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第二段 |
凡そ鍼を用うる者は、虚すれば之を実し、滿つれば之を泄す。宛陳すれば之を除き、邪勝つときは之を虚す。 |
刺鍼について大まかにいうと、虚にはこれを補って実せしめ、充実していればこれを泄らして平にする。瘀血が滞っている時は刺絡によって除き、邪気が盛んな時には瀉法を加える。 |
大要に曰く、徐ろにして疾きときは実し、疾くして徐ろなるときは虚す。 |
更に、その手さばきを大まかにいうと、静かに刺入した鍼を、気を得てパッと抜くと生気が補われる。また速やかに刺入した鍼を、その邪を除く如く徐に技き去ると、邪は除かれるのである。これを感覚的に観察すると、実と虚とはあるが如く、なきが如くであるし、また施術した前後を比較すると、あるものがなくなったり、なくなった所が補われたような感じである。或いは虚になり実になるという感じは失われたような、或いは得たような感じがするものである。 |
瀉に曰く、必ず持ちて之を内れ、放ちて之を出す。陽を排して鍼を得れば、邪気泄るることを得るなり。 |
瀉法を行うには、その目的意識を明確にして、比較的速やかに刺入し、目的の深さに達したならば留めて気を候い、或いは抜き刺しし、或いは動揺すると邪気と生気が分かれたことを感じる。そこで皮膚面を押すように(下圧)して抜き去ると、邪気が泄れて瀉法の目的を達することができる。 |
按じて鍼を引く、是を内温と謂う。血散ずることを得ず。気泄るることを得ざるなり。 |
「血を散ぜず、気を泄らさず」というのであるから、補法でも瀉法でもなく滞っている気血を流して中和せしめる、即ち和法と診ることができる。 |
補に曰く、之に随う。之に随うの意は、妄りに行くが如し、行くが若く按ずるが若く、蚊虻の止まるが如し。留まるが若く還るが若く、去ること弦の絶ゆるが如し。左をして右に属せしむ。其の気、故に止まる。外門已に閉じて、中気乃ち実す。 |
補法とは、生気の不足している所に刺鍼するのであるから、気を泄らしてはならない。その為には、鍼柄を極めて軽く持って、静かに刺入し、組織の抵抗に逆らわぬよう吸込まれる如く自然に刺入(これを随うというのである)しなければならない。丁度、蚊や虻が肌に止まって全く気付かれないように口先を刺し入れるが、これと同じようにして、一定の深さに達したならば留めて気を候い、押したり戻したり回したりして気の動きを診、目的を達するを見て抜き去るのである。それは引き絞った弓の弦が、絶えると同時に矢が離れるようにパッと抜き取り、間髪を入れず、鍼跡を閉じるのである。このときの左の押手は抜き取る右の刺手の動きに合わせ、即ち、「左をして右に属せしめ」て、速やかにその鍼口を閉じるのである。その時は、いささかも気が泄れることはない。こうして外門たる鍼口をぴったり閉じるならば、内に生気が実して補法の目的を完全に果たすことができる。 * 如く・・全くそのとおり、若く・・もしくは、或いは |
必ず血を留むること無くして、急に取りて之を誅る。鍼を持つの道、堅き者を宝と爲す。正しく指して直に刺す。左右に鍼すること無かれ。 神、秋毫に在り。意を病者に属け、審に血脉の者を視て、之を刺すに殆むこと無かれ。方に刺すの時、必ず陽と両衛とを懸くるに在り。神、属して去ること勿かれ。病の存亡を知る。血脉は?に在りて横居す。之を視ること独り澄に、之を切すること独り堅かれ。 |
即ち、神気のあり方は、誠に秋抜け変わったばかりの毛の如く、頗る徴妙であるから、これをよくとらえて、自信をもって施術しなければならない。その際、必ず皮膚の艶、特に眉間の状態を観察しながら、その正気の状態を見届けつつ施術すべきである。そのためには、病人の動静をよく診ているならば、病邪が除かれたということがよくわかる。即ち、病的変化は愈穴の部に存在するが、それを観察すると、周囲よりも独立して生気のないのがよくわかるし、また、これを触察すると周囲よりも堅く感ずるものである。 |
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(原文) 凡用鍼者.虚則實之.滿則泄之.宛陳則除之.邪勝則虚之.大要曰.徐而疾則實.疾而徐則虚.言實與虚.若有若無.察後與先.若存若亡.爲虚爲實.若得若失.虚實之要.九鍼最妙.補寫之時.以鍼爲之.寫曰必持内之.放而出之.排陽得鍼.邪氣得泄.按而引鍼.是謂内温.血不得散.氣不得出也.補曰隨之.隨之意.若妄之.若行若按.如蚊虻止.如留如還.去如絃絶.令左屬右.其氣故止.外門已閉.中氣乃實.必無留血.急取誅之.持鍼之道.堅者爲寳.正指直刺.無鍼左右.神在秋毫.屬意病者.審視血脉者.刺之無殆.方刺之時.必在懸陽.及與兩衞.神屬勿去.知病存亡.血脉者.在?横居.視之獨澄.切之獨堅. |
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