「あ………」
と呟いたまま、その場で固まってしまう。現実に起こった出来事に処理能力が追いついていかない。
たっぷりと何もいなくなった空間を凝視して、少しだけ戻った理性でフルスピードで状況を把握しようとする。
「えっと」
それでも、いくら考えても人間が一人、ましてあれ程大きな人が急にいなくなるなんてことは有り得ない。動揺を抑えるためか、私は机の下や座布団の下などというそれこそ有り得ない場所を探しまくる。私が彼に貸した服だけがむなしく畳の上に投げ出されている。
そうだ、どうだかしらないけど、外へ出たんだ。そう結論づけ、ふすまに手をかけようとした時、不意に頭の中に声が響いた。
『翠さん』
かなり違和感はあるけども、これはさっきまで会話を交わしていたあの男のものだ。
「オイ!おまえはどこにいるんだ!」
せわしなく誰も居ない部屋のあちこちに視線を走らせる。
『目の前ですよ』
「目の前?」
そう言われて視線を固定する。
『もう少し下で』
言われるままに頭を徐々に下へ向ける。
『そう、そのままそのまま、あっと、そこで止めてください』
不思議な声に促されるまま、顔を向けたその先には、1羽の黄色いオカメインコがチョコンと存在していた。
「イ、ンコ?」
目の前に現れた余りにも理不尽な存在に、本格的に腰を抜かしてしまう。なんとか悲鳴をあげるのを耐えただけでも誉めてもらいたいぐらいだ。
「しかも、オカメ」
そう、オカメインコだ。クリーム色の身体に丸くて赤いほっぺがラブリーな。私の一番好きなインコ。
『わかってもらえました?』
「なにを!」
大好きな動物を目の前にしてどこかで頭の回線が繋がったのか、それでも腰を抜かしたままつっこみをしてしまう。
『妖怪だってこと』
「はぁ?」
つながらない、まったくもってつながらない。妖怪と言えば狐や狸とかのっぺらぼうとかそういった類のものではないのか?なんだ、この目の前の無駄にかわいい姿は。
「猫かカラスだろう!妖怪といったら」
その疑問点は今の状態を改善するにはなんら効果を発しないとわかってはいるのに、あまりな出来事に妙なポイントに怒りを爆発させる。
『そんな!こっちの方がかわいいじゃないですか!僕は可愛いものが好きなんです』
突き抜けた非日常に、なぜだかインコと会話を交わすといった不自然をうっかり受け入れてしまっている。
『それに、翠さんコレ好きでしょ?』
私の趣味を言い当てられて、思わず黙り込んでしまう。飼っていた文鳥が死んで、次はオカメインコか子桜インコをぜひ、と狙っていたのは事実だったから、
『で、信じてもらえました』
非常識もゲージを振り切ってしまえば常識になる。
私は畳の上でこちらを覗き込む一羽のインコに向って、コクコクと首を振って頷いてしまっていた。
再び人間の形に戻った彼は、お約束のごとく素っ裸で表れ、私の拳を顔面に受けていた。
妖怪だと言い張るくせに、簡単に当てられるだなんて不甲斐ない。
「で、なんでここにいるんだ?」
「なんでって、翠さんに連れてこられて」
相変わらずピチピチの借り物を身に付けた彼は、そんなことをほざく。
「いや、確かにここに連れて来たのは私だけど、どうしてこの街にいるのかってこと」
「ああ、そっちですか」
入れなおしたお茶を美味しそうに飲みながら、すっかり寛いだ様子をみせる。
「実は、こちらに同類の匂いを感じまして」
「匂い?」
「ええ、行く宛てもないですし、暇つぶしに様子を見ようかな、なんて」
なんともいいかげんな理由に脱力する。コイツ以外の妖怪がいるって言うのが嫌な話だが。
「で、どうするんだ?」
「そうですね、別に無理してみたいってわけでもないですし」
何か今とてつもなく嫌な予感がしたぞ。こういうのを第六感っていうのだろうか。
「ここにおいてもらえませんか?」
「断る」
即答しておいて、ため息をつく。やっぱり、というか、昔からこうだ。妙な奴に懐かれる。
「割と役に立ちますよ、僕。食費もかかりませんし」
未成年の女生徒の家に男はまずいだろう、中身がこれでも。
「食費がかからない?じゃあ、何を食べるんだ?おまえは」
やっぱりそんなところに疑問をもつべきではなく、もっと根本から否定しなくてはならないのに、つい目の前でお茶を飲んでいる彼に疑問を抱いてそんな質問をしてしまう。
「食べることはできますよ。美味しいものは好きですし。でも、食べなくても平気です」
「どれぐらい?」
「さあ?たぶん人間の食料といわれるものは口にしなくても大丈夫ですね」
「じゃあ、どうやって維持してるんだ?その身体」
妖怪、だといつの間にか納得している、物体の身体と人間の身体ではシステムそのものが異なるのだろうか。外見が似ているだけに想像がつかない。
「私の場合は思念、のようなものですかね、言葉にすると」
「シネン?」
「はい、まあ、もっと簡単に言うと“思い”でしょうか」
「……重い?」
「今漢字が違ったような気がしますが、思いですよ。誰かを好きになったり嫌いになったり、憧れたり恨んだり」
「その思い?」
「そうです、人間が人間を思うエネルギーって、思いのほか強いんですよ。だからそれらのおこぼれをおすそ分けしてもらっているわけでして」
「お裾分けって。おまえが食ったりしたら思いは消えるのか?」
「いえ、消えたりはしませんよ。頭から駄々漏れしているものをちょっともらう程度で十分です」
「ダダ漏れって」
「それほど人間はエネルギーに溢れている、ということです」
「はあ」
聞いてげんなりしてしまった。溢れ出すほど活発な思いと、それを掠め取る妖怪なんて知らない方が良かったかもしれない。
でも、そういう構造になっているのなら、こいつって人間がいなくなったら存在できなくなるのか?などという彼の存在を受け入れたことを前提とする疑問が思い浮かんでしまう。
「共存共栄です」
またしても思考を先読みするように言葉を交わす。