ツボの展開 (お灸の世界)

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 ツボの効果を使ったものとして、昔からお灸が多くの人々に親しまれてきました。 お灸は、最も簡素でありながら、やさしく、効果抜群で、人間の医療としてマッチしているため、現在まで多くの人々に支持されてきたのでしょう。

 最近では、家で簡単にできるお灸も普及してきて、お灸をすること自体はとても簡単になってきています。ただどこにすえれば最も効果的かが問題であり、 ここでも黄帝鍼による取穴を行えば、更なる効果が期待できます。

鍼と比べて、使い勝手がよく、重篤な副作用がないため、専門家でない一般の人々、家庭に広まって、今日に至っています。  また全国各地に、家伝灸として、おもしろいお灸が残っています。

1   長寿のお灸
2   奥の細道 にみるお灸
3   鬼平犯科帳にみるお灸
4   玄同方言 東岡舎草記   (萬平夫婦の長命の灸)
5   原士免太郎博士
6   鶴川の灸   (能ヶ谷中風予防の家伝灸)
7   日本灸術の歴史
8   焙烙灸
9   淡島の灸  (森巌寺)
10   弘法の灸  
11   枇杷葉温圧
12   一つやいと
13   馬糞灸
14   おぐりす灸  福山の京都人さんからの情報
15   桜井戸の灸
16   井草の眼の灸 筑波卒の江藤さんからの情報
17   お灸の革命   カマヤミニ  せんねん灸  の登場


 『長寿のお灸』

昔から長寿のお灸として有名なツボは、三里・命門・気海・百会
の4ヶ所です。  毎日お灸を据えて、 健康で長生きもいいかもしれない。
これらの中でも、養生灸というと昔から三里の灸が特に有名です。







『奥の細道』
「月日は百代の過客にして・・・」で始まる松尾芭蕉の『奥の細道』の序文の後半部分に「・・・三里に灸するより松島の月先ずこころにかりて・・・」とあります。



『鬼平犯科帳』
最近では池波正太郎の原作で多くのファンをもつ『鬼平犯科帳』の映画のなかでも出てきます。関西盗賊の首領「白子」が関東の狐火の首領と密会するために関東に旅立つ、その折、足の三里に2cm位のフジツボ型のもぐさをのせ愛人にすえさせているシーンが記憶に残ります。 池波正太郎は、鍼灸に対する造詣が深く、『仕掛人・藤枝梅安』シリーズでも、いろいろのシーンに、登場する。








『玄同方言』『東岡舎草記』ーー『萬平夫婦の長命の灸』
『玄同方言』『東岡舎草記』という古書の中に、三河の国は実飯郡小泉村に住む、農夫「萬平夫婦の長命の灸」という話がでてきます。
寛政8年(1796)9月11日、京の公家、鷹司氏の娘有姫が12代将軍家慶の7番目の子政之助家祥公に嫁入りのため京都を出発しました。同月25日江戸に到着。大勢の供の中に、三州(愛知県)井戸郡小泉村の百姓萬平当時194歳という老人があると話題になりました。

萬平は慶長7年(1602)寅年生まれとのこと。
8代将軍吉宗の時代、萬平は将軍に白髪を献上し、百五十人扶持を与えられました。
また、『大阪の陣では14歳でした。大体は覚えています。』と言う萬平は話を聞いた有姫は『めでたい』と二百人扶持を与えた、と書かれています。

一族はみな長寿でした。萬平は243才、妻太久223才、子の萬吉196才、その妻茂牟193才、孫萬吉153才、その妻陽須131才と長生きで、三代揃って永代橋の渡り初めをしたそうです。
萬平は長寿の秘訣を問われて、『他事なし、ただ先祖より毎月三里に灸をするのみ』と答えたと伝えられています。
以下は『萬平夫婦の長命の灸その壮数』です.

朔日目 9壮 8壮
2日目 10壮 8壮
3日目 9壮 8壮
4日目 11壮 8壮
5日目 10壮 8壮
6日目 9壮 9壮
7日目 9壮 9壮
8日目 9壮 9壮


『原士免太郎博士』
現代においても九州の医師で灸の研究家としても著名な、故原士免太郎博士も、その長寿で世間に知られていました。万病に効くという腰部八点灸の提唱でも有名。




『鶴川の灸』   (能ヶ谷中風予防の家伝灸)
小田急線鶴川の駅前に中風予防の灸として多くの人に愛された鶴川の灸があった。という話を聞きました。
詳細ご存知の方、是非当方に御教示いただきたいと思います。
現在、の神蔵宗家の写真などは当方にあります。

外膝眼に打膿灸をすえ、相撲膏という膏薬をはるという方法のようですが、何故そのように人気があり、何故現在やめてしまったのか、是非知りたいと思います。
神蔵宗家の写真 これは能條氏の撮影。




『日本灸術の歴史』

弘法大師は、『十住心論第一巻』中に鍼灸術が治病上絶対に必要なことを説いております。 正親町天皇の時代に、有名な曲直瀬道三が出て、灸術により天皇の脈を拝見し、その著書は天覧の光栄に浴した。その他、永田徳本、吉田意休、御園意斎、入江頼明などの大家が現れている。

 それまでの灸療法は、主として外科的治療にのみ用いられていたのであるが、灸が最も盛んに流行した徳川中期、寛永年間に、元禄の医聖と呼ばれた藤艮山が始めて内科的治療に鍼灸術、特に灸術を応用し、鍼灸治要,鍼灸説約などを著した。

 こうして灸は日本国内で利用される一方、来朝した外国人にも着眼されて、元禄3年にドイツ人のケムフェル、延宝元年にはオランダ人のリイネ等に研究され、それらの著書に記されて、欧米へ伝えられるに至りました。

 さらに幕末にも、数多の名家が排出した。岡本一抱、原南陽、石坂宗哲等で、南陽は灸が特に婦人病、胃腸病、肺病(肺結核)、小児病に特効あることを当時の人々に大いに説いたのである。
 また、石坂宗哲は、名医シーボルトに灸治を教え、それぞれ立派な著書を著したのである。


伊吹山の艾屋さんの店先
上の浮世絵の中に描かれている、人形と同じ物がこの写真の中にも見てとれます。上の浮世絵の時代と全く同じ艾屋さんが現在もそのままの形で継続していることは、すごいと思います。





『焙烙灸』
渋谷区神宮前3丁目8番9号の妙圓寺で300年以上昔から土用の丑の日に、江戸の人々の健康を守ってきた焙烙灸が行われています。頭痛封呪、心身爽快。

関西でも滋賀県の岩間寺で、ぼけ封じ祈願の焙烙灸が行われているようです。
日本の各地にこのような風習が多数残っていると思われます。
焙烙灸とは、平らな素焼きの土鍋の上にもぐさをのせ、頭の上にのせるものです。
相当熱いのを我慢していると思われます。

埼玉県川越市の妙唱寺でも、毎年、土用丑の日には、伝統行事の一つとして、恒例の「焙烙灸」が行われます。この「焙烙灸」の由来は昔、炎天下で暑さ負けした武将が、カブトの上から灸をすえたところ、たちどころに全快したと伝えられ、明治に入ってから、当地の伝統行事として続けられています。

 素焼きのほうろく皿を頭にのせ、大きなもぐさに火をつけてもらい、「心頭滅却すれば・・・」と我慢すれば、暑気あたり、頭痛の病に効能あらたかなるものがあり、東京方面をはじめ近郷近在からの参詣で早朝からにぎわいが続きます。

 (「焙烙灸」は、毎年土用丑の日、午前五時から正午まで行われます。なお、この「焙烙灸」は、NHKテレビにも放映されました。)当院の患者渋谷氏の話では土用丑の日が近くなると新聞の川越版に取り上げられるそうですが、希望者が多く治療をうけるのはなかなか難しいようです。

すりばちやいと 福井県鯖江市長泉町の天台宗中道院で行われ。県内のみならず、北陸全域から、多くの人々が、訪れる。

福寿院
 箱根湯元の福寿院では、毎月17日に、すりばち灸が、行われている。



『淡島の灸』(森巌寺)
江戸時代の初め、徳川家康の次男結城秀安公の位牌所として建立された。建物には三葉葵の紋所が見られる。また境内には、樹齢400年のイチョウが一対と、お灸と2月8日の針供養で知られる淡島神社がある。

竹村紀慶氏が多忙な中わざわざ調査に行ってくださいましたが、あいにく灸に熱心だった先代住職が亡くなられたそうです。



『穴村の灸』      滋賀県
子供のおねしょや癇の虫などによく効く、墨灸の治療院があり、京阪や北陸一円の子供たちが、かけつけた。



『峰の灸』 
『四つ木の灸』 
『富士の灸』 
『吉川たんの灸』  

                   ただ今調査中


『弘法の灸』      
墨田区の東駒形の遍照院 にて現在も行われているようです。これも竹村紀慶氏の報告です。竹村氏より以下のようなさらに詳しい報告をいただきました。

ちなみに遍照院へは浅草駅を下車しまして、隅田川にかかる一番近い橋〈吾妻橋>を
渡ります。
するとまずアサヒビールの炎のオブジェがある通称うんこビルが左手に現れますの
で、
そこが三叉路になっており、真ん中のみちのところにある有名な佃煮屋「元祖海老屋
本店」の横を直進します。
そのうちに清澄通りにぶつかりますので、横断歩道を渡ったあたりに遍照院はござい
ます。
浅草駅から500mほどの距離です。また都営浅草線の本所吾妻橋駅からも同じくら
いの距離です。

年末の忙しいなか、貴重な報告心よりお礼申しあげます。



『枇杷葉温圧』
洋の東西を問わず医療はもともと宗教行事で、昔福寿弁天様が、劇的な霊告をもって、秘法とする、病魔除けの、枇杷葉温圧を、濱田家の家伝として発祥させた。と云われています。
濱田先生とは、私も昔から懇意にしていただいています。

.2001年1月13日 花田学園の光澤 弘先生より、灸に関する多くの資料を提供していただきました。
  先生は、長年灸に興味をもたれ、面白い灸があると、耳にすると、自分の眼で確かめるため、足を運び、貴重な資料を収集し、蓄積してこられました。 一部は医道の日本誌等に発表済みですが、ほとんど 未発表のオリジナルです。大変なボリュウムなので、少しずつ発表の予定。



一つやいと
富山県高岡市関本町35の瑞龍寺では、毎年6月1日と、7月1日一つやいとがおこなわれる。当日は朝5時前から7000人以上の人が並ぶ。
両側の外膝眼あたりに、えんどう豆くらいの灸をする。(500円)
特別灸は鍼灸師が棒灸で全身を施術してくれる。(1000円)
情報提供 花田学園 光澤 弘先生




馬糞灸
灸のルーツを求めて、現代モンゴル医療事情の視察に、花田学園の光澤 弘先生と小川 一先生が行った時、馬糞灸を目撃。この話は、医道の日本誌に発表済み。



栗田の灸
福岡市から南東におよそ30km、のどかな田園地帯に古くから、栗田の灸と称する家伝灸がある。

    『おぐりす灸』

      いつもお世話になっている福山の京都人こと I先生よりさっそく以下のような情報の提供をしていただきました。
       
       

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「今から約二百年ほど前,信仰深い老女が旅の虚無僧(こむそう)から

この灸の秘法を教えられたといわれています。

元は伏見の深草にありましたが,宝永年間(1704〜1711)に山科区小栗栖に移されました。

昭和初期には,毎日二百人から千人の人々の行列ができたといわれています。 」

地元京都でも「強烈な打膿灸」で有名です… 僕は未経験です…


 


        桜井戸の灸

創始者 佐治右衛門
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静岡市清水区にある鳳林寺の門前の坂道を100mほど下ると、「桜井戸」の碑が建っている。
 良質の水が出た桜井戸。しかし、有名なのはこの井戸ばかりではない。ここで行われていたお灸がとても有名であった。

 昔、この家の主人、佐治右衛門氏が、朝早起きして表に出てみると、井戸の傍らに一人の行者風の人が倒れていた。氏は、この人を懇ろに介抱した。
 その甲斐あって、やがて回復した行者は、氏の親切に感激して、自家に伝わる瘍(よう)・疔(ちょう)の腫れ物に効く「お灸」を伝授して立ち去った。
 その後、明治の中頃に至って「お灸」の効き目を聞き、治療の客が近郷近在はもちろん、遠くから訪れ、「桜井戸の灸」といって栄えた。

 治療の順番を待つ人のため「さくら屋」という旅館ができ、地元電鉄の停留所「さくら井戸」もできた。
 治療を受けた人の手や背中に「お灸」の跡が残り、これを「駿河人の手形」といわれるほど有名であった。

 治療を行っていた場所は、「桜井戸医院」という病院になっており、佐治右衛門氏の子孫が先生をしています。
 お灸は現在も、希望者にはおこなっているそうです。

  尚、「さくら荘」という旅館も、 「さくら井戸」という駅も、現在はありません。



        井草の眼の灸


 筑波卒の江藤さんより井草の眼の灸の情報を提供していただきました。

 杉並区下井草3-12 田中さんの家に代々伝わる12箇所のツボを行者から伝授されたとのこと。井草2-16の地蔵堂にいぐさの名灸の道しるべがあります。杉並郷土史会 杉並風土記より 


  


  

         お灸の革命   カマヤミニ  せんねん灸  の登場

       いい物ができましたねー。

          カマヤミニ

          せんねん灸



                                                          
    

明治以降多くの優れた学者により灸が何故きくのかについての研究が行われ、多くの成果が発表されています。
しかし、まだまだ未解明、未知の作用が多く秘められているように思われます。
三里へのお灸は家庭で簡単にできお金もかからない、優れた養生法であると思われます。


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