自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・西南北海道巡り
378.  早暁の小樽築港機関区にて ・函館本線

〈0001:bP80112:重連の出区か。〉


〈0002:bP80113:扇形庫のひととき〉

〈撮影メモ〉

1927年(昭和2年)に開設された当時、東洋1の規模を誇った小樽築港機関区の扇形庫には31番線(4線は修繕線がありました。余り大きくて撮るのに迷いました。

〈0004:bP61213:早朝の陽光の中で〉

〈撮影メモ:昭和43年10月27日撮影〉
小樽港に隣接した機関区なのだが背後は丘陵がせまっていて、中腹にも民家が散在していた。

〈0005:bP61215:?D51 24号の居る風景〉



〈0003:bP80114:映画“旅路”の9600〉



〈撮影めも〉
入れ換えに活躍中の9633号機は、昭和42年(1967年)からのNHK連続テレビドラマ「旅路」の影の主役として出演していた。この「旅路」は岩内線幌似駅を「塩谷(しほや)驛」にセットして昭和42年に撮影された映画です。この時にナンバープレートは苗補工場で特製された形式入りのものにとりかえられており、現在梅小路蒸気機関車間に保存中です。

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〈紀行文〉
  “よんさんとう”と呼ばれた昭和43年10月の時刻大改正以来、「東北本線・奥中山のD51三重連」という目標を失った私は函館本線・C62重連の急行ニセコ」へと眼を向けるようになった。その手始めの晩秋の訪問では、夜明けを待って札幌から函館本線に乗り、の小樽築港駅に隣接した築港機関区を訪ねることからスタートを切った。
そのころは、撮り鉄の“ビギナー”(初心者)であった私は機関区の中へ踏み込むにはいたらず、外側からなんとかスナップヲ試みただけであった。だから奥のほうにあった給水塔や給済ガントリークレーンの働く風景は見ることができなかったが、朝の陽光の中の巨大な機関区の一端の情景をお目に掛けた。
ここのC62重連の運用は、昭和35年(1960年)7月1日から
4列車〜3列車の小樽〜長万部間からスタートしている。それから、昭和46(1971)年9月15日まで11年余の無事故での急行牽引の運転を達成した。
機関車は築港機関区の所属であったが、その乗務は小樽-長万部間は長万部機関区、長万部〜函館間は五稜郭機関区が担当すると云う不思議な組み合わせであったと云う。
今は、撤去された跡地に1972年3月に建てられた「小樽築港区モニュメント」がある。
これは小樽築港機関区区に最後まで在籍していた「つばめ」マーク装着のC62 2号機のモニュメント、それに、C62重連なきあとの築港機関区の顔役であった9633号機がのモニュメントになっている。この9633号機は1967年 NHKのテレビドラマ「旅路」の影の主役として登場していたのであった。

撮影:昭和43年10月27日。