雨来る/第4話

「あらおばさん、もう帰ってきたの?いっそのことどこかへ行って帰ってこなくてもよかったのに」

どこかで聞いたような、でも思い出したくないような声が響き、思わずコメカミを押さえる。目をつぶって、頭を数度振ってから嫌々ながら瞼を開けてはみたものの、目の前にはやっぱり頭に浮かんだ少女がのんびりとお茶をすすっていた。

「……数世紀越えの大婆からおばさん呼ばわりされる覚えはないのだが」

私の言葉に気分を害した事を隠そうともせず、綺麗な着物をきた牡丹がこちらをジロリと睨みつける。たぶん、隣でにこにこしながら彼女を眺めているねーさんの舅さん、つまりエリックさんの実父がいなければ、持っている湯飲みぐらい投げつけられただろう。きっちり返り討ちにする自信はあるが。

「翠さーーーーーーん」

ジェームス氏がいたため、家へあげたのち、お茶だけは出してみたけれど、やっぱり鬱陶しかったのか姿を隠していたらしい琥珀がいつのまにか私の背後に立っていた。それを見て牡丹は嬉しそうにしている。そういえば、琥珀の事を好きだとか言っていたような気がしないでもない。

「今日はどうされましたか?」

姻戚関係とはいえ、普段ジェームス氏と私との間にやりとりがあるわけではない。両親がここにいるのなら、それなりに両親同士でやり取りが生まれるのかもしれないが、いかんせん子供の配偶者の妹などと言う存在に、特別なにか交流をしなくてはいけない理由があるわけではない。

「いや、牡丹ちゃんが会いたがっていたから」

だからこそ、姉夫婦になにかあったのではと、一瞬にして様々なケースを想定してしまった私は、能天気なこの一言に思わず膝から落ちそうになる。
つまるところ牡丹の我がままに唯々諾々と従っている、ということになる。別に一人で聞いている分にはかまわないのだが、それに巻き込まれるのはごめんだ。現に、琥珀は再び姿を消している。

「念のためお尋ねしますが、本当に本当にそれだけが理由でしょうか?」

ねーさんがとんでもない事をしたとか、ねーさんが凄まじい事をしたとか、ねーさんが酷い事をしたとか、考えられる出来事はそんなことばかりだけれど、今までの彼女の人生が人生だからこういう杞憂も致しかたがない。

「それだけ、ほんっとーーに、それだけ」

気が抜けるほどのんきにそう言い切られてしまえば、仕方がないのでいつのまにか琥珀が用意した私用のお茶を手に世間話のひとつでもしなくてはいけないだろう。腹をくくって機嫌が良さそうなジェームス氏と、琥珀の姿が見えないため不機嫌な彼女の対面に座す。面倒くさいので、牡丹はその場から動かないという約束で琥珀を私の隣に座らせてみる。

「やっぱり一緒に暮らしましょう」
「寝言は寝てからどうぞ」
「どうして私の美しさに気がつかないのかしら」
「世迷言を言える程ぼけたのでしたら、さっさと未来永劫の眠りにでもついたらどうです?」

などという琥珀にしてはかなり毒々しい会話が交わされている中、私とジェームス氏はとりあえずお互いの共通話題である廉君について微笑ましい会話を交わす。永遠にかみ合いそうもない会話と、どこまでもほのぼのした会話がどちらも盛り上がってきた中、再び例のあの声が間に割って入るようにして響き渡る。

「出てらっしゃい!!!!!!」

相変わらずテンションの高い声で叫ばれると、それだけで頭が痛くなる。

「翠さーーんまたきましたぁ」

またうんざりすることが二倍どころか二乗になりそうだと、琥珀の眉尻が情なく下がる。
おまけに今日は牡丹などというイレギュラーな妖怪までいる、なんとしても玄関先で追い返さねば、と考えているうちに敵はあっさりと居間にまで乗り込んできた。そういえば、あまり玄関にカギをかける習慣をもっていなかったことを思い出す。

「あんた今日こそは!!!」

たぶん自作のお札らしきものを手に、勇みこんで侵入してきた彼女は牡丹の姿を見て絶句する。
やっぱり目だけは良かったのだなと、とりあえず両耳を塞いでおく。

「いやあああああああああああああああ、増えてるじゃない!」

案の定彼女は牡丹をさして絶叫する。皆川さんをはじめてみたジェームス氏は、言動の怪しさに驚いたのち、大声に顔を顰める。あの絶叫をモロに聞いてしまえば仕方がないだろう、私も最初のころは耳鳴りがしたものだ、と、うっかり彼女の存在に慣れきってしまった自分に驚愕する。

「まあ、自称霊感少女の騒音製造機…です、先日から付きまとわれていまして」

どうしようもないほど省略した説明でもあっさりと納得するのは、さすがに牡丹の飼い主だけはある。あんたもかわいそうに、と、しみじみ同情されるのは少し情なくなるが。

「何?琥珀に付きまとっているわけ?」
「まあ、当たらずといえ遠からず」

琥珀の存在を抹消したくて私に近づいているのだから、まあ、琥珀に付きまとっていると言って過言はないだろう。

「身のほど知らずね、不細工のくせに」

いくら子供の姿をしているとはいえ、かなりな美貌をもつ牡丹にそういいきられると、かなり傷付く。皆川さんも、まさかそんな反応を返されるとは思ってもみなかったのか、札を強く握り締め歯軋りまでしている。

「あら、そんなもので私たちを払おうってわけ?不細工の上に頭まで悪いのね」

あっさりと、琥珀に付きまとうものはメス犬でも容赦しないといった風に、牡丹が畳み掛ける。妖怪退散と大声で喚いているわりには、たぶんこういったものに対峙するのは初めてであろう彼女はたじろぐ以外のことができないでいる。
ようやく彼女が口を開きかけた瞬間、絶妙のタイミングで牡丹が追い討ちをかける。

「あんまりうざいことすると、呪うわよ」

少し開いた口をそのままに、そこからわけのわからない悲鳴のような声が漏れてきたかと思うと、彼女はあっという間に姿を消していた。居間に彼女の絶叫だけを残して。

「おもしろそうだから、もう少し遊んでくる」

新しいおもちゃを見つけた牡丹は、いそいそと彼女の後を追う。
ジェームス氏は、またか、という顔をしてお茶のお変わりを所望する。

「いつもの癖が…」
「……以前にも?」
「まあ、何件か」

彼の家で偶然牡丹に気に入られてしまった人間に深い同情を禁じえない。皆川さんの場合、自業自得だが。

「牡丹はそういうところは本当にもうしつっこいったらないんですよ、翠さん」

猫が獲物を死なない程度に痛めつけながら遊ぶ姿を想像する。

「当分静かになる…といいな」
「ええ、本当に」

しみじみとお茶を飲み交わし、ジェームス氏は寂しそうに一人で帰っていった。
ようやく我が家に平穏が訪れたのは、もうとっぷり日が暮れる頃だった。

6.5.2007/Miko Kanzaki
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