自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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407. 新雪の西岳(にしだけ)遠望 ・ 東北本線/西岳(信)−小繋 間


〈0001:bO21024小繋川の谷を登る三重連〉



〈撮影メモ〉:昭和41年11月5日さつえい。
初めて十三本木峠を越えて北へ遠征した。小繋のえきから旧国道を南に歩いて左手の小高い崖のうえから姿を現した新雪を冠った西岳をバックに力闘する三重連の姿を捉えることが出来た。手前には国道4号線が走っている。昨晩初雪がふったのだが土手の雪は消えてしまっていた。近近くの山の背景に積雪をを冠した西岳が遠くに見える。
ヘッドランプを点灯して、灰色の煙を吹き上げた三重連。

〈0002:bP00731:小繋川の谷を下って来た旧客と新雪の西岳〉

〈撮影メモ〉:昭和43年1月15日撮影
3581レ、旧旅客ではなかろうか。
左手中ほどのおくから右手前に。灰色+白煙の重連、煙は少し出ているだけ。先頭はヘッドライト点灯。
背の左から杉林が並んでいる。近くの低い山の奥には、西岳らしい円錐型の積雪の山頂が姿を見せていた。


〈000x:〉




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〈紀行文〉
 青森を目指して工事を進めていた日本鉄道が1904年(明治37年)に開通した時には、サミットの十三本木峠を挟んで南の奥中山駅から北へ15.4qの地点に小繋給水所(5年後に駅に昇格)が設けられていた。この駅名はいずれも並走しレイル奥州街道の集落に由来して付けられた。そのごの太平洋戦時中の1943年(昭和17年)に東北本線の輸送力アップを目的に奥中山駅から4.0km、小繋駅から3.7kmの地点、小繋川の源流に近い狭い谷間に上下1本づつの引き上げ線を持った戦時型スイッチバック方式の西岳(にしだけ)信号場が設けられた。当時、この地点から3q圏内には人家は存在しない山中であった。そこで谷の斜面を登って尾根の上にでると西の方角には円錐形をした西岳(みしだけ、標高 1,018m)の山容が迫ってきたのであった。
そして、これが信号場の名となったと云われている。
一方で、このように狭い谷間を往来している東北本線の旅客列車の乗客の目からは雄大なすそ野を広げる西岳の姿を車窓から眺めることは出来なかった。そこで、信号場の目に名者にかわって、列車と西岳を同時に撮れる地点をさがしまわって、小繋駅寄りで格好の地形を見つけた。運よく一発目で手ごたえをえてしまったので、別の構図を追い求めるゆろはなかった。ここでは貴重な2枚をおめに掛けました。