こうして歴史は繰り返す/第1話

 大陸最大の王国にして、強い影響力を誇るフィムディア王国は、民衆の前にあまり姿を現さないものの、統治能力に優れた王とそれをささえる優秀な人材に支えられた豊かな国であり、大陸内では絶対的な権力を有している。
その王国の東端に接しているこの小国は、数代前の無能な王のせいで、その統治を王国にとって代わられたものの、現在では平和な大国の恩恵を受け、もともとのんびりした気質の国民性とあいまって、皆牧歌的にぼんやりと毎日を過ごしている。
国民の大半は農業を営み、わずかばかりの人間が貴石を掘り起こす作業に従事している典型的な農業国であり、一面に広がる畑や牧草、その上を家畜などがのんびりと草を食む光景が眺められる風光明媚な小国である。
そんな国の中にある飲み屋も、都会とは違って、農業を終えた親父たちがのんびりと飲んで語り明かす、村の集会場のような雰囲気を纏っており、酔っ払い同士の多少の小競り合いはあるものの、それ以上のやっかいごとはこことはまったくの無縁である。
とある人物を、この飲み屋が受け入れるまでは。

「うるさいわね!これ以上近寄ったら頭からこれぶつけるわよ!」

出来立てで香ばしい匂いを放っている汁物を指差しながら、少女が怒鳴りつける。
周囲は、少女がはじめてみせる表情に、驚きつつ、好奇心を隠せない様子で彼女を伺っている。
食べているふり、飲んでいる仕草をしながらも、視線は決して彼女からはずされることはない。
田舎国のさらに田舎、ど真ん中の田舎では、こういったイザコザが唯一絶対的な彼らの娯楽であることには間違いない。

「それは、それは困る。これ以上顔を損ねたら、ますます外に出られなくなる」

威勢のよい少女の剣幕に押されながらも、ぶつける、と指名された男がしり込みをする。
確かに、彼の容姿は、自称の通り、あまりぱっとしないものであり、光沢を放った絹のような金髪だけが目立つ結果となっている。さらには、その見事な頭髪のせいで、彼の顔はよけいみすぼらしく見えるありさまで、エプロンをして、髪を無造作にひっ詰めてもなお、その顔にはどこか凛々しさが宿る少女とは非常に対照的である。

「だったら、とっとと出て行きなさい、迷惑だから」
「だから、私と一緒に来てくれれば、いつでも帰るから」

本当に顔面に料理をぶつけそうな彼女が、激昂した気分を鎮めるべく、それを注文した人間に引き渡す。戸惑いながらもそれを受け取った客は、次はどういったやりとりが行われるのだろうかと、ちらちらと男と少女に視線を走らせる。

「帰らない、つーか、かえる場所でもないし」
「そうじゃないと私が困る」
「私は困らない」
「お願いだから」
「営業妨害だ!」

どこからか箒を持ち出した彼女は、掃きだすようにしながら、その男を店の外へと追い出す。

「まあまあまあ、ほら、せっかくあんたに会いに来てくれたみたいだし」

店のおかみさんが、彼女の両肩に手を置き、宥める。
どこからかふらっと現れた少女を、気前よく雇い入れ、現在では看板娘となった彼女と、この店を切り盛りするだけはあり、この程度の揉め事は動じないようだ。

「おかみさんには悪いけど、これ以上話すことなんてないから」
「お願いだから、私と一緒に」

哀願を右足の蹴りで封じながら、きびすを返す。
客席のあちこちから口笛とともに、にいちゃんがんばれ、といった無責任な野次が飛ぶ。

「で、どういった相手なんだい?」

地べたで寝転がる男を無視しながら、おかみと少女が店の中に入る。
面白い見世物もこれで終わりか、と、ばかりに二人に注文の声がかかる。
あっという間に仕事に切り替えた二人に、情けない男の絶叫がすがりつく。

「お願いだから、お願いだから、私の子供を生んでくれ!そうじゃないと!」

彼の声は彼女の左足と、おかみの上段から振り構えた、箒の餌食となって立ち消えた。
ぼろ雑巾のような、正体不明の男を舗装もされていない地面の上に残して。



「で、本当に誰なんだい?」

営業時間も終わり、使用済みの食器を洗いながら、おかみが彼女に問いかける。店の主人でもあり、おかみの旦那でもある男は、黙ったまま、明日の仕込みをもくもくとこなしている。

「……言っても信じてもらえないと思うんだけど」
「まあ、そう言わずに」
「さっきのあれ、王様だって言ったら、信じる?」
「は?うちのかい?うちのはあんなにしょぼくれちゃいなかったと思うけど」
「ううん、違う」
「じゃあ、隣の国のかい?」

まったく信じていない風に、次々と隣国の名を上げていく。
この小国は、当然フィムディア王国とも接してはいるが、その他多数の小国とも隣接している。
その多くは王国の属国か、友好関係を築いた独立国家であり、そのどれもが何がしかの関係で王国の恩恵を受ける形となっている。

「違う。王国」
「王国?」
「そう、王国」
「は?」
「やっぱり信じられないよね。私だって信じたくないし」

数秒野菜の皮むきの手を止めた亭主とは反対に、まったく手を休めないまま、おかみが少女の言葉を反芻する。

「あんたの言う王国って、まさかとは思うけど」
「まさかのフィムディア王国」
「はぁ?」

今度こそはおかみの手も止まる。机の上を拭き終え、さらには軽い掃き掃除などもこなしながら彼女の言葉を聞いていたおかみも、立ち止まったまま少女の言葉の先を待ち構えている。

「私もあんなのが王様だなんて、乙女の夢を返せってなもんなんだけどさー」

属国となったとはいえ、ここにも王様は残っている。
牧歌的な国にふさわしく、わりとあちこちふらふらと現れては国民たちを驚かせる主君ではあるけれど、本日現れたしょぼくれた青年よりははるかに威厳といったものを持ち合わせていたはずだ。何より、ここはその田舎国のなかでもさらに田舎、周囲は田畑と果樹園、家畜やそれらを世話する人々がひっそりと暮らしている場所だ。自由な自分たちの王様ですら現れることがない土地に、さらに雲の上の存在である、王国の中心となる人物が姿を見せるはずもない。

3.6.2009
++「Text」++「Chase目次」++「次へ」