雨のち晴れ?第1話

「ぼっちゃまーーーーー」

 平和な平和な佐伯家の食卓に、なにやら不気味な声がこだまする。
玄関から響いてくるその呼び声に、びくりと二人の人間(?)が反応した。
一人は姉の夫であり、ただの居候ともいうエリックさん。大好物の琥珀特製出汁巻き卵を思わず箸から落としてしまううろたえようだ。もう一人は、嗄れ声が聞こえるたびに顔がひきつっていく琥珀。正確には妖怪だから、一人とはいえないかもしれないけれど。ともかく、琥珀が姉と初めて会ったときのような反応を示している。

「客か?」

興味なさそうにご飯をかきこんでいる姉、とただひたすら怯えている男二人がいつまでたっても玄関へ行こうとしないため、仕方なくここは私がと立ち上がる。

「駄目です!!翠さん。食べられちゃいますぅ」

涙目になってわけのわからないことを言い募る琥珀を置き去りにする。
曇りガラスの引き戸には、人にしてはやけに小さな影がうつりこんでいる。
おもむろに鍵を開け、声の主を確認する。

「ぼっちゃま!!!」

開けた途端に、その小さな影は私の隣をすり抜け、人間業とは思えないスピードで朝食を味わっているであろう佐伯家+エリックさんがいる食卓へと走り去っていった。

「私の目をすり抜けるとは…」

舌打ちをしながら振り返ると、食卓の方からエリックさんのなんとも情けない叫び声が聞こえた。それとともに、廉君を見事に抱っこしながら逃げてくる琥珀の姿が目に止まる。

「翠さん、妖怪です。妖怪がきました!」
「妖怪って、琥珀も妖怪だろう。どうしてそんなに怯えている?」
「だめです、あれは夜な夜な若い娘の生き血をすするタイプです、絶対そうです。間違いありません!」

やけにはっきりきっぱりと影の正体を言い募る琥珀にやや圧倒されながら、それでも確認しないわけにはいかない。縋る琥珀を振り切り、食卓の方へと足を進める。姉がいるから、なんとかエリックさんは大丈夫だろうけど、なんてのんきに構えながら。

「ぼっちゃまぁぁぁぁぁ」

小さな影はエリックの足元に座り込みながら、必死の形相で両腕で彼の足をがっちりと抱え込んでいた。なにやらさっきから同じ言葉を繰り返しながら、咽び泣いている。
注意深く確認をすると、その影は、ただの老婆に見えた。いや、琥珀がああいっているから、油断はならないのかもしれない。だが、老人が冷たい床の上に泣きながら座り込んでいる図というのは、こちらが何かしたわけでもないのに、わけもなく罪悪感を感じてしまう。

「あの、申し訳ないが、そのままでは風邪をひいてしまう。椅子に座られた方がいい」

突然口を出した私に驚いたのか、老女は泣くのをやめ、大人しく椅子に座りなおした。やっと開放された形となるエリックさんは、彼女から離れた位置、つまり姉の後ろへと隠れている。もちろん私の背後には琥珀がいるのだが。

「エリックさんの知り合いか?」
「知り合いといわれると、あの?」

もごもごとはっきりしないエリックさんをよそに、大分落ち着いたのか老女が背筋を伸ばしながら答える。

「私はぼっちゃまの乳母でございます」
「「うば???」」

現代日本ではあまり聞きなじみのないその言葉に、姉妹で声を揃えてしまう。次にエリックさんの顔を覗き込むと、彼は困ったような弱ったような顔をしている。

「ぼっちゃまが突然行方不明になられてから、それはそれはお探ししました」
「行方不明??」

ギロリとエリックさんの方へとにらみをきかせる。チョット待ってくれ、姉が行方不明だったように、エリックさんも行き先も知らせずにここにちゃっかり居座っているということか?
なんだか犯罪の片棒を担がされた気がする。

「それほど縁談がお嫌なのでしたら、そうおっしゃってくだされば」
「嘘だ!!ばあやたちは、乗り気だっただろう。逃げなければすぐにでも結婚させる気だったじゃないか!」
「あれほどのお嬢様は今時、なかなかいらっしゃいませんし」
「それに、僕は恋人がいるって言っていたじゃないか、どうしてお見合いなんてさせるのさ」
「それは…、例の小娘でございますか?釣り合わぬは不縁の始まりと申します。家柄の見合わない相手とは認められません」
「そんなものは僕が決める事であって、ばあやたちが決める事じゃないだろう」
「大旦那さまも早くひ孫の顔がみたいとおっしゃっております。最近はとみにお体が弱られて。ぼっちゃまが一日でも早くよき伴侶を娶るようにと」
「だーかーらーー、僕は紫さん以外と結婚する気はないって言ってるだろう。それにあのじい様がそうそう弱るわけないだろう!!僕より丈夫なぐらいなのに!!!」
「大丈夫です、おぼっちゃま、火遊びなどすぐに忘れてしまわれます。今度のお嬢様はそれはそれはお美しくて」

明後日の方向へ突き進み、まるでかみ合わない会話を続けている。エリック君にしてはがんばっていると思う。けれども、火遊びだの小娘だの釣り合わぬだの、こちらの神経をイチイチ刺激してくれる言葉に、姉妹ともに静かな怒りを煮えたぎらせていた。

02.01.2006
06.07.2007修正
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