雨のち晴れ?第3話

「もう大丈夫なのか?」

ばあやさんが家へ飛び込んで来た時の琥珀の状態は尋常ではなかった。ふと心配になり、琥珀の方へと視線を上げる。だが、そんなことはすでに忘れたとばかりに、うんざりはしているが怯えていない琥珀の顔が見て取れる。

「なんのことですか?」

何を言われているのかわからないといった琥珀は、いつもの穏やかな笑顔を向ける。

「姉のときは慣れるまでに時間がかかったのに、もう平気なのか?」

やっと私が何を言っているのかわかった琥珀は、無駄にうろたえ始める。

「そんなことありましたっけ?」

おかしい、視線がウロウロしている。琥珀は感情表現が豊かなだけあり、隠し事ができない性格なのだ。

「生き血をすするだの…」
「ちょっと驚いただけですよ、翠さん」

僕は何か隠しています、という看板を首からぶら下げているような琥珀が精一杯惚けている。力ずくで吐かせることは可能だが、まあそれは最後の手段にしておこう。穏やかそうに見える笑顔とは相反する不穏当な思考に怖気づいたのか、琥珀が冷や汗を流している。

「…、あまり聞きたくはないが、ひょっとして最近屋敷で変な事が起こっていませんか?」

とりあえずはと、矛先をばあやの方へと向けてみる。案の定彼女は、予想以上の反応を示す。

「なぜそれをご存知なのですか!」

まあびっくりと老女は、こちらを訝しげに睨みつける。
それでも、よほど誰かにぶちまけたかったのか、促すまでもなくぺらぺらと話しはじめた。
曰く、夜な夜な子どもの笑い声が聞こえる、だとか、誰もいないはずの部屋で人の気配がする、だとか、長い髪の女の子が走り去っていく姿をみただとか。まあ、ベタな怪談のような話。

「それって、つまるところ座敷童子じゃないの?」

姉がばあやにつっこみをいれる。琥珀が現れるまでは民話のようなものだと信じてはいなかったが、今なら座敷童子だろうが油すましだろうがその存在を許容できる気がする。

「でも、外国にもそういう類の話はあるのか?」

キラキラ光るエリックさんの頭髪を眺めながら、漠然とした疑問を口にする。どうかんがえても彼の実家は外国だろう。それにしては日本語が流暢だけど。

「あれ?言っていませんでしたか?僕の実家は伊豆にあるんですけど」
「はぁ?」
「故郷が恋しくなったばあ様がじい様を置いて、日本に帰ってきたみたいなんです」
「で、漏れなくじい様もついてきたと…」
「はぁ…。代代女性の方が強いらしくって…、だから、僕は日本生まれの日本育ちですよ。たまたま母がイギリス人だっただけで」

それで彼はクウォーターだったわけね、なんて新事実に驚く。私は驚くほど義理の兄について知らなかったらしい。聞かなかった私が悪いと言われればそれまでだが。

「話がそれたけど」

と、姉が咳払いをして話を元に戻す。

「そうそう、そうなんです。伊豆にあるお屋敷では怪異が続いて、手伝いの者も次々と辞めていく有様で…、大旦那様は床に伏したまま。ぼっちゃまには少しでも早くお顔を見せていただかねば」
「ええ!じい様って本当に病気だったの?」「おかしいですね、アレはイタズラ専門でしたが」

素っ頓狂なエリックさんの言葉と琥珀の意味深な言葉が重なる。
どう考えても怪異の原因を知っているような琥珀の言葉を聞き逃すはずはない、もちろん琥珀はわずかに顔を顰め知らん振りを決め込もうとしていたのだが。

「琥珀、殴られるのと正直に言うのとどちらがいい?」
「僕は何も知りません」
「姉と二人きりでの道場の稽古は、さぞ楽しかろうな」

ヒクヒクとこめかみのあたりをひきつらせ、琥珀の顔色が変化していく。

「面倒なことは嫌いです」
「私もそうだが、上手くすると姉に貸しができるぞ」
「アレは苦手です」

白状したも同然な琥珀にさらに追い討ちをかける。

「で、どちらを選ぶ?」

有無を言わせない私と、廉君を抱っこしたまま壁際に追い詰められる琥珀。
わけもわからないまま3人は、おもしろそうに、哀れみをもって、固唾を飲みながらそれぞれ、私たちを見守っている。
たっぷり数分経過した後、降参した琥珀が洗いざらいを白状することとなった。





「たぶん、牡丹という妖怪かと…」
「最初からわかっていたのだろう?ばあやさんを見て」
「ええ、まあ…」
「どうして最初から言わなかった」
「だってーーー、翠さん。僕アイツが苦手なんですよう」
「まあいい、で、どんなやつなんだ?先日のアレよりはましなんだろうな」

もちろんアレとは金色妖怪1+1だ。あの兄妹の妖怪コンビにはさんざん迷惑を掛けられた。いや、現在進行形だ。姉を気に入った兄はことあるごとに私の前へ現れては、姉のところへいって玉砕している。妹の方はさすがにその姿をみることはないが、それでもエリックさんのことを完全に諦めてはいないらしい。まったくもって、迷惑極まりない。私の平穏な生活が崩れていくのをただ指をくわえてみているだけしかできないのが悔しい。

「ましというか、基本的には害はないですよ。得もないですけど」
「座敷わらしじゃあないのか?」
「そんなにいいものじゃないです。ただ家に住み着いてからかって遊ぶだけの妖怪ですから」
「何も食べない?」
「さぁ、多少の生気はいただくかもしれませんが、それでどうこうなったっていうのは聞いたことがないです」
「で、どうすれば出て行ってくれる?」
「飽きれば今日にでも」
「飽きなければ?」
「永遠に」

私たちの会話が理解できないのか、ばあやさんは呆けたような顔をしている。それは当然で、いきなりあなたの家には妖怪がいます、なんて言われてもこちらが頭のおかしい人間扱いをされておしまいだろう。だから私はできるだけにこやかにこの人に恩を売ることに決めたのだ。姉に対する態度が柔らかくなることを願う妹心から。

「大丈夫ですよ、ばあやさん。この琥珀がお払いしてくれるらしいですから」

にーっこり、と現時点で一番現実世界に折り合いがつくであろう言葉に置き換えてみる。

「あの…、こちらの人は神主さんかなにかで?」
「まあ、そんなところです。多少胡散臭いかもしれませんが、腕だけは確かですから」

琥珀の絶叫とエリックさんの悲鳴はこの際無視するとして、私たちはなんとなくエリックさんの実家へと行く事になった。

02.07.2006
06.08.2007修正
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