人生をあきらめたわけじゃない/第3話

「おい、なんだこの花の」
「はいはいはい、お直ししますので、おどきになってください」

どこが悪いのかさっぱりわからない程ささやかに花の位置を直し、主人に笑顔を向ける。

「なんだこの」
「申し訳ありません、すぐお直ししますので」

少しも悪いとは思っていない風情で、主人が言わんとすることを汲み取り、さっさと手直しをする。その前と後に、どれほどの違いがあるのかは誰の目にもわからない。

「さっきもやりとりしていたみたいだけど、ユリちゃん、強いねぇ」

箒を片手に、庭掃除にせいを出していたら、籠に芋を山ほど入れて運んでいる婦人と視線があった。すばやく箒を庭の片隅に置き、籠を自らの手へと受け取る。

「そうですか?でもあれって本気じゃないし」
「まあねぇ、ぼっちゃまもいいかげん大人になってくださらないと」

その呼び方がすでに子供扱いをしているのだが、あのなりでは彼女たちがそう扱うのも無理はないだろう。
なにせ、言うことなすこと全てが子供すぎるのだ。
いくら失恋をこじらせたからといって、これは恐らく彼本来の性質によるものだろう。有里にとっては扱いやすいややこしさなので、これといって不都合はないが。

「でも、ユリちゃんが来てから、大分生活がまともになって」

夜起きて朝寝る、などといった生活が当たり前だった主は、そんなことはお構いなしに普通の生活習慣を心がけている有里につっかかるために、どういうわけか、彼女の習慣に合わせて、つまり、普通の生活へ戻ってきてしまっている。
ただそのためだけにそんなことをするのは途方もない阿呆だと、有里は判断しているが、やはり朝起きて夜眠る生活をしている執事夫婦にとっても都合がいいため、それについてはとやかく言うことはしないでいる。
まあ、主の世話、というものが女中である有里の第一義の仕事なのだから、それがあたりまえのようにふってきただけだ、とも言える。

「それに、とても元気におなりになって」
「最初っから元気だったような気もしますけどねぇ」

第一印象は、やはりあまりよくないものであった。
さすがにあれだけ斡旋所の中年男に脅されただけはあり、多少は覚悟をしていたのだ。
どれほど厄介な仕事をさせられるのだろう、と。
だが、実際主の第一声は、「誰だこの醜い女」であり、その程度なら、鼻先にもひっかけることなく彼女の耳を素通りさせることができた。
あらん限りの罵詈雑言を叫んでいるようで、そのどれもが幼稚であり、彼女をへこませるに至る程の言葉を、ついぞ主は吐きだすことができなかった。
そこから先は、現在に至るまで、細かいこと、いや、むしろ何もないところに些細な文句をでっち上げては、有里にしつこく説教をすることが続いている。それすらも肝心の彼女が無視をするものだから、多少言葉が過ぎる、と、婦人にしかられては逆に主のほうがへこんでいる。

「あの程度で次々やめていったっていうのも、女中として根性がないような」
「まあ、ねぇ、最初はお嬢様ばかりだったから」

金持ちだったせいなのか、一応低いとはいえ貴族階級だったからなのか、ここの家の女中たちは、世間から見れば割と毛並みの良い女性たちばかりだったらしい。当然中心はこの婦人であり、昔はそれはそれは華やかにこの屋敷を切り盛りしていた、そうだ。
或る一定の年月が過ぎ、少女たちは行儀見習いのようなものを終え、嫁入りしていく。有里が行なっているような本当のはした仕事などは、近所の農家の女性たちが都合をつけては、行なっていたらしい。
そこへきてここの主の変調だ。
生活がある意味乱れ、ささいなことで癇癪を起こし、その理由がわからない。
行儀見習いに入った良家の子女たちはさっさとやめていき、残された下女たちは、主の外見が不気味になっていくにつれ、一人やめ二人やめ、していったようだ。しかも、不気味な噂話を撒き散らしながら。
いわく、ここの主人は少女偏愛者であり、とある美少女がこの屋敷に足を踏み入れてから、その姿を見たものはない、とか。
魔術の類を行なっており、綺麗な女はその生贄にされてしまう、だの、だ。
恐らくここの家が、経済的に恵まれていることのやっかみが、こういう状態に陥ったときに、一気に噴出したのだろう。
さんざん噂や、不気味な情報を耳に入れられた労働者たちは、びくびくしながらここへやってきては、本当にささいなことで簡単にやめていったそうだ。例えば、夜中に、いきなり起き出してなにやらわめいている主の姿を見てしまったとき、といったように。
その点、有里は何の情報も入れられていない。
まあ、斡旋者のためいきは聞いたものの、その理由については極力聞き出さない方向できたのが幸いしたのかもしれない。
入れていたところで、ここを選んでいたことは間違いないのだから、そういう余計な労力は裂かないのが有里のいいところだ。

「私は助かりました、ほんっとーーーーーーーーーーーに、ここ待遇いいですから」

本来なら下女の下女として、主と直接口を聞くことなどかなわない立場にでもかかわらず、慇懃無礼に振舞っても決してとがめられることなく、給金が弾まれて、雨風が避けられて、居心地のいい寝具で寝ることができるこの職場は、理想の職場の一つである。

「お前、いったい何者だ?」

突然、婦人と有里との会話に割って入ってきた主が、当たり前の質問を口にする。
ここの屋敷の二人は、人が良すぎる。
いくら人が次々とやめていくといっても、本当に正体不明の彼女をあっさりと雇ってしまえるだなんて。
だから、ここにきてようやく、まっとうな質問がなされた、と、有里はささいなところで感動している。

「何者、と言われましても、まあ、見ての通り普通の少女ですけど?」

姿かたちは、どこもおかしなところはない。
この国の人間か、と、言われれば、どう考えても顔かたちはそうではないが、両親のどちらかが外国人です、と、言えばあっさり通ってしまう程度の差異ではある。

「普通か?おまえのその年でそれほど図々しい神経を持った女はみたことない」
「そういわれましても、別に普通に生きて、普通に暮らしてますが」

ある一点をのぞいて、とても普通ではないが、それは彼女自身にとっては不可抗力の災難のようなものなので、彼女の意識としては普通に生きている、の範疇に入ってはいる。

「親は?」
「……いませんけど」

ここの世界には、と心の中でつけくわえる。

「兄弟は?」
「いませんが?」

やはり、ここには、と、そっと繰り返す。

「親戚は?」
「はあ、いませんけど」

心の中で、しつこくこっそりと繰り返す。

「孤児院育ちか?」
「いえ、そういうわけでは」

それはそうだろう、両親に兄弟に、トモダチもたくさんいた世界で暮らしていたのだから。

「どうやって生活していた?」
「いや、まあ、普通に」

天涯孤独で普通に暮らしていた、などと割と矛盾する会話をさらりと口にする。
彼女の中では、一応旅芸人の一家で、ある日嵐とともに両親や団員たちとともにはぐれてしまった、という作り話と、はやり病でやはり両親が早世したうえに、村自体が立ち入り禁止となって流浪に出ざるを得なかった、という作り話を交互に話して、世間の納得を得てはいるので、彼女の中ではこの会話はそれなりの整合性を保ってはいる。
だが、受け手側がどういう風にそれをとったのかは知らないが、婦人などは涙ぐみ、詰問していた主もいつのまにか言葉につまっていた。

「いえ、ここは雨も降らないし、おなかもすかないし、風呂だって入れるし、ほんっとーーーーーに、良くしてもらって、感謝しているんですよ、これでも」

雰囲気に慌てて、取り繕うものの、さらに二人は有里の言葉に押し黙る。
その日を境に、主の性格が、少しだけ丸くなって、さらに普通の生活に近づいた。
婦人は、幸福を呼ぶ少女、として有里をさらにかわいがり、彼女は色々なことを学ぶことができた。
人生何がどう転んでどうなるかは、意外とわからないものなのかもしれない。

4.6.2009
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