スポーツに商業主義を詰め込んだ結果

 自動車業界にあって、レースとは製品の公開試験を行う場であったから、最初からコマーシャリズムが前面に出ていたが、

何処から見ても一目で分かるメルセデス。1998年ル・マンの予選で、トヨタ TS-020(写真は翌年モデル)と

速さで肩を並べるクルマであった。尤も本戦では、パワステのハイドロ系が壊れて2時間の寿命だったが。

(トヨタも終盤にミッションのトラブルで命運尽きる)

写真を見て、タイヤが正円なのを確認して欲しい。けして写真を縦に潰しているのではない。何しろ背が低いのだ。

1999年ル・マンでは車両規則が大幅に変わったので(タイヤ幅とコーナリーング特性には密接な関係があるが、

新規則で5センチもタイヤ幅を削られた。この損失は100馬力に相当) GTカーは不利だったが、コーポレート・イメージに

拘って、「何処から見てもメルセデス」が捨てられなかった。それでCLKにも増して背を潰して低ドラッグにしたのが、

問題のCLRである。そのためボンネットで得るべきダウンフォースが得られず、予選の時から丘で二回も跳んだ。

CLKには装備されたサードダンパーがCLRの薄いフロントには入らなかった。(低ダウンフォースのクルマほどサスの性能に

拘るべきだが、「カーブは眼中無し」として削られたという経緯もある。空気抵抗対策と引き換えだった) 

そのためにポーポーイズが やたらと激しかった。そして、運命の「その時」を迎える事になるのだ。

                                                             (Fulcrum 著)