雨来る/第5話

「あいつをなんとかしてくれ」

息も絶え絶えに、かなりやつれた頬が哀れを誘う皆川さんが、私の前へ現れたのは一週間後だった。

「まだ付きまとわれていたわけ?」

歩く速度を緩めようともせずに、由貴と会話を交わす。うんざりした顔でちらっと彼女の方を見た由貴は、存在を無視するように視線をまっすぐと進行方向へと向けた。

「まあ、なんというか、いろいろあって」
「あきらめるようなタイプじゃないとは思っていたけれどさ」

学校帰り、珍しく由貴と甘いものでも食べようと一緒に歩いている時に限って、こういう闖入者がやってくる。普段は、下手をするとおやつまで琥珀が用意してくれているため、あまり寄り道をすることがないというのに。
よろよろと歩き、声にも以前の張りがない皆川さんは相当ダメージを受けている様子だ。牡丹が具体的に何をしたかはわからないが、あの性格からして地味にじわじわとくる本人曰く悪戯を仕掛けているに違いない。
後ろから何とかしろと呪詛のように小声で呟いている彼女はかなり不気味だ。偶然周囲に通りかかった人間が飛び退くようにしてスペースを空けてしまうほどに。

「何かしたわけ?翠ちゃん」
「別に、自分は何も。まあ、琥珀の知り合いにとりつかれているらしいが」
「知り合いって、ひょっとして」
「そう、ひょっとする」

全てを語らずともわかるといった風に、由貴が相槌をうつ。なんというか、そういう非日常が日常に溶け込んでいる今の自分がとても嫌だ。

「座敷わらしに似た、ただの迷惑悪戯妖怪というか、まあ、はた迷惑な生き物だ」
「琥珀はまだ役に立つけど、全然まったく役に立たないやつなわけね」

役に立たないどころか存在そのものが迷惑だ。あんなものを喜んで引き受けるのはたぶんジェームス氏ぐらいなものではないだろうか。それでも周囲の人間はおもいっきり迷惑を受けているのだろうが。

「頼む、なんでもするから」

縋るような思いなのか、袖を掴んだ指がふってもふっても離れてくれない。相当参っているらしい。

「なんでもすると言われても、私がなんとかできるものでもないというか」

アレの管轄は私ではない、あくまでジェームス氏だ。だが、牡丹が喜んでやっている以上動かないだろうし、私も動くつもりはない。
サクサクと歩みを進め、それでもしつこく彼女はついてくる。袖をしっかりと握ったまま。

「私に言われても困る」
「あんたの家にいたやつじゃない」
「札でもなんでもばら撒いて追い出せばいいではないか」
「やれるものならやってるわよ!できないから頼んでるんじゃない!」

段々とテンションが上がっていって、元の騒音製造機であるところの彼女に戻っていく。つまるところそれだけ周囲からの視線を集める事になる。由貴はちゃっかりと私から数歩ほど離れ、他人のフリをしている。出来ることなら私もそれを見習いたい。

「やってくれないんなら、毎日つきまとってやるから」

由貴と二人ピタリと足を止める。急激な動きに対処できなくて前へつんのめったものの、すぐに立て直してなおもくいついてくる。

「それで、毎日毎日家の前に護符の模様を書いてやるんだから」

それは、かなり嫌だ。中途半端に田舎な実家周辺でそんなことをやられては、あっという間に町内の噂の的となってしまう。

「それに、毎日毎日下駄箱にお札を一杯につめるし」

それも、とても嫌だ。下駄箱からチョコレート、というのは人生で一度見てみたいものだが、そんなものはできれば一生お目にかかりたくはない。

「校門で名前を呼びながらお経読んで待ち伏せしてやる」

それは、先生方も取り締まるより先にどこか専門の機関に連絡してしまいそうだ。
他人事としてじりじりと距離を開けて離れようとしている由貴に、皆川さんが容赦のない一言を吐き捨てる。

「いっとくけどあんたも同じようにしてやるんだからね」

彼女が最後まで吐き出すのと、翠ちゃんなんとかして、という由貴の哀願が重なる。
結局、私は最後までこういうことに巻き込まれる運命なのだと、少しだけ日が傾いた空をみて切なくなる。



「こんにちは、お邪魔します」

由貴と二人、促されるままに彼女の家へと上がりこむ。家には誰かがいる気配はなく、どこかひんやりとした空気がそれらしい雰囲気を演出している。

「誰もいないんだな」
「いない、両親共に仕事だし、私に兄弟はいない」

念のため確認をする。今からやることはできれば普通の人間に見られたくはない。高確率でおかしなやつだと思われてしまうのがおちだ。 少しだけおなかに力を込めて声を張り上げる。

「牡丹、いい加減出て来い」

周囲には私の声以外は何も聞こえてこない。まだまだ悪戯が足りない牡丹はでてこないつもりなのだろう。よほど彼女の反応が面白いのか、一週間程度では飽きてくれないらしい。仕方がないので事後承諾とはなるが、交換条件をぶら下げてみることとする。

「今出てきたら一日琥珀を貸し出すが、出てこなければ金輪際家へも入れないようにするが?」

瞬時にして現れた人影は、あたりまえというかやっぱり牡丹のもので、目が爛々と輝いている。
餌がおいしすぎたのかもしれない。

「今言ったこと違えないでしょうね」
「女に二言はない、安心しろ、確実に一日琥珀を差し出してやる」

女同士の固い約束が交わされ、牡丹はあっさりと「ジェームスちゃんとこ帰ろう」とハートマーク乱舞付きで帰っていった。
あまりにもあっさりと終了した牡丹退治に、皆川さんはぽかんと口をあけたままだ。

「とりあえず、帰ろうか、由貴」
「アンミツでも食べてないとやってられないし」

そろそろと動きだした私たちに、皆川さんが人差し指を突き刺し高らかに宣言する。

「今回は、今回だけは感謝するけど。私絶対負けないんだからね!!!!!!」
「あー、はいはい、負けない負けない」
「なによ、その態度。ちょっと妖怪に詳しいからって」
「別に詳しいわけでは」

などと戯言を交わしながらもちゃっかりくっついてきた皆川さんと三人なぜだか一緒にアンミツを食べることとなる。
寒天を頬張りながらも負けないんだから、と、がんばって気を吐いている彼女はかわいいようなかわいくないような。
それ以来、私と由貴は、彼女にライバル扱いされて結局とりつかれつこととなる。まあ、お経は唱えられてはいないけれど。
家へ帰った私は琥珀の出迎えで琥珀の作ってくれた夕食を口にする。やっぱりおいしいと、思わず感嘆の声をあげる。琥珀は琥珀で静寂が戻った我が家で、嬉しそうに立ち働いている。
私の説明で、琥珀が絶叫するのは夜も更けてから。
とりあえず琥珀の、私と一日外で遊び倒すという逆交換条件で手をうつこととする。
最終的には私が一番迷惑を被る事になるのだな、と、そう言う星の下に生まれたと言った由貴の言葉を噛み締める。
妖怪より人間のほうがやっかいなのだ、と、痛感しながら。

6.8.2007/Miko Kanzaki
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