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・女川・万石浦紀行の番外編
375. 「河北新報新聞」に掲載された“女川港俯瞰” ・石巻線(女川港貨物駅

これは、「東日本震災前の石巻地網の情景を訪ねて」の記事の収録です。

2016.01.17

記憶の手帖・写真で見る古里(1) SLと女川漁港

高台から見下ろした女川港。



SLは活気ある港町の光景の一部であった=1971年
 時代とともに変遷する石巻地方をいま一度、見つめ直してみたい。古いアルバムに残されたまちの情景、祭り、漁港や海辺の表情、人々の暮らし…。

 写真を頼りに記憶を探訪する。
(日曜日に掲載)

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 蒸気機関車が白煙を上げて港町を走る。それは女川町の風景の一部だった。
 田辺幸男さん(83)=埼玉県狭山市=がSLに揺られ、女川駅に降り立ったのは1971年。C11が活躍していたころで、駅構内にはターンテーブルなどが設けられていた。

 駅舎は、降り立ったホームの先端から階段を下った所にある。その階段には60年のチリ地震で津波が到達した高さ「約4メートル」を示す青色のペンキマークがあった。

 線路が駅前通りを踏切で抜け、家並みの狭い路地へ入り込む。わずかに下りながら、1.4キロ先の女川港貨物駅に通じていた。途中で鉄橋を渡り、本線から分岐した専用線の1本は魚市場へ、他方は遠くの水産加工場へと延びていた。

 本線の終点となる女川港貨物駅では、数両の冷蔵車が出発線に待機。C11は鮮魚売店のある広場近くの本線上で停車していた。

 東日本大震災で被災した女川町では今、復興工事のトラックの土ぼこりが舞う。SLの白煙は遠い記憶の底にしかない。

※女川とSLの写真が、季刊誌「国鉄時代」2016年2月号に掲載されています。田辺さんの意向で、希望者には掲載写真をお譲りします。

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■震災前の写真募集

 東日本大震災前の石巻地方を写した写真を募っています。震災で失われた光景や時代とともに変遷したまちの姿などの写真をお寄せ下さい。
〈記事収録終わり〉
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上野記事の全文は下記のweb に掲載されていますので、ご参照下さい。

NEWS石巻かほく:記憶の手帖・写真で見る古里(1) SLと女川漁港|メディア猫
の目

 http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2016/01/20160117t13009.htm