経験は役に立つ。
田舎の酔っ払いしか相手にしていなかった彼女も、土地柄が違うここでの客あしらいも見事にこなし、またたくまに雇い主と客の信頼を得ることができた。
「どこから来たの?」
雇い主の女性が彼女に訪ねる。
前のおかみとは異なり、彼女は完全に経営者として存在している。
当然少女と顔を合わせることも少なく、少女の生活がようやく慣れだしたころにその質問がなされた。
少女にしてみれば、最初に聞いてしかるべき質問なのだろうけれど、急激に活気付いたこの町では、雇う側の立場が弱いのかもしれない。
悪気はなく、当たり前の質問をされた少女は、さらりと、以前の国名を答える。
「それどこ?」
「まあ、歩いて三日ってところでしょうか」
「そんなに遠くから」
「はあ、まあ」
大陸の地図、といったものが市井にあまり出回っていないせいで、少女の真っ赤な嘘もあっけなく信じてもらえた。
交通手段が発達していないせいか、おそらく彼女がいた国の住人と、ここの住人が交わることは一生ないだろう。それほど二つの国は離れている。
王国に近づいたせいなのか、やや色素が薄い、といった特徴を持ち、だけれども、まだ彼女が存在してもそれほど悪目立ちするほどではない。
「せいぜい仕事がんばってちょうだい。空いた時間は何してもいいから、なんだったら何か学んだら?せっかくだし」
「いいんですか?じゃあ裁縫を習いたいんですが」
「それだったら、近くに仕立屋があるから、そこで手伝いをしながら習えばいい。あそこも人手不足で多少の時間は融通してもらえるから」
「お願いします、良かったぁ、私ついてるかも」
大げさに喜んだ少女にクスリと笑みを漏らし、経営者の女主人が帰っていった。
その日から少女は、昼間の空いた時間は仕立屋で、夕方から夜にかけては飲み屋で働く身となった。
「あんたさぁ、なんでそんなに働くわけ?」
初めてできた同年代の同僚、ともいえる下働きの少女に問われる。
名をキムといった彼女は、笑うとえくぼができる愛想の良い少女だ。
「そんなにって、そう?」
「そうよーー、だってここの仕事だけでもくたくたなのに」
「うーーん、おかげさまで体力だけはあるから」
「あんたの顔だったらもっと楽なところで楽して儲けられるんじゃない?」
割と整った顔の彼女は、確かにここよりも少し異なる接客技術を伴う店でならば、はるかに高額の賃金を得ることができるだろう。
「いやいやいやいや、男嫌いだし」
「そうかなぁ、あんたって客あしらいだって上手だし」
「まあ、それは慣れ、かな」
根本的なところでそういう商売には向いてない彼女は、激しく頭を振る。
話しながらも後片付けを着実に済ませている彼女たちは、ようやくきれいになった店内を見渡す。
「体壊さないようにね」
最後には背中を数度叩かれ、お互いの寝室へと向かう。
ようやく一人きりになった彼女は、そっと袋からいくつかの小物をとりだす。
口紅と、携帯電話と、学生証。
これらはどう考えてもこの国にも、その隣の国にも、いや、大陸中探してもこんなものを持ち合わせている人間はいない。
そう、彼女の本当の故郷は大陸中どこを探しても存在しない。
なぜなら、彼女は地球の、亜細亜にある、日本国出身なのだから。
普通の女子高校生だった彼女は、以前消えたときのように、唐突にこの世界へとつれて来られ、真っ先にあの金髪と出会う羽目に陥った。
わけがわからず、それでも自分の身が危険にさらされていることがわかった彼女は、彼らに、この世界と仕組みについて説明させるだけ説明をさせて、とっとと遁走したのだ、彼らの前から。ちゃっかりと、それなりの金貨と衣服を着服しながら。
当然それらの逃亡劇には、協力者が必要で、何の力もない彼女が一人でそれをやってのけたわけではない。
その協力者の名前はリイル=スリリル。
フィムディア王国の王宮魔術師にして、現陛下の幼馴染。
他の追随を許さない魔術で、彼女はあっという間に他の国へと飛ばされ、たくましくもその国で仕事を見つけ、なんとか生活を送ってきたのだ。
そんな生活は金髪青年がやってきたと同時に崩壊し、彼女は最初と同じようにして他国へ飛ばされる、を繰り返すこととなった。
その金髪青年の正体は、正真正銘のフィムディア王国の王様であり、名はジクロウ=フィムディア。
なぜだか幼馴染であるはずのスリリルに呪いをかけられ、それを解決するべく、一人の少女を異世界から呼び寄せた張本人。
そう、ジクロウは、スリリルから、この大陸のどの女との間にも子供を設けられない呪いがかけられたのだ、どういうわけだか。
王国は血統主義であり、とうぜん彼にも世継の子供が必要である。容貌がたいしたことはなくとも、当然それなりの国からそれなりの姫君があてがわれ、政治的に高度なやり取りが行われた後、ジクロウは唯一にして最大の役目、子作りをおこなわなくてはならない。
だが、スリリルの魔術は一級品だ。
特に呪いに関しては、恐らく大陸中探しても、彼女にかなう術者はいないだろう。
そんな彼女からかけられた恐ろしい呪い。
そのことは宰相と、次席であった魔術師のみが知ることであり、彼らは考えに考えたすえ、どこかから子供が生める、といった条件で女をさらってくることを思いついたのだ。
たまたま、その条件にあてはまったのが彼女で、彼女は、佐々木有里としておとなしく暮らしていた土地から遥か遠くへ、いや、世界すら異なる国へさらわれることとなった。
何も知らずに連れ去れら彼女は、彼らの説明を聞いて激昂し、さんざん世話をさせてから遁走したのだが、当然彼らに関する印象は悪い。
今までの生活を一変させ、あまつさえまだ結婚すら遠い先の話だと思っていた自分に子供を生めと迫った人間など、好意を抱く方がどうかしている。
しかも、自分が選ばれた理由が、唯一ジクロウとの間に子供がもうけられるから、ときては、乙女心が傷つくことは当然だ。
そんな微妙な心など知ってか知らずか、彼女とジクロウたちの追いかけっこは、こちらの世界では年をまたいで続いており、どちらも必ずジクロウと有里が接触を始めると、スリリルが介入して次の場面へ移る、といったことを繰り返している。
だから、今こうやって彼女が暮らしている生活も、いつまで続くかはわからないのだ。
あいつらがやってくればそれで終了。
彼女はまた新しい生活を強いられる。
それが、彼女が必死になって、新しい技術を習得しようとした理由であり、手に職さえあれば、食べていけるさ、といった彼女の前向きな生き方が反映されている。
予想通り、彼女の安定した生活は、ほんの数ヶ月で終了し、なんとか彼女が小さな刺繍や、小物を縫い合わせる技術ぐらいは習得した後だった。
「また一からでなおしかぁ」
そうつぶやいた有里の声が聞こえたのは、はるかに北に飛ばされた工業国。
有里の、新しい生活がはじまる。