■音は意外と厄介な代物です。 |
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なぜなら、人の耳は、頭と直結していて、この賢い(?)頭が音を整理してしまうからです。また逆に、音に関しては頭はだまされ易いのです。
例1) 街中の雑踏の中で、友達と話をしていても、周りの音は気にならず話の内容が理解できています。また、大きな音でカラオケがわめいていても(失礼)、隣の人と話は何とかできます。
―――――頭の中で音が整理されています。
例2) 講演会にテープレコーダーを持っていって録音したのにザワザワしてよく聞き取れない。会場ではちゃんと聞こえていたのに、おかしいなあ・・・・。
―――――機械は人の耳のように都合の良いように整理しないのです。物理的に正直(バカ正直)に録ってしまいます。
例3) 皆さんがステレオ装置で音楽を聞いたときに、左右2台のスピーカーしかないのにスピーカーの無い中央からも音が聞こえてきます。
―――――この場合、左右のスピーカーから同じ大きさの音が同じ位相で出ています。人は右左別々のスピーカーから同じ音が出ているとは感じないのです。少し左に寄った音の場合は左側の音が右側の音よりも大きいバランスで出ているのです。だまされている例です。
例4) 同じ曲を聞いても、違ったように聞こえる事がある。−−−人間には感情があり、同じ曲を聞いても、悲しい事があった時、焦っている時、ゆったりした気分の時、それぞれ微妙に印象が違うはずです。また逆に同じCDを聞いても、辛いときに聞いた曲に勇気付けられることがあったりします。
―――――人間の聴覚とはもうひとつ別の問題、メンタルな問題です。
例5) 演奏をしたAさんは「この録音は変だ。自分の音じゃないみたいだ。」と思っていても、録音現場にいなかった友達のBさんは「なかなかいい演奏だ」という。また、ある録音を聞いた録音エンジニアのCさんは「へたくそ録音だな」思っていても、普通のサラリーマンのDさんは「別にこんなもんでしょ」、さらには「よく分からん」という。これが実はほとんどです。しかしどんな人が聞くか分からないので手を抜くわけにはいかないのです。
―――――音を聞く能力に違いがあったり、スタンスが違ったりします。
例6) テレビを買いにいらっしゃったお客様は「こっちのテレビがきれいだ」とか、「こっちのほうは色が濃い」などと、少しの違いでもごく自然に批評するのに、ミニコンポの方は、音そのものが肝心なのに、デザインや機能に批評が集中する。
―――――目に見えるもののほうが、違いがわかり易い様である。そう、当たり前ですが、音は目に見えないのです。
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■録音は結構大変なんです。 |
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マイクをセットするにしても、マイクの種類、本数、向き、楽器などの音源との距離など決めなければならない事が山ほどあるのです。ある程度の原則はあるものの、マイクも恐らくこの世の中に数千本存在するし、向き、距離などというものは無限に存在するわけで、その中から理想的なセッティングをするという事は、まさに神業としかいいようが無いのです。
さらに、録音を完成するためには、まだまだしなければならない事がたくさんあります。たくさんの楽器を別々に録音していればそのバランス、音に色付けをするのかしないのか、また、するならどんな機材を使ってどんな色にどの程度するかとか、音の大きさはどうするのか、などなど頭がいたいのです。
録音をしたものを聞く形態は大きく分けて3つ有ります。1つはその演奏現場にいなかった人が聞く場合。いた人にも再度聞いてもらう場合。以上の2つは演奏者以外の人が聞く場合。3つ目はは演奏者自身が聞く場合です。
前項の(例5)にもありますように、この3つの場合にも聞こえ方が違うのです。この三者が100%満足できる録音をするのは事実上不可能です。しかし、出来る限り理想に近づける努力は必要だと思います。逆に、特定の人だけが満足すれば良いのであれば、簡単?。意外とそうでもなく、こだわりの人がいたりして、録音エンジニアと意見が合わなかったりもします。
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■なぜ、厄介で大変なことをするのか。 |
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確かに録音をまじめに考えると大変な事ですが、私がなぜ録音をするかというと、「実在の無いもの」が「残る」からです。勿論、絵画や写真、本などといったもの、あるいは建築物など、世の中のほとんどのものが「残る」ものではあり、実在するものです。しかし、音というのはその音が出た瞬間に消え去ってしまいます。それを聞いた人、あるいは演奏した人はその「時間」感動したりするわけです。そして、音楽を聞いた後しばらくは余韻が残りますが、時と共にそのとき感動した事は頭に残っていても、音そのものはだんだんと忘れられていきます。
その演奏はその時にしか存在しません。録音は「もどき」ですが「もどき」であるがゆえに少しでもその「時間」がもう一度感じられるよう、努力を惜しまないのです。せっかく録音するのですから、後でその音を聞いたときに、後悔の無いようにしているだけです。今は亡き指揮者「カラヤン」が、レコード(※1)やCD(※2)、そして、まだビデオそのものが珍しい頃からビデオに記録する事やレコード、CDを残すことに積極的だったことは、この事を物語っているような気がします。
※1 その昔にはSP盤、そしてLP盤やドーナツ盤がありました。20代の人は見た事無いと思いますが。
※2 ソニーの故盛田会長がCDの開発中に、収録時間をにカラヤンに相談した際、「74分なら自分の(ベートーベーンの)第九が納まるからOK」と言った話は有名。
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冒頭から、厄介だとか大変だとか、難しそうなことを言って申し訳ありません。しかもこのページは文字だけ。この後から本題ですので、もう少し我慢してください。
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