「んーーーーー、それは何かの病気か何かじゃないのかい」
恐らく妄想か何かに取り付かれているのだろうと、一刀両断し、おかみは手を動かし始める。
「そうだったらいいんだけどねぇ」
少女もそれに習いながら自らの仕事を着々と進める。
「そういわれれば、ここいらでは見たことがないぐらい見事な金髪だったけど」
この小国では栗毛色からやや黒髪に近い髪色を持つものがほとんどであり、目の色にしても大地の色か、もしくは暗い灰色を有しているものが大多数を占めている。
王国へ近づくにつれ色素が徐々に薄れていき、王国の中心、首都ではほとんどの人間が明るい色の髪と瞳をもつ、と、伝え聞いている。
こんな田舎ではそれを実際に見たものはいないけれど。
ことに王族、ともなると、その血筋が代々受け継がれてきたことを証明するかのように、世継の王子は必ず金のような髪と、よく晴れた空のような瞳を持たなければならず、その容姿が最大にして絶対の王族たる証明である、と言われている。
確かに、不審な青年はこのあたりでは見かけない金色の髪を有していたことを思い出し、おかみが再び手を止める。
前掛けをはずしながら、少女に暖かい飲み物を手渡す。
ついでに、自らの器にも並々と酒を注ぎ、完全に少女の話を聞き入る体勢に入る。
「まあ、確かに、育ちはよさそうではあったけれど」
常日頃冗談など言うはずもない少女が言い出したことではあるけれど、それでもあまりにも現実離れした告白に、おかみがぐいっと酒を飲み干す。
「あの髪色はあいつらだけなんだって?」
「まあ、そう聞いてはいるけれど」
亭主の制止を鮮やかに交わしながら、二杯目の酒を注ぐ。
「そんなことはどうでもいいんだけど、あいつが王様でもこじきでも、私には関係ないし」
沸いてくる怒りを抑えながらも少女が、渡された器に口をつける。
残り物で作った汁物ではあるが、程よく出汁が効いた温かいそれが、彼女の喉を通っていく。
その瞬間、鍵を閉めていたはずの裏口の扉が開き、先ほどぼろ雑巾のように打ち捨てられた青年が現れた。
「……しつこいんだけど」
「おまえが私の子を生んでくれれば済む話だ」
亭主が投げた包丁が彼の見事な金髪の端っこを切り落とし、おかみのぶちまけた酒が、彼の唯一の美点を濡らしていく。
「あんた、嫌がっている女になんだい、その言い草は。それでなくとも情けない面相なのに、これ以上しつこく言い寄るとただじゃあおかないよ!」
威勢の良い啖呵が、しょぼくれた男に容赦なく降りかかる。
「ごめん、おかみさん。今までありがとう」
「どうしたんだい、突然。こんなやつはすぐにでも追い払うから」
「いや、でも、ごめんなさい。私ここにきてとても幸せだった」
「ユリ」
少女が節くれだった、だけれども暖かいおかみの手を両手で包み込み、感謝の言葉を述べるとすぐに、彼女の姿は、唐突に掻き消えてなくなってしまった。
残されたのは包丁を手にした亭主と、彼女の暖かさが残る両手を呆然と見詰めたままのおかみ、そうして、ため息をついた情けない青年、だけであった。
「やっぱり、またか」
「陛下、またしても逃げられましたか」
「……へ、へ、陛下?????」
少女が消えた衝撃とともに、彼らにはまた別の衝撃が加わる。
「騒がせたな、理由は話せないが、悪いようにはしない」
そういい残し、青年と、彼を陛下、と呼んだ怪しい男の姿もまた、少女がいなくなったように消えてしまった。
やはり、呆然とする飲み屋のおかみと亭主だけを残して。
「……いったいぜんたいなんだったんだい?」
それでもようやく正気を取り戻したおかみは、表戸を開け、少女の姿を探す。
街灯などないおもては、かろうじて月明かりでぼんやりと地面が見えるばかりで、延々と続く畑を見回しても、おかみは、彼女の姿を見つけ出すことができなかった。まんじりともせず夜明けを待った彼らは、当たり前のように彼女の寝室を覗くも、当然彼女の姿はなく、次の日になっても、そのまた次の日になっても少女は、彼らの元には戻らなかった。後には、突然看板娘がいなくなり寂しがる酔っ払いどもと、娘がいなくなってしまったかのような寂しさを抱えたおかみが、それでも気丈に商売をする姿があった。
なぜだか彼らの手元に現れた、見たこともないほど高額の金貨だけが、不思議な出来事が確かにあったのだと、夢ではなかったのだと、彼らに信じ続けさせる唯一の証拠として残された。生涯、彼らはそれを使うことはなかったのだけれど。
その頃唐突に姿を消された少女は、田舎国とは正反対位置に存在する、小国に存在していた。
その国は今まで彼女が生活してきた国とは異なり、機織やそれを加工する技術を唯一の財産とする国である。現在は王様に当たるものは存在せず、議会と議会が選んだ中心人物がこの国をまとめている。その中に商才に長けたものがいたせいなのか、ただ反物を売ってその対価を得ていただけだった国が、この数十年で、反物を仕立て、付加価値のついた対価を得られるようになっていった。そのせいなのか、急激に潤った小国は、活気に溢れ、そのような場所には当然、職を求めて様々な人間が集まるようになった。
身元不明の少女が、突然職を求めてさまよっていても、あまり目立たないほどに。
「また一からやりなおしかぁ」
ぼやきながら、彼女はかろうじて上着の裏側に縫い付けられた金貨の存在を確かめる。
ほぼ大陸の全てで使用することができるその金貨は、こういう町で使用するにはあまりにも高額で、世間知らずの貴族たちでもそういった場違いな行動は起こさないほどだ。
もっとも、彼らが現実に金子を手にして何かを買い求める、といったことはほとんどないのだろうが。
だからこそ、それを使うのは最後の最後、切羽詰ったときだと彼女は決めている。
町のあちこちに貼られた求人の張り紙を一つ一つ覗いていく。
どれもこれも針子の経験を有した女性を募集するもので、雑巾ぐらいしか縫ったことのない彼女はお呼びではないことがわかる。
だが、今日中にでも寝床を確保しなければならない彼女は、どれほど条件が悪かろうとも、最低でも住み込みで働ける職場を探さなくてはならない。
幸い、この町は景気が良さそうだ。
そう楽観的に判断しながら、少女は次々と張り紙を見てはためいきをつく。
ようやく、彼女が以前働いていたような飲み屋の下働きの仕事を探し当てたときには、すっかりと日は落ち、疲れた足を癒すまもなく、働かなければならなかった。