自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・「南九州の日豊本線に沿って」
370.  夜明けの日向路 T :「初めての小丸川橋梁」 ・高鍋

〈0001:bQ20431:594レ貨物列車〉

〈撮影メモ:昭和45年2月13日撮影〉
これは4枚連写の冒頭のショットです。
背後の夜明け前の空は水平編の辺りが明るい。上は暗い。雲は出ていない。水面は光っている所とさざ波が立っているところもある。
今回も日の出の『彩雲』にはお目に掛かれなかった。

〈0002:bP70731:1569レ貨物列車〉

〈撮影メモ:昭和43年9月14日撮影〉
最初に訪れたのは未だざ残暑ののこる南国の9月中ごろであった。いつもの習慣で、関東とおなじ積りで早起きして暗い中を懐中電灯を頼りに小丸川右岸の堤防を目指して集落の家並みの間を北へ向かってあるいた。そして高い堤防の上に出た。意外に幅の広い堤防を利用して、とっさに思い付いたアングルである。
列車がくるのを待つ間に、空は明るみ始めた。
やって来たのは下りの貨物列車で、煙ははいていなかった。
背後の空に灰色の雲があって、切れ目から陽光が照ってあかるい。その他は空。
水面が明るい所が杭の所まで来ている。

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〈紀行文〉
ここでは日豊本線への最初のショットでもあり、私に取って印象が深いさくひんなので、このシリーズの冒頭に敢えてご披露したしだいです。
 実はSLを取り始めてから3年目の昭和43年の4月頃になって突然、宮崎県内の日豊本線の沿線を訪れる機会が訪れた。それは県都の宮崎市の郊外に相乗していた本田ロックと云う子会社から、クルマのスピードメータの文字盤の印刷技術の指導に呼ばれたのである。こんな九州の南端に子会社があったと云う不思議さの理由は、その昔、ホンダ社長の本田総一郎さんが何かの会合のため宮崎市を訪れた際に、宮崎県知事から地元への産業立地を懇願されたことに始まった。
そして、昭和37年(1962年)になって付加価値の高い電装品を製造する工場を宮崎市駅から延岡方へ4つ目の佐土原駅のある古い城下町の佐土原町に設立したのであったと云う。その夕方に持たれた歓迎会は、ここからさらに13qほど北へ行った高鍋海岸の蚊口浜にある天然かき料理屋であった。ここへは国道10号線を北上し、右折すると大正時代を感じさせる日豊本線の高鍋駅舎の前に出て、北側の踏切を渡って松林の防風林を抜けた先で小丸川の河口の辺りに出て、一見 海の家のような感じのする「高鍋名物の天然かき料理」を出すと云う漁師料理屋であった。この夕の“薩摩焼酎(しょうちゅう)”の歓迎はともかく、遠くに高鍋駅を発着する旅客列車の汽笛と小丸川を渡る列車の響きが程良く聞こえたのが何よりの御馳走であった。
その週末には、宮崎駅から北へは延岡から大分県境の宗太郎駅へ、そこで折り返して南へ青井岳駅でさみっとをこえて都城盆地の中心である都城駅で引き返すと云う日豊本線の“乗り鉄”によるロケハンを試みた。なかでも宮崎から延岡の間は黒潮の洗う日向灘に寄り沿って走る陽光のまぶしい南国の風景にあふれていた。そのハイライトは遠く広がる日向灘をバックに走る日向市駅から高鍋駅までの約40qだと思われた。
 そこで最初の撮影ボイントに選んだのは、あの高鍋駅のすぐ北側にある小丸川の河口に架けられた長さ 805のm桁橋で、その東側は海に直面していた所であった。確かに、この橋は南北方向に架かっているので、朝夕の光線状態が良く、
側面のギラリや、サイドビューを“カッチリ”と撮るには海側が最適なホイントなのであることがうかがえた。それに反して上流側からのアングルでは平板な情景しか切り取れないことが予想された。当初は海側から順光の中で旅客列車を牽いたC60のサイドビューを狙ったりしていたが、やがて夜明け前に染まった東の空が広い河面に映えるシーンの魅力に取り付かれるようになった。有り難いことに、丁度午前七時丁度に鉄橋の南の高鍋駅を発車する上り貨物列車が設定してあったからである。このシーンに挑戦するために二日がかりの宮崎参りが数年にわたって続けられたと云う次第なのです。
その撮影のための条件は、まず朝の天候は晴天で、風が弱く、太陽の出る位置に薄い雲があることであった。それに、川の水面に洋上の輝く雲の輝きが反射する光が見えるアングル、そして水面の前景には強い水のながれをよわめるための制水杭の頭が前景として力強く入るように狙ったのであった。それにカラーの場合には日の出前の陽光を浴びた雲が彩雲に彩られる瞬間が期待されたからなおさら難しかった。
通い始めてから2年目になってモノクロームの作品が1枚できあがった。その後の幸運は遂に訪れなかった。
 冒頭の写真は、意表を突いた構図となったことで自画自賛しています。
この小丸川橋梁の写真は4つのテーマに分けて展示してあります。また日豊本線のシリーズは、「高鍋の橋梁」につづいて、「宗太郎越え」、「日向灘をバックに」、「高鍋から宮崎駅へ」、大淀川の河畔にて「とつづいています。それぞれの紀行文に地形や風土についての拙文を掲載してありますので読んで頂ければ幸いです。

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