雨に濡れて露おそろしからず/第2話

「いたじゃん」

幽霊画やお話の中にでてくるそれのように、半透明な下半身を持った何かは、落ち着いてよく見ればまあまあの容姿をした30代半ばの女性だとわかる。ひょっとすると推定よりも若いのかもしれないが、と、考えたところで、皆川ルリばりに詳細に得たいの知れないモノを眺めている自分に気がついた。
昔はトイレが恐いといっては震えたカワイイ子どもだったというのに、いつのまにか私はこういう摩訶不思議な現象には慣れてしまったらしい。そんな我が身がとてもかわいそうで悲しい。

「見えるの?」

皆川さんの呟きを捉えたそれは、人間離れしたスピードで皆川さんの下へとにじり寄ってきた。その行動に伴って呪縛がとけたかのようにクラスメート達の悲鳴と絶叫がこだまする。まるで蜘蛛の子をちらすかのように散り散りに逃げていった彼らと彼女らは、あっという間に姿が見えなくなってしまった。ひょろりと細く、定番のもやしというあだ名をつけられている委員長を除いて。

「腰が抜けた……とか?」

恥ずかしさのせいなのか寒さのせいなのか、ほんのり赤く染めた頬で涙目でこちらを見上げる。ご丁寧に尻餅をついた格好で、彼は逃げるに逃げられなかったらしい。

「というよりも、あんたこそ何やってるわけ?」

両手で両耳を塞ぎながら、半透明のそれはしゃがみこみながらぶるぶる震えている。

「だって、だって、行き成り大声が…」

ここは笑うべきか呆れるべきか、どうやらこいつはクラスメートの絶叫に驚いたらしい。
きもだめしなどで、驚かす側が驚かされてしまったかのようだ。

「……。まあいい、というか、どうして全員に見えたんだ?」
「翠ちゃんのせいじゃないの?非人間と付き合ってるんだし」
「別に付き合っているわけではないけれど、つーか、そんな効能があるだなんて聞いていないが?」

ただでさえ人類外とお近づきになる機会が多いというのに、元人間だといわれるものにまで懐かれる謂れはない。私のキャパシティーは狭いのだ、自慢ではないが。

「まあ、噂は本当だったということで、帰るか」
「そうね、寒いし」
「委員長、ほら」

いまだに腰が抜けたままの委員長に手を差し伸べ、力ずくで立たせる。
ひょろっと長い背丈をなんとか正常に立たせ、背中を叩いて気合を入れる。

「いいか、あれは気のせいだ、気のせい。何もなかった、いいな、何もなかったんだ」
「それって現実逃避っていうんじゃないの?」

膝が笑っている状態の委員長の背中を押しながら、気のせいだと暗示を掛ける。委員長はわらをも縋る思いだったのだろうか、カクカクとぎこちない動きで頷きながら、それでもなんとか足は進行方向へと歩む事ができている。

「……どうしてついてくる?」
「翠ちゃん、それってそのひょろいのに言っているのと矛盾してるって」

クラスメートがほぼ全員目撃したという半透明のそれが、なぜだか私のスカートの裾を引っ張りながらくっついてくるのが見える。いや、ここまではっきりと見えるあれはそれでも下半身は半分透けている。
委員長はか細い悲鳴を上げ、なおかつ右手と右足が同時に前へ出ながらもなんとか逃げようとしている。

「委員長、いいか、前だけを見ろ、後ろは振り返るな」

コクコクと首が折れそうなほど激しく降りながら、健気にも歩く事を続けている。

「で、なんでついてくるのだ?」
「姿を見てもらえたのってはじめてだし」
「いや、散々噂になって私のところにまで届いているぐらいだから、きっと他にもみえてるんじゃないのか?」
「そう言われればそうよねえ、あんまりそういうことには興味がない私の学校の連中も知っているぐらいだし」
「そう言われればやたらと人は来たようですけれど」
「ひょっとして、全員悲鳴をあげて逃げたとか、おまけにその声にびっくりして座り込んだ、とかじゃないだろうな」

心当たりがあったのか、半透明がなぜだかほんのり頬を染める。
私たちのやりとりを必死に聞かないようにするために、委員長はなにやら小難しい数式を呟き始めた。数学は嫌いだし、物理は論外な私からしてみると、そちらの方が恐ろしい。

「で、本当にどうしてついてくるわけだ?」
「私、成仏したくって」
「移動できるのなら寺でも神社でもどこへでも行け、私は坊さんでも神官でもない」
「クリスチャンなんです」
「だったら、教会へ行けばいいだろう」
「不浄のものが教会の門をくぐるのは」
「そういうところで信仰心を発揮しても仕方がないだろうが、神の御許へ行くってやつじゃないのか?よく知らないけれど」

佐伯家は仏教徒だ、詳しい流派は知らないけれど法事の時には袈裟を着た坊さんが来ていたのだから間違いないはずだ。友人にも親戚にもクリスチャンのいない私にとっては、わかるはずもない。

「いえ、それはどうでもいいのですが」
「エセクリスチャンか」
「はぁ、親がそうだったので自動的に私も入信していただけで、確かに熱心だとはいえませんでしたねぇ」

人のいない野原から、いつのまにか人通りのそれなりにある道へとたどり着いてしまう。
このままでは私は何もない後ろに向かって話し掛ける怪しい人間だ。
皆川さんがいるからなんとか体裁は保ってはいるものの、彼女も彼女で自然な状態で後ろにくっついている半透明に話し掛けているのは同じで、どちらも怪しさから言えば甲乙つけがたい。いや、中途半端にコレが誰にでも可視できるのだとしたら、その方がよっぽど面倒くさく、また、その可能性の方が高そうなことに気がついた。どちらに転んでも面倒ごとに関わらざるを得ない体質になってしまったらしい。

「たぶん、心残りがあるせいかと」

なぜだか死ぬほど恐ろしい目に現在進行形であっているはずなのに、委員長が我々の前を素直に歩きつづけている。私が背中を押した状態だということもあるけれど、ここまで人がいる場所にきたのならば、いっそ走って逃げた方がましなのに、彼はそれをしない。いや、そうすることに気がついていないのかもしれないが。

「心残り?というか、委員長、いいかげん逃げたらどうだ?どうやらこれは私たちが目当てらしいし」
「さらっと私まで巻き込まないでちょうだい」
「いや、専門家がいないと」
「あんたでしょ、あんた、人外魔境摩訶不思議、世にも奇妙な物語担当は!」
「担当した覚えは」
「あれだけ変なものに囲まれてよく言うわ」
「んーーーー、私の中で一番妙なのは由貴か姉だからなぁ」

肝の据わった由貴の性格を思い出したのか、迷惑しかかけない牡丹と、どこまでも人畜無害な琥珀を比べて、どうやら皆川さんも同じ結論にたどり着いたらしい。大きくため息をついて、半透明に話し掛ける。

「心残りが解消されればぱぱっとどこかへ消えてくれるわけね」
「はいぃぃぃぃぃ、たぶん」

たぶん、というところはとりあえず聞き流すとして、仕方がないのでその心残りとやらを訊ねてみる。どう考えても訊ねて欲しい気持ちがはちきれんばかりにわかりやすい半透明がうきうきと語りだす。

「私、処女なんです」
「……」「……」

元人間が変なことを言って、照れている。血液が循環してもいないのに、どうしてばら色に頬を染めるのかということを訊ねたい気もするが、それよりもなによりも、つい今しがたこいつが口にした言葉を反芻する。
どうかんがえても、あれで、それで、何だ。
この案件は、私の手におえる範囲ではない、と、皆川さんを促しながら早足となる。

「あ、いえ、その、それはもう諦めているんですよぅ、もう肉体もないですし」

声は確実に周囲に聞こえているらしい、おまけに8割以上の確率で見えてもいるらしい、通行人が訝しげにこちらを睨みつける。それでも非日常的な出来事をすんなりと信じられる人間の方が稀で、何度もこちらを振り返ってはなかったことにした風のサラリーマンが通り過ぎていく。それでもやっぱり変なものがくっついていた事実は厳然としてあるわけで、これでこの狭い町内で噂になることうけあい、明日になればどれほど尾ひれがついてメダカがサケなのかアロアナクラスになっているのか見当もつかない。
相変わらずカクカクとした動きの委員長は、絶好調に数式を呟いているし、皆川さんはウンザリした顔をしているし、私は鬱陶しい事この上ない状態からなんとかして逃れようとはや歩きになっているし、半透明はそんなことお構いなしに語りつづけるし。なんとなく、やっぱりそういう運命ってあるのかな、と、一瞬、一瞬だけよぎってしまった。

「できれば、素敵な殿方とデートできればと」

ふと、半透明が訴えた内容に、デジャブを覚える。
素敵な殿方とデートだと?
少し前に我が家にいついている何がしかを悪戯妖怪に差し出したことを思い出す。
あいつはあれで顔だけは悪くない、いや、顔しかよくはないとも言える。料理はうまいし家事も上手にこなすけれど、とりあえずそれは素敵な殿方には関係ないことだろう。おそらく見てくれさえ良ければいいはずだ。

「デートすれば成仏するのか?」
「ええ、おそらく」

皆川さんも私の魂胆に気がついたのか、そうと決まればとばかりに勝手知ったるといった風情で、私の家の方向へと歩き始める。

「委員長、委員長!」

半分ばかり精神をどこかへと預けっぱなしだった委員長を現実へと引き戻す。

「私はこのまま家へ帰るけれども、委員長はつきあわなくていいんだぞ。というよりもとりあえずここから逃げたらどうだ?いいかげん歩けるだろう」

キキっと、油をさしたほうがいいような機械のような動作で、こちらへと顔を向ける。

「……このままだ夢に見そうなので」
「まあ、存在は信じ難いが、それほど恐い見てくれでもないと思うが?」
「……存在が信じ難くって、それでも充分恐いです」
「そんなものか?」
「さあ?スプラッタでも腐ってるのでも、臓器がはみ出ているのでもないしねぇ」

サラリと年季の入った薀蓄を垂れ流しながら、皆川ルリがにやりと笑う。口の中で小さく悲鳴をあげながら、委員長が再び恐慌状態へと突入する。

「委員長、だから逃げろって」
「いいえ、こうなったら最後まで付き合わないと恐くて恐くて眠れません」
「付き合うって?」
「コレがきっちりと成仏してくれるまで見届けます」
「見届けるって、委員長」

そのまま委員長は今度は英単語をブツブツ呟き始めた。どうやら彼はポケットの中に英単語帳をを忍ばせていたらしく、それを一心不乱にめくり始めている。

「で、あんたも来るの?」
「こんな面白いイベントに参加しないほうがおかしいんじゃなくって?」
「好奇心が旺盛なのはいいことだとは思うが」
「ほほほ、このままあんたにくっついていれば、一生退屈しなくってよ」
「……お願いだから退屈な人生を送らせてくれ」

由貴に言われたように、そういう星の下に生まれたのだということを、思わず納得しかけそうになる。ふるふると頭をふりながら、平凡な人生平凡な人生と、数回唱える。
そんな願いは琥珀に出会った時点で諦めなくてはならなかったのかもしれないけれど。

1.16.2008/Miko Kanzaki
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