雨のち晴れ?第2話

「お話の途中ですが、その小娘を目の前に失礼な会話を繰り返してくれるわね」

姉が二人の間に静かに割って入る。声がすでに据わっている。

「あなたがエリック様をかどわかしたのですか。お金は払いますから、とっととお引取りくださいまし」
「ここ、私の家なんだけど」
「だったら、ぼっちゃま。早くお家へ帰りましょう。大旦那様がお待ちです」
「なにがだったらよ、いくらヘタレで弱っちくて情けなくても、妻子をおいて出て行ったりしないわよ!」
「妻子?妻子ですって?お前風情の女が妻を名乗るなど…、妻子ですって?」
「それがなによ」

老女は素早くエリックさんの方に詰めよる。大慌てでエリックが姉の左側へと移動する。今ではばあやとエリックさんは姉を挟んで左右を陣取っている。 姉は静かに指を差し、琥珀ががっちりと抱っこしている廉君の方を示す。あれがエリックさんの子どもだと無言で知らせるように。
一瞬目を剥いた彼女は、違うと言いたそうに口を開きかけるが、あまりにエリックさんにそっくりな廉君の顔にそのまましばし黙り込んでしまった。

「……わかりました。それぐらいは男の甲斐性とも申せましょう。認知はいたしますから、そのまま母子でお暮らしなさい。本家へ入ることは許しません」
「お手伝い風情が何を偉そうにいっているわけ?」
「なんですって?」
「だって、そうでしょ、あなたなんてただの使用人でしょう。大旦那の意思すら聞きもせずに、よくも自分にそんな決定権があると思ってるいるわね」

あまりといえばあまりの暴言に、ばあやが一瞬怯む。だが、素早い回復力ですぐにも食って掛かる。

「私は大旦那様の奥方様が興し入れなさったときからお仕えしてきた古参のものです!ふらっと最近湧いてきたようなよそ者に言われるすじあいはありません」
「だったらあなただってよそ者じゃん」

確かに、うっすらと覚えている記憶を辿れば、エリックさんはクウォーターだそうだ。たぶん、その興し入れしたという女性が日本人だったのだろう、その人についていったというこの“ばあや”もどこからどうみても日本女性だ。

「きぃいいいいいい、よそ者とは無礼な」
「だって、そうじゃないの、大旦那とやらに反対されるんなら、わからなくもないけど」
「大旦那様もそうおっしゃるに決まっております」
「推定でしょ、わからないじゃん、そんなの」

二人の女性が火花を散らしながらバトルを繰り広げている中、ちゃっかりエリックさんは私の後ろへと避難していた。琥珀と二人手に手をとって振るえながら。

「琥珀、いいかげんうるさいと思わないか?」
「……嫌ですよ、アレのテンションを吸い取るのは」
「少し大人しくできれば」
「い・や・で・す。僕にも選ぶ権利があると思います」

家を出なければいけない時間などとっくに過ぎ去り、遅刻は決定、どうせなら休んでしまえ、と言った心境になった頃、言い合いに疲れたのか姉とばあやは同時に水分補給をしていた。

「ここでこうやっていても埒があかないから、とりあえずその本家とやらに行ってこい、つーか、行け」

エリックさんに笑顔で迫る。こんなバトルを日常生活に取り入れられたら、たまったものじゃない。私は琥珀と二人で静かにゆったりと暮らしていたのに。

「だめです、そんなの。今度こそ絶対監禁されます」
「根性でくぐりぬけてくれ」

疲弊した私はエリックさんの言葉を一笑にふしてみる。だけど、いつになく真剣な顔をしたエリックさんが涙目で訴えてくる。

「ばあやたちのしつこさを知らないからそんなことを言うんですよ!」

ここから愚痴モードに入ってしまったエリックさんの独白会が始まってしまった。
ぶつぶつぶつぶつ幼い頃からのうっぷんを、それでも彼らしく小さな声で吐き出す彼は、完全にどこか遠くの世界へ旅立ったような目をしている。ネガティブな言葉を延々と聞かされるとこちらまで気分が滅入ってきてしまう。うんざりした私と、マイナスのオーラにあてられたかぐったりした琥珀と、なぜだか妻の根性なのか涙目でうんうんと頷いている姉。廉は琥珀の背中ですやすやと寝入っている。やっぱりこの子は将来大物になるに違いない。こんなに不穏な空気の中で昼寝ができるなんて。

「だから!!僕は帰りません。紫さんとの結婚を認めるまでは帰らないったら、帰らないんです!」

最後はなんとか腹から声をだして、ばあやとやらに言い切ることができた。
ここまでなんと長かったことか。時計の針はすでに1時を指している。琥珀が作ってくれたお弁当も今日は家で食べる事になりそうだ。

「ぼっちゃまの決意が硬い事はわかりました、ばあやはもう何もいいません」
「わかってくれたの」

嬉々として飛びついたエリックさんの耳にはやはり一筋縄では行かない老女の言葉が突き刺さる。

「大旦那様がお許しになれば、私ども屋敷の人間も、この人をぼっちゃまの妻として認めましょう」

顎が外れるんじゃないかと思うほど愕然とした顔をしている。いや、でもこの人の言う事はとてもとてもまっとうだと思う。いくら反対されるからといって、行き成り行方不明になって、しかも子どもまで作ってしまうのは、やはり反則だと思う。我が家の両親のように、激怒した後、廉君のかわいらしさに骨抜きになってしまうような人間は少ないだろうから、ここはやはりエリックさんの粘り強い交渉が必要とされるだろう。よもや、その大旦那という人が、幼児言葉を使い孫という存在にメロメロになる、のならば別だが。

「僕だけが行くんですかぁぁぁぁ」

実祖父に会いに行くというのに、なんとも情けない声を絞り出している。私と姉の「おまえが行け!!」という無言のメッセージを読み取ったのか、眉尻を下げ、思いっきり縋るような視線を私たち姉妹に注いでくれる。

「あなたのおじいちゃんでしょ」
「それぐらいやらなくてどうするわけ?もう子どもじゃなくて父親でしょ」

姉妹の容赦ない攻撃がエリックさんを襲う。

「でもーー、やっぱり廉君を見せた方が納得すると思うんですよ」

出たな、孫懐柔作戦。あ、実祖父だからひ孫か?
いきなり既成事実を突きつけて、どさくさに納得させようとするのは高齢の方には危ない作戦だと思う。

「あのね、他力本願しないでよ」
「何を言ってるんですか、僕と廉は親子です!!他力じゃないもん」
「もんって、エリックさん。解決する気あります?」

ぷぅと頬を膨らませ抗議するエリックさん。思わず握り締めた拳に力が入る。

「うーーん、でもじわじわ事実を教えるより、一気に教える方が良いかも」
「ねーさん。ねーさんまでそんな乱暴な」

溜息をつきつつ、琥珀を見上げる。琥珀の両目にははっきりと「お断りだ」の文字が浮かんでいた。

02.04.2006
06.07.2007修正
++「Text」++「雨夜の月目次」++「次へ」++「戻る」