通り雨第2話

「こわいよう…。じゃなくって、あのですね、翠さんは僕を拾ってくださったんです」
「拾った?」

いちいちねえさんの言葉に威圧されている琥珀を放っておいて、そちらの方向へ話を進めようと心に決めた。

「行き倒れになっているところを助けたんだが」

大袈裟だが、まあ大雑把に言って当たってないこともない。

「そのままいつかれたと?」
「まあ、そんなところだ」

ねえさんは心底呆れたといった風に溜息をつく。

「あんたね、そうやって増えていったものがこの家にどれだけあるの?」

昔から私はモノを拾いやすい性質らしい。以前家にいたインコもそうだし、道端を歩いている亀を拾ったことも、犬を拾ったこともある。そのほとんどが寿命を迎え、現在の我が家には亀を残して存在しないけれども、そうやって拾ってきてはドサクサで飼っていた前科がある。人型のものとそれらが全く同列とは言わないが、同情心を煽られると弱い部分は、人も動物も同じかもしれない。

「それに関しては反論しないが」
「確かにあんた一人で世話をやり通したから、誰も文句言わなかったけどさ」

そこまで呟いて、琥珀の方を指差す。

「これはどうすんのよ、これは」
「どうする、と言われても」

後ろに隠れている琥珀に視線を送る。
このままでいい、とは思っていない。ずっと続くとも思っていない。だからなんとなくもうすこしこの状態で、と思ってしまってもいる。

「僕家事もしますしー、このまま置いてください」

我が家に存在する“食料”に殊のほか執心している彼が弱弱しいながらも懇願する。

「なにかあったらどうするわけ?」
「なにかって、なんだ?」

姉の言っている意味がわからない私は首を傾げるばかり。
姉は突然立ち上がり、琥珀の胸倉を掴んで上半身を軽く固定する。恐ろしいほど気が弱い上に、暴力反対をスローガンにかかげる軟弱妖怪はただただ固まるばかり。

「あんたわかってる?妹に手を出したら承知しないから」

低くドスの聞いた声で琥珀を威嚇する。
ああ、さっきねーさんが聞いたなにかって、なにかなんだな。やっと納得した私は、とりあえず助け舟を出す。

「ねーさん、大丈夫だから、そんなことしなくても琥珀なら相手に困らない」

出会ったときにほのかに気が付いてはいたが、琥珀は美形だ。一昔前の美形というか、目元が涼やかなあっさり顔の美人顔。しかも、背も高い上に話さなければ彼の気の弱さは露呈しない。いくらでも見た目だけで騙せるだろう。現に、金色妖怪のところへ案内させるために学校まで来てもらったことがあるが、目ざとく女子生徒がそれを見つけ、執拗に紹介しろと迫られている。最初にあれは恋人ではないと言ってしまったが最後、しつこいほど彼女達は食い下がる。それだけ琥珀は人を惹き付ける美貌を持ち合わせているのだろう。

「あんたね、私に似て美人なんだから、少しは自覚をもちなさい」

琥珀から手を離し、居ずまいを正す。開放された彼は素早く私の後ろへ逃げこむ。

「まあ、その様子じゃあ、大丈夫みたいだけど」

私もそれには無言で頷く。

「琥珀はなぜ姉がそれほど怖いのだ?」

怒ったところは普通に怖いが、特別背が高いわけでも顔が怖いわけでもない。

「私と姉は顔も体型が似ているからそう恐ろしいものでもないと思うが」

今は化粧をしているし、髪の色も異なるのでぱっと見わからないが、私達姉妹はよく似ているらしい。親戚も友人も口を開けば「紫ちゃんに似てきたね」としか言わないのだから、確かに私達は似ているのだろう。

「ぜんっぜん、似てません!!!」

なので、こんな風にはっきりきっぱり言ってのける人間、ではないが、にははじめてお目にかかる。

「顔立ちは、まあ、似ているかもしれませんが、オーラが全然違います!第一翠さんはおいしそうで、この人はまずそうです」

アホなことを口走った妖怪は即効で顔面にストレートパンチを食らっていた。私ですら防ぎきれなかった技の速さに、彼女が今も鍛錬を欠かさないことを知る。
やっぱりこんなやつは捨てましょう、そう言いながら本気でゴミ袋に詰めそうな姉を説得するのにそれから数時間を要した。
そうして琥珀は本格的に姉のことが嫌いに、姉は琥珀のことを胡散臭く思ったようだ。
この騒がしさはいったい何時まで続くのだろうか。





 朝起きて台所に行き、食卓につくと、すでに姉は食事を済ませていた。満足そうな顔をして。

「上げ膳据え膳っていいわねぇ、やっぱり」

ほう、と溜息をつきながらお茶をすすっている。あなたがここにいたころは家事一切しなかったという記憶があるが、男と暮らして多少はやるようにやったのだろうか。
軽い疑問符を頭に浮かべながら琥珀の朝食を待つ。
きちんと出汁をとった味噌汁に卵焼きに、なぜだか琥珀が漬けたという浅漬けまで食卓に上っている。彼が来て、確実に私の食生活は豊かになっている。

「あんたは食べないの?」

卵を掴んだ手がギクリと振るえる。危うく箸から滑り落ちそうになる。

「僕はいただきましたから」

ニッコリと微笑む。
何を食べたか言わないところが彼の進歩かもしれない。そのまま言うな、ややこしくなるから。

「で、あんたのお弁当まで作ってるわけね」

すでに詰め込まれかわいらしい布で包まれているお弁当箱を指差す。

「…、琥珀のごはんはおいしいから」
「まあ、確かに」

現実に琥珀のご飯を味わった姉は納得した顔をしている。
そっと、箸置きに箸をおき、手を合わせた後、琥珀に質問する。

「琥珀は姉には慣れたのか?」

一拍置いた後、多少引きつった顔をして頷く琥珀。

「だいぶ………。あれですけど、大丈夫です」

つまり、まずそうですけど、大分慣れましたということだろうか。同じ両親から生まれ、同じような容姿をしているのに、その違いはどこからくるのだろう。

「私は、まあ、無害そうなのは呆れるほど実感したけど、このまま置いておくのは反対よ」

反射的に顔を彼女の方に向け、その真意を探る。

「琥珀が誰かは聞かないけど、正体不明なのは確かだからね」

私は湯飲みから立ち上る湯気を眺めながらどう答えようかと思案する。
でも、私よりも先に返事をしたのは、意外なことに琥珀の方だった。

「大丈夫ですよ、そのうち僕出て行きますから」
「出て行く?」

思わず聞き返したのは私。
ここに執着している限り、なんとなく彼はこのままここにいるのだと、そう漠然と考えていた。彼を知るには短い期間だが、そんなことを感じさせないぐらい彼との生活は私に馴染んでしまっている。
もう、元の生活がどうであったかなど思い出せないでいる。
私の戸惑いなど知らぬように、琥珀はこちらへ背中を向けて食器を洗っている。
この不安のモトがどこから湧いてくるのか謀りかねる。

ざわざわ、ざわざわ落ち着かない。

05.02.2005
06.05.2007修正
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