬車もろとも奪われてしまう。偶然にも、岩陰に隠れることができた彼女は、殺されることも、拉致されることもなく放置され、散々歩いた後、あの場で行き倒れた、と。もちろんでっち上げだが。
「そりゃあ、私はその方が嬉しいけど」
一心不乱に食事をむさぼっていた団長が無言で頷く。
「ご迷惑でなければ」
しおらしく、ユリが彼らに顔を向ける。
「や、や、や、そんな迷惑なんてことは、なあ、いや、ちゃんとした仕事もできそうだなって思って」
「……いえ、もうあんな思いは」
さも恐ろしい目に遭いました、という風情でまつげを伏せる。
「いやいやいや、ごめん、いくらでもいていいから」
からっぽの皿を次々とユリの方へと差し出す団員たちは、それが肯定の言葉となる、ということなのだろう。
とりあえず嫌がれていないことは承知しているユリは、にっこりと笑顔をむけながら、団員たちに食事を配る。
もちろん、ユリにも考えがあってのことだ。
ここにいる限り給金は支給されない。
衣食住と相殺されているからだ。
だが、この一座にとりついているかぎりは、常に移動することになる。
それがあの連中の魔術にどれだけ抵抗できるのかはわからないが、恐らく一つところに留まるよりは、可能性があるだろう。
それに、ここにいれば、さほど密な人間関係を築かずに済む、というのも利点だ。それは、一座の人間が常に働いている側の人間であり、ユリと食事時間以外にそれほど交流をもてない、といったことが要因であり、そのせいか彼女は今までで一番気楽だと、感じ始めている。
親しくなっては別れ、また親しくなる。
その繰り返しは、いくら能天気なユリだとて、心に傷をつけてまわる出来事だということなのかもしれない。
焚き火が小さく燃えている中、次々と団員たちは眠りにつく。
ユリはここのところなついてくれているニアと、ともに就寝につくことが多い。
それはもちろん、あの、優男対策にもなっているのだが、ここでもやはり、それなりに別れて辛い人間を作ってしまっている自分に、少しだけ後悔している。