雨来る/第3話

「寝不足?」

隠しもしないで盛大なあくびをする私に、由貴が笑いながら声をかけてきた。結局、昨日は彼女のことを考えてあまりよく眠れなかったのだ。あのテンションの高さから考えると、あのまま大人しく引き下がりそうもなく、家を知られてしまったのはまずかったな、などと詮無い事を考えてしまったのだ。とても珍しい事に。

「まあ、あれだ。私にも悩みぐらいある」
「あら、私に黙って?」

行間から滲み出る雰囲気で、さして深刻な問題でもないだろうと判断した由貴は、なおものほほんと尋ねてくる。これは日常の範囲内のやりとりであって、どっぷりとそのまま平穏な日常へと浸りたいと心から願ってしまった。だけどやっぱり私の当初の勘は外れることはなく、厄介事はどこまでもしつこく私に取り付いてくるらしい。

「待ちなさいよ!!」

待ち伏せとかそういうかわいらしいものではなく、親の敵でも討ちにきたような彼女の雰囲気に、さっと周囲が彼女との空間を取ろうと後退する。通学時間真っ只中であり、同じ学校の学生で溢れているはずの道にぽっかりと空間が空く。もちろんその真ん中には昨日の少女、皆川ルリが仁王立ちして私を待ち構えていた。

「知り合い?」

異様な雰囲気を発している彼女を丸ごと無視してのんきな声で由貴が尋ねる。彼女のすごいところはいつでもどこでも相手が誰でも自分のペースを崩さないところだ。その変わらない態度に安堵を覚えてしまう。

「いや、まあ、知り合いというか知り合いじゃないと言うか…」
「今日は一人なわけ?」
「ああ、琥珀がらみ」

さっくりと由貴に当てられて、少しだけ当惑する。それだけ最近の私は琥珀と一緒に過ごす事が多く、琥珀絡みや逆に巻き込んでのトラブルが多いということだと、うっすらと自覚する。

「あんたもアレを知っているわけ?」
「知っているも何も、翠ちゃんのことで知らないことなんてあるわけないじゃない。私と翠ちゃんの関係で」

その発言はどこかねじれて曲がって正しい事を言っていないようでいて、かすかに真実の端っこを言い当てているような気がしてしまうのは由貴の笑顔に弱いからだろうか。
両者は睨みあったまま動こうとしてくれない。下級生も同級生も上級生もあからさまに私たちを避けながら学校へと歩いていってしまう。 皆川さんはおもむろにかばんの中から何かを取り出すと、私の眼前にそれを突き出した。うっかり手で払いのけそうになるのを耐え、じっとかなり視力の良い両目でそれを見つめてみる。

「妖魔退散???」

確かにその札のような紙切れの真ん中には堂々とその文字が書いてある。

「あんたばか?」

初対面で琥珀の事を怪しいオーラを纏った人ならぬものだと断定していた自分の事は棚に上げ、あっさりと辛らつな言葉を吐き出す。それを受けた彼女も彼女で、すぐに気持ちを建て直し私へ食って掛る。

「あんなのがふらふらこの辺にいていいわけないでしょ?いいからさっさとこれをもってあいつに投げつけなさい」
「はぁ?」

本当にそんなことが可能なのかどうかは置いておいて、彼女は本気で琥珀をどうにかしたいらしい。

「こんなものが効くとでも思ってるの?」

あまりのことに身動きできないでいる私に代わって、由貴があっさりとその怪しげな札を取り上げ捨て去ってしまった。

「な!!!なにすんのよ!私が一晩かかって描いたお札に!!」

ああ、やっぱりコイツの自作だったのかと、妙に歪んだ文字と図柄に納得していまう。

「ふーーん、あんた西高の自称霊感少女ね」
「霊感少女?って西高ってあの?」

あの、とは大抵の場合、極端に良い例と悪い例を指す事が多い。今回の「あの」は前者で、私が通う高校の偏差値とは比べ物にならないほど高い偏差値を有する高校にたいしての「あの」である。

「あんた、有名人よね。嘘吐き女って」
「きぃいいいいいいいいい、嘘吐きってなによ、嘘吐きって」

実際に声に出してきぃと喚く人間がいるだなんて初めて知った。文字通りのヒステリーを起こしそうなほど地団太を踏みながら皆川さんが叫びだす。どんどん周囲の人影が減っていく。私を置いて学校へ行ってしまったのだ。出来うる事ならば私もこのまま遁走してしまいたい。

「本当のことでしょ?アレが見える、これが見えるって喚いてはぶっ倒れて」
「視えるんだからしかたがないでしょ!」
「どうだか」

本来ならば柔らかく女性らしい顔なのだが、このように他者を切り捨てる時にはそれがより一層相手の神経を逆撫でするらしい。彼女は一段とヒートアップしながらわけのわからないことを喚いている。

「由貴…、遅刻してしまうのだが」

チラリと私の腕時計を差し出す。
由貴も由貴で何も発展性のない会話にいいかげん嫌気が差したのか、あっさりとその提案に乗ってしまう。最初の目的すら忘れて、由貴への憎悪だけで燃え尽きそうな彼女を置き去りにして、とっとと学校の方へと歩き出す。
後ろの方でなにやら悪口雑言を喚いている気がしないでもないが、とりあえず耳をふさいでおくことにする。





「あんた、また変なのに絡まれたわね」
「……まあ、なんというか」
「そういう星の下に生まれた…とか」
「それは全力で否定したいところだが」

由貴の冗談めいた言葉がズキズキ突き刺さるほど身に染みている。なにせここのところ普通に人外魔境に足を踏み入れっぱなしで、こちらの世界に帰ってきていない気がしないでもないからだ。そもそもこうやって明らかに人類外である琥珀の弁当をおいしく食べているのだから、前提そのものが総崩れしている気もする。

「でも、あの子の霊感みたいなものは、自称でもなんでもなく、本物だと思う」

由貴以外に琥珀の事をそんな風に断定した人間はいない。割と琥珀と接しているはずの姉さんやエリックさんにしても最初から人間外である、という選択肢をもつ素振りを見せた事もない。

「たぶんね、あの子の嫌だって言っているポイントと私があれ?って思っているポイントってかなり重複するし」

今まで知らなかったのだが、由貴はかなりの確率でそういった類の物が見えてしまう人間らしい。ただしこれは琥珀にも指摘されていたことだが、見えるだけでだからといって何かができるとか、逆に何かをされるといったことはないそうだ。由貴曰く、風景と同じ様にただ通り過ぎていくだけのもの、らしい。

「あの子の場合はそれに過剰反応するから自称霊感少女なんていって馬鹿にされるのよ」
「そういえば由貴はそのことをなぜ言わなかった?」
「別に、私にとっては特別なことじゃなかったし、だって黒板が見えるだなんて当たり前の事わざわざ言う?」
「いや、それとこれとはかなり違うというか、全く違うというか」
「私にはその違いがわからないわけよ。他の人が風景をどう見えているかだなんてわからないし。それに小さい頃から当たり前のように視界に入ってきていたから、恐いとか嫌だなんて感情も湧かなくなったしねーーー」

そういわれれば彼女の美的センスはかなり特異で、許容範囲が広い上に斜めにずれているとは思ってはいたが、幼い頃からの特殊な経験が彼女のそのあたりを形成するのに影響を与えているのかもしれない。

「まあ、わたしのことはいいけど、あれはしつこそうよーーー、やっぱ人間が一番面倒だわ」

キレイにお弁当を食べ終えた由貴がにっかりと笑う。
私もそれに釣られて琥珀の弁当をきちんと食べ終え、にっこりと笑う。
なんとなく、やっぱりこれだけでは終わらない嫌な予感を付きまとわせながら。

5.09.2007/Miko Kanzaki
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