古典棋譜鑑賞 秀策16

16嘉永4年6月3日 1851 先 関山 仙太夫 本因坊 秀策 白中押 文武両道の関山仙太夫との20番碁の第1局
関山仙太夫は、徳川囲碁史を通じて最強のアマ碁客である。信州松代真田藩の武士で、少年の頃から本因坊家に入門し12世丈和に学んだ。「日本囲碁大系10丈和」に丈和との2子局を掲載しており、秀策との20番碁についても触れているので参照して下さい。
smile_aceがまず棋譜を見て感じたことを左の碁盤の下の余白に表示してみました。>(前進)や<(後退)で動かして下さい。
そして、
 「日本囲碁大系 第15巻 秀策 解説 石田芳夫」
 「古典名局選集 秀麗秀策 解説 福井正明」
を参考に変化図も加えて 鑑賞ファィル を作ってみました。
左の碁盤では変化図を表示することが出来ないので、変化図や石田九段の解説を見る為に、出来るだけPocketGobanで鑑賞ファィルを見ることをお薦めします。

smile_aceの感想は石田九段の解説を見る前と見た後にあり、どちらか分かる様にしています。 両方見ると、smile_aceの棋力が分かるかも知れません。
 「***smile_ace感想」は石田九段の解説を見る前の感想です。
 「***smile_aceコメント」は石田九段の解説を見た後の感想です。

ご意見、ご質問等を是非 smile_aceの囲碁のページ メッセージボード に残して下さい。必ず返事をします。

古典棋譜鑑賞 秀策17

17嘉永4年11月17日
 御城碁第5局
1851 先番 本因坊 秀策 林 門入 黒7目 林家12世門入との御城碁
天保の碁界における三美男の一人第12世林門入との御城碁である。 門入は美少年の名が高く、歌舞伎の成田屋海老蔵が役者にしようと、養子に貰おうとしたことがあるという。7段だが、「力、段に及ばず」と言われ、秀和との早打ちで1日に4局打ち、2勝2敗という記録以外は、特筆すべき成績を残していない。この碁も黒7目勝ちとは言え、手合い違いと言われそうな碁の様だ。
smile_aceがまず棋譜を見て感じたことを左の碁盤の下の余白に表示してみました。>(前進)や<(後退)で動かして下さい。
そして、「日本囲碁大系 第15巻 秀策 解説 石田芳夫」を参考に変化図も加えて 鑑賞ファィル を作ってみました。
左の碁盤では変化図を表示することが出来ないので、変化図や石田九段の解説を見る為に、出来るだけPocketGobanで鑑賞ファィルを見ることをお薦めします。

smile_aceの感想は石田九段の解説を見る前と見た後にあり、どちらか分かる様にしています。 両方見ると、smile_aceの棋力が分かるかも知れません。
 「***smile_ace感想」は石田九段の解説を見る前の感想です。
 「***smile_aceコメント」は石田九段の解説を見た後の感想です。

ご意見、ご質問等を是非 smile_aceの囲碁のページ メッセージボード に残して下さい。必ず返事をします。

古典棋譜鑑賞 秀策18

18嘉永5年11月17日
 御城碁第7局
1852 先 井上 因碩 本因坊 秀策 白2目 13世井上因碩、松本錦四郎との御城碁(先相先の白番)
13世井上因碩の松本錦四郎は秀策より3歳年長の5段。
本因坊秀和が、有り余る力を持ちながら名人碁所になれなかったのは、この男の反対が原因であった。文久元年の御城碁で秀和に1目勝ちしたことを理由にしてのことである。この碁は碁所就位を果たせなかった幻庵因碩の怨霊がとりついた様に、ヨセを一手も誤まらなかったという。
この碁は日本囲碁大系14秀和に収録されている。鑑賞が楽しみである。
smile_aceがまず棋譜を見て感じたことを左の碁盤の下の余白に表示してみました。>(前進)や<(後退)で動かして下さい。
そして、
 「日本囲碁大系 第15巻 秀策 解説 石田芳夫」
 「古典名局選集 秀麗秀策 解説 福井正明」
を参考に変化図も加えて 鑑賞ファィル を作ってみました。
左の碁盤では変化図を表示することが出来ないので、変化図や石田九段の解説を見る為に、出来るだけPocketGobanで鑑賞ファィルを見ることをお薦めします。

smile_aceの感想は石田九段の解説を見る前と見た後にあり、どちらか分かる様にしています。 両方見ると、smile_aceの棋力が分かるかも知れません。
 「***smile_ace感想」は石田九段の解説を見る前の感想です。
 「***smile_aceコメント」は石田九段の解説を見た後の感想です。

ご意見、ご質問等を是非 smile_aceの囲碁のページ メッセージボード に残して下さい。必ず返事をします。

古典棋譜鑑賞 秀策19

19嘉永6年2月5日 1853 先番 太田 雄蔵 本因坊 秀策 白2目 秀策が8年がかりで互先に追いついた生涯の好敵手太田雄蔵との30番碁の第3局
秀策の生涯の好敵手は太田雄蔵である。8年がかりで互先に追いついた時点での30番碁を死力を尽くして戦ったのをはじめ、遺譜は86局がある。本局は30番碁の第3局で1勝1敗後の第3局である。
日本囲碁大系13に雄蔵の棋譜12局があり、秀策との碁も1局掲載されている。いずれ、鑑賞するつもりである。
smile_aceがまず棋譜を見て感じたことを左の碁盤の下の余白に表示してみました。>(前進)や<(後退)で動かして下さい。
そして、「日本囲碁大系 第15巻 秀策 解説 石田芳夫」を参考に変化図も加えて 鑑賞ファィル を作ってみました。
左の碁盤では変化図を表示することが出来ないので、変化図や石田九段の解説を見る為に、出来るだけPocketGobanで鑑賞ファィルを見ることをお薦めします。

smile_aceの感想は石田九段の解説を見る前と見た後にあり、どちらか分かる様にしています。 両方見ると、smile_aceの棋力が分かるかも知れません。
 「***smile_ace感想」は石田九段の解説を見る前の感想です。
 「***smile_aceコメント」は石田九段の解説を見た後の感想です。

ご意見、ご質問等を是非 smile_aceの囲碁のページ メッセージボード に残して下さい。必ず返事をします。

古典棋譜鑑賞 秀策20

20嘉永6年6月21日 1853 先番 太田 雄蔵 本因坊 秀策 白3目 太田雄蔵を先相先に打ち込んだ30番碁の第17局
「白面朱唇、眉秀で、瞳涼しく、漆黒の頭髪豊かに結びたる一個の好男子」の雄蔵は「御扶持は望むところにあらず、御城碁に列し得ざるも亦可なり。唯願わくば剃髪せずして七段を得ん。」と七段になる時に条件をつけ、聞き入れられた。そして、剃髪してないので七段でも御城碁には出ずじまいだった。 剃髪してないと御城碁に出られないというのはsmile_aceも納得出来ないし、江戸前の粋人雄蔵も同様だったのだろう。逆に、そんなことがあったからこそ、30番碁が企画されたと解すればよいかもしれない。
smile_aceがまず棋譜を見て感じたことを左の碁盤の下の余白に表示してみました。>(前進)や<(後退)で動かして下さい。
そして、
 「日本囲碁大系 第15巻 秀策 解説 石田芳夫」
 「古典名局選集 秀麗秀策 解説 福井正明」
を参考に変化図も加えて 鑑賞ファィル を作ってみました。
左の碁盤では変化図を表示することが出来ないので、変化図や石田九段の解説を見る為に、出来るだけPocketGobanで鑑賞ファィルを見ることをお薦めします。

smile_aceの感想は石田九段の解説を見る前と見た後にあり、どちらか分かる様にしています。 両方見ると、smile_aceの棋力が分かるかも知れません。
 「***smile_ace感想」は石田九段の解説を見る前の感想です。
 「***smile_aceコメント」は石田九段の解説を見た後の感想です。

ご意見、ご質問等を是非 smile_aceの囲碁のページ メッセージボード に残して下さい。必ず返事をします。