■山形交通三山線                              寒河江市・西川町
    羽前高松−間沢 11.4q         

       廃線跡の今

三山線に最後の鉄音が響いたのは1974年11月。
かつての沿線の景色はどうなっただろうか...。
廃線から30年余り。
人々の記憶から遠ざかろうとしている三山線の
廃線跡を辿った。



■起点 羽前高松駅


 左沢線との乗り換え駅

 三山線の起点、羽前高松駅。国鉄左沢線(現JR左沢線)の途中駅で、乗り換えの駅としてにぎわいを見せていた。活躍華やかな頃の写真では、スキー板をかついだ若者たちでホームがいっぱいになっている様子などが見られ、当時のにぎわいがうかがえる。
 廃線後、三山線の駅舎とホームは撤去され、国鉄(現JR)の駅舎、ホームだけが残る。現在のJR高松駅は貨物の取り扱いも廃止され、無人駅となったため、駅周辺はひっそりとして当時のにぎわいはなくなってしまった。
 JRの駅舎に入ってみると、壁に三山線の電車らしき写真が飾ってあった。現役を知る関係者によって飾られたものだろうか。


 面影消え、自転車小屋に

 三山線のホームがあった場所の一部は、通学の高校生たちが利用する自転車小屋になっている。
 また、自転車小屋とJR駅舎の間に、鉄道誘致にも尽力した地元の有力議員の碑が立っているが、この辺りに三山線の駅舎があった。
 間沢方面へと延びていたかつての線路跡はさら地になっていて、かつての面影はもうない。
 
 JR左沢線のディーゼルカーがけたたましい音をとともに入線して来た。乗降客はなく、まもなくホームを離れて行った。
 再び、辺りに静寂が戻った。


(左)右に左沢線のディーゼル車、左に三山線の電車が停車する往年の羽前高松駅ホーム (C)www.FreightCar.jp
(右)左の写真とほぼ同じ場所。廃線から30年以上の歳月を経た羽前高松駅。三山線の駅舎、ホームは消え、自転車置き場となった。現役のJRの駅舎とホームだけが残る。
=2007年4月6日

(左)三山線ホームから西方向を望む。左側に見えるのは国鉄左沢線の線路。 (C)www.FreightCar.jp
(右)2007年の様子
夏には草が生い茂る空地のまま=2007年4月6日   













本線と引込み線が分かれるポイント付近の溝。
(上の左写真に映っている電車手前の溝)


 
三山線駅舎正面の看板

 当時を偲ぶ建物や風景はほとんどなくなってしまった駅周辺だが、三山線の羽前高松駅正面側の看板と思われるものが、月山湖水の文化館内の壁に無造作に立てかけられていた。30年以上も前のものなので状態は決して良くはないが、大変貴重な資料。その後の保管状況などは不明2007年5月6日撮影



■水路跨ぐ“鉄橋”跡


 
高松駅からかつての軌道わきを歩いて行くと、三山線の遺構が残っている。幅1mほどの小さな水路に架けられた錆びた鉄骨構造物で、コンクリート製の土台とともに、恐らく当時のまま。
 周辺は耕地や住宅になり遺構はほとんど見られないが、この鉄橋跡は廃線から30年以上の年月を経ているにもかかわらず、まるで時代に取り残されたよう。


高松駅を出てほどなく姿を見せる鉄橋跡。左写真は高松側から撮影。







三山広場に展示されている、
当時の鉄橋付近と思
われる写真
(年代不明)=2007年4月8日撮影


存在を後世に...遺構残る「三山広場」


 羽前高松駅と新田停留所跡の中間に「三山広場」がある。
 地域住民の足となって長年愛された鉄道の存在を後世に伝えようと平成10年に設けられたスペースで、管理状態は決して良いとは言えないが貴重な遺構などを見ることができる。
  目を引くのは当時のまま残されている高松堰を跨いでいた小さな鉄橋の橋脚。三山線の廃線跡の位置を特定でき、活躍の時代を感じることができる存在となっている。高松堰は三山線廃止後に改修工事によって流路が変えられてしまったため、現在は鉄橋下に水の流れはないが、堰を渡る鉄音が聞こえてくるようだ。
 また、三山広場には案内看板の他、往年の貴重な写真が展示されている。しかし、残念ながら風雨、風雪によって風化の感は否めない...。写真は羽前高松駅付近で撮影されたもののようだ。
 場所は陵西中学校の南側。高松駅とは国道112号バイパスで分断されており、ひっそりと存在を後世に伝えているといった感じだ。。


三山広場 掲示されている当時の写真
高松堰



■新田停留所跡

 

 右の写真は三山広場にある鉄橋跡で、この延長線上、建物の手前あたりが2つ目の駅「新田停留所」があった場所。
 廃線後、それほど間を置かずに土地整備が成され、駅舎、ホームはもちろん、軌道跡も完全に消失した。
 廃止から約2年後の航空写真からは、かろうじて新田停留所跡を確認することができる。駅舎は取り壊され、さら地となり、軌道跡がなんとなく見える程度。 写真下部が高松駅方面。三山広場で、カギ状になった改修前の高松堰を渡り、停留所へと至る。


田んぼが整備された新田停留所跡

新田付近の廃線約2年後の写真
昭和51年撮影 「国土画像情報
(カラー空中写真)国土交通省」


■寒河江橋(寒河江川鉄橋)
 
 新田停留所を出るとすぐに、寒河江川を渡る鉄橋があった。開通を報じる当時の山形新聞は、名橋として知られる「臥龍橋と並ぶ新名所」と、大きな写真とともに紹介している。
 現在は架け替えられ「みやま橋」となり、サイクリングロードの一部として利用されている。

寒河江川の鉄橋を大きく報じる山形新聞 みやま橋



■白岩駅跡
 

 現在の中町公民館が建っている場所が白岩駅跡。公民館裏に当たるアスファルト舗装の道路がかつての線路跡。上下線の入れ替えを行う比較的大きな駅だったが、周辺には当時のものと思われるホーム跡や建物の土台の一部が残っているだけで、それほど大きな遺構は残っていない。鉄路の面影は残念ながら消えつつある。かつては通勤、通学で利用する人々の姿などが見られ活気があったというが、今はひっそりとしていて人影もない。
 しかし、駅舎の表側にあたる公民館正面に回ってみると、「旧三山電車白岩駅跡」と刻まれた碑が角にひっそりと建っていた。碑は昭和63年8月に建立された。
 

(写真左)かつての軌道跡はアスファルトの道路となった。奥が高松側。左手が駅舎があった所。今は公民館が建っている。
(右上)風化する当時のホーム跡。
(右下)旧駅舎正面側に残る土台
(下)白岩駅跡に建てられた中町公民館




      

公民館の角に建てられた「旧三山電車白岩駅跡」の碑

「電車道」
  航空写真で見る廃線跡
   

 昭和51年に撮影された航空写真。みやま橋から白岩駅、上野、石田付近まで、当時の路線をそのまま辿ることができ、地元では「電車道(でんしゃみち)」と呼ばれている。

「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」(昭和51年撮影)


■橋に刻まれた「上野停留場」


ブルーシートの手前が待合所の建物跡。その手前、左へ向かう道が上野停留場線。奥に延びる道が廃線跡。高松方面を望む=2007年4月1日
 民家の前に放置されている古材のかたまりが待合所の建物の跡と思われる。白岩方面から軌道跡を辿り、右手。時が止まったように周辺の風景は変わらない。
 軌道跡はそのまま道路となり、現在は地元の人が利用する程度の生活道路、国道の裏道となっていて、交通量はほとんどない。
 国道112号から旧上野停留場の間に「電気堰」という川が流れているが、そこに架けられている橋の親柱に「上野停留場線」の文字が刻まれている。ここが三山線上野駅へと至る道であったことを物語る。左上写真の左に続く道。

上野停留場わきから山手へ向かう道「上野停留場線」にある橋。親柱に「上野停留場線」の表記。



■「変電所」残る羽前宮内駅跡

 宮内駅の跡地は現在、住宅に囲まれた小さな空地(児童公園?)となっている。
 道路(軌道跡)を隔てた所に変電所の建物が当時の姿のまま残っており、建物としては沿線で現存する唯一のものと思われる。現在は民間の倉庫として使われているようだ。
 すぐそばを国道が走っていて、次々と車が行き交う。


(上、右上))変電所だった建物
(右下)停車している車の左に駅があった。画面奥が間沢方面。

=2007年4月1日




宮内駅跡付近から間沢方面。
まもなく熊野(ゆうの)川。

=2007年4月1日


辿ってきた廃線跡を振り返る。奥が高松方面。
=2007年4月1日


■熊野(ゆうの)川の鉄橋

 かつて熊野(ゆうの)川に架けられていた鉄橋は現在、水道橋になっている。手前の築堤の上を歩き、水道橋までは行くことが出来るが、橋へは立ち入り禁止。川向こうの廃線跡へ復帰するにはすぐそばを走る国道112号などを迂回する。



■石田停留所


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