03
「あ・・・・・・」
「おまえか」
二度と会うことはないと思っていた人物に偶然出くわしてしまった二人は、同時に驚きながら吉井は少しうんざりといった表情をわざとらしく作り上げる。
まさにこれから、といった様子でカレーをスプーンですくいあげていた由香子は、一瞬の後その手を休めにこやかに手招きをする。
「おまえのところからここは遠いだろう」
「ここのカレーが一番おいしい」
進められるままに隣の席へと腰掛ける。いくつか有る食堂のうち工学部に程近いこの食堂は、男子学生の割合が非常に高く、そのせいか食堂のメニューはどれもボリュームのあるものとなっている。由香子が生息する場から最も近い食堂、といよりもカフェテラスはここよりも遥かに高く、そしておしゃれでおいしい料理を提供しているはずだ、もちろんその量においてもこことは比較にならないほど少ないのだけれど。わざわざ女性である由香子がこんなにむさくるしい場所などに来る必要はないはずだ。そんな吉井の疑問など意に返す風でもなく、あっさりと単純明快な答えを述べた由香子は、着席したと同時に食べ始めていた。
「多いだろ?ここの」
「ちょうどいいけど?なんか、あっちってこじゃれているけど量が少ないし」
「お前のその体にどうしてそんな量の食料が飲み込まれていくのか理解できん」
「燃費悪いからなー、私」
どちらかというと小さくてやせっぽちな由香子は、前回でも驚いたことによく食べる。ゆっくり少量ずつ口へと運びながらも、結局最後には相当な量をたいらげることになる。知ってはいたものの、再びその食欲ぶりを見せ付けられ、30を越えた吉井は僅かに食欲をそがれる思いがした。
「そういえば、覚えてたんだ」
「いくらなんでも忘れる方がばかだろ」
「ふーん、少しは興味もってくれたんかい」
「その食欲がどこから湧いてくるか好奇心を覚えるぐらいにはな」
半分以上を食べ進めていた由香子がけらけらと笑う。
男ばかりの食堂で、彼女の姿は異質であり、その声すらどこかここでは注目をされている。現に、顔は知ってはいるものの名前はしらない他講座の学生が、こちらの方をちらちらと盗み見ている。僅かに居心地の悪さを覚えながらも、仕方なしにうどんを口へと運ぶ。
「そんな量で足りるの?自分こそ」
「充分だろ?それに胃に血液が集中しすぎると頭の働きが鈍るぞ」
「私はお腹がすいて動けなくなる」
「動物と同じだな、まるで」
「人間も動物」
「おまえほど本能のまま動いちゃいないんだよ、普通」
「知りもしないくせ」
「知りたくもないけどな」
第三者が聞けばどこか厳しいやり取りなのに、二人の間には緊張した雰囲気などまるでなく、「こんにちは」「さようなら」と挨拶を述べ合っているかのように会話が続いていく。
「そういえば、部屋は?」
「・・・・・・現状維持」
「その微妙な間が気になる。っていうか、絶対カオスっしょ?」
「違う、かもしれないし、そうかもしれないが、お前には関係ない」
「ああ、カオスなのね。掃除できない人だ」
「決め付けるな、別に掃除が嫌いなわけじゃない」
「やっぱ、元の木阿弥」
「お前って、言いたかないけど言葉のセンスが年寄りくさいよな」
「おばあちゃん子だからね、って、そうかやっぱり戻ったか」
「・・・・・・」
「正直に言えばいいのに」
「だから何なんだ?関係ないだろうが」
「まあ、これっぽっちも本当にまったく関係ないけど」
「だったら」
「掃除してあげようか?」
「は?」
あんなに小さい一口でいつあのカレーの山を食べ終えるのかと興味深く見守っていた吉井は、憎まれ口をたたきあっている間にも、その山がいつのまにか忽然と消え、からっぽの皿と綺麗なスプーンが添えられているのを見て驚く。自分の方の食事は先ほどから一向に進んでおらず、にやにやと由香子が見つめる中、居心地が悪い思いで、もう冷めてしまったうどんを食べ進める。
「整理整頓が苦手なわりには、そういうところで過ごすことに慣れてないっしょ?」
「別に苦手なわけじゃ」
「じゃあ、時間がないってことにしといてあげる」
「イマイチ不服だが、そういうことだ」
「だから、それを手伝ってあげるって言ってんの」
「俺のところにはそんなものに裂く予算はない」
「まともに雇えって言っているわけじゃないって。週に一回一時間死なない程度に掃除してあげようかってこと」
「週に一回?」
「そう。週に一回私がそっちへ行って整理整頓をしてあげて、そっちも幸せ、で、そのお礼に夕ご飯をおごってもらって由香子ちゃんも幸せ」
「そういうことか」
「ほら、いい話」
「おまえはそんなに暇なのか」
「暇と言うか退屈と言うか、文系大学院は思考の時間も立派な学問であります」
「そういうのは屁理屈っていうがな、普通」
「で?どうする?雇うの?雇わないの?結構おいしい話だと思うけどなぁ?」
由香子のどこかこちらをからかっているような表情と、先ほどまで自分がいた部屋の有様を天秤に掛け、結局のところ吉井准教授は、澤田由香子の提案を了承することとなる。思った以上に自分の部屋の様子がストレス元となっていたことを思い知るとともに、全く関係のない女学生と、週に一度とはいえ定期的に交流をもってしまうことに納得してしまった自分の心境を図りかねていた。
どこか他人を避けつづけていた自分にとって、これをきっかけに変化が訪れてしまうことを恐れながら。