通り雨第3話

「たのもーーーーーーーーーーーーーーー」

少し懐古的に自分の気持ちに浸っていた中、耳に入り込んできたのは時代錯誤な一言だった。
姉はピクリと片眉を上げ口元には引きつった笑みを浮かべている。
そんな姉の態度を不審に思いながらも、玄関へ行く。
まだ鍵のかかったくもりガラスの引き戸には、あまりこの辺りでは見かけないシルエットの男性が浮かび上がっている。

「どちら様ですか?」

念のため、鍵を開けずに確認をとる。昨今はここらへんも物騒なのだ。

「あの、紫さんはいますか?」

紫と言えば姉のことだが、簡単に返事をするわけにはいかない。

「失礼ですがどちら様ですか?」
「エリックです!!そうやって言っていただければすぐわかります!お願いです、紫さんに取り次いでください」

えりっく…絵理津区、いや、そんな変換ではないだろうな。人生経験上妖怪とは知り合ったが、外国人と知り合う機会などなかったため、酷く戸惑う。
姉に声を掛けた方がイイと、動かない頭で判断した瞬間、後ろから罵声が飛んできた。

「あんたなんか知らないわよ!とっととお帰り!!」

これでは紫はここにいて、あんたの知り合いですよ、と自ら宣言しているようなものだと思うが、どうだろうか。
姉の怒りのボルテージは瞬間マックスまで飛び上がり、当分下がってきそうにない。彼女の子どもはすやすやと眠り、なぜだか琥珀がおぶっている。この状況下で人間外に背負われて泣かない子どもと言うのは、やはり大物になる素質がある、かもしれない。
こんな状況は今まで嫌と言うほど体験してきた。なにせこの人と姉妹をやってきたんだから。現状打破とばかりに、勝手に玄関の鍵を開け、思いっきり引き戸を開く。

 ガラガラという音とともに出現した男の人は、太陽のように眩しい金髪の持ち主だった。

(あーー、あの妖怪とはるぐらい綺麗な色だな。)

そんな感想を抱く。廉君の髪色からねーさんの相手が黒髪以外の人であろうと想像していたからか、さほど驚きを感じない。

「翠、あんた何勝手なことやってんのよ!」

自らの姿が顕になったことに起こっているのか、ボルテージが下がらない姉がわめきだす。
訪ねてきた青年は涙に顔を歪ませながら、彼女の前へと倒れこむようにして縋りつく。

「紫さん、お願いですから帰ってきてください。誤解なんです、誤解。僕には紫さんだけなんですーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

なんとも情けなくも己の思いを吐き出しているこの人にひどい既視感を感じてしまう。
姉の遥か後ろ、廊下の隅っこに赤ちゃんと避難している琥珀に視線を移す。
ああ、姉はコレがあれだから琥珀のことを嫌っていたんだな。琥珀の性質を見つめると誰かさんを思い出すから。

「悪いが、学校へ行きたいのだが」

先ほどから気になってはいたが、とっくに家を出る時間は過ぎているはずだ。
取り立てて真面目とはいえないが、余り頭の良くない私はできるだけ授業には出ておきたい。そうでなくては成績が目の当てられなくなってしまう。

「ちょっと待ってよ翠、あんた責任もってコレをなんとかしなさいよ」

足元にすがり付いてる金色の人を指差す。

「いや、それは私の管轄外だろう。責任者はねーさん」
「あんたが入れたんでしょう、ここに」
「こんな人知らないし」
「や、私も知らない」

知らないが余程堪えたのだろう、さめざめと泣き出した。
せっかく梅雨が終わったと言うのになんなんだ、この湿度の高さは。

「ともかく、みっともないから家へ入れ」

このままでは余り多いとは言えないご近所さんがたかってきてしまう。行方不明の姉に纏わり付く外国人だなんて、どれだけ想像をたくましくされるか考えるだけで恐ろしい。

気分を変えて、紅茶をいれてきた琥珀はお約束のように私の背中に隠れる。
畳の部屋に金色の人。ひどく不似合いだが、彼はしっかり正座をしている。そういえば、さっきからかなり流暢な日本語を話していた。いったいどういう素性の人間なのだろうか。

「妹の翠です」
「エリックです、初めまして」

お日様のような髪の人はお日様のような笑顔を持っていた。余りにさわやかに微笑まれてしまい、思わず赤面する。
私の隣後ろでしかめっ面であぐらをかいている姉は返事もしない。

「えっと、姉のお知り合いの方ですよね」
「はい!あの、僕のこと聞いてません?」
「ええ、全然」

即答された私の返事にあからさまに凹んでいる。残念だが何も聞いていないのだよ。

「紫さーーん」

涙声で訴えている。

「さわりがなかったら、簡単に自己紹介してくれるとありがたいのだが」

再び泣きが入りそうになったろころでカットする。いいかげん腹が立つ。こういう性格なのは琥珀一人でたくさんだ。

「僕、紫さんの夫で、廉君のパパです」
「ああそう」

予想通りの答えをありがとう。しかし、目の前に正座しているこの人は、駆け落ちしなくてはならないほどの人間には見えない。父親はまあ、頑固だが娘二人には甘かったはずだ。

05.06.2005
06.05.2007修正
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