自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
SL写真展 ( INDEX )〜アメリカ & 日本現役
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にある送付先へドウゾ。)
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216.「利尻富士の見える丘」・宗谷本線/抜海−・南稚内
〈0001:30-43:利尻富士の見える丘〉
〈0002:30-44:北きつねの“お出迎え”〉
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〈紀行文〉
最初の訪問は昭和43年の5月、まだSL写真のビギナーのころで、上の駅から遠路列車を乗り継いで出かけた。手間締めに、急行「ニセコ」の上りを倶知安の町外れで狙ってから、旭川のサウナで時を過ごし、最終で音威子府駅まで行ってで夜を過ごした。その夜半には傾むいた三日月をバックに入れて準備にいそしむ9600の姿を撮った記憶がある。そして始発の稚内行きに乗り込んだ。幌延を過ぎて空が白み初めてきて、モヤの立ちこめるサロベツ原野の脇をとおりすぎて、丘陵の中の小さい駅に過ぎない抜海駅を出田た途端に、一面の熊笹や「ススキ」と疎林だけで、人家が全く無い抜海丘陵に入った。そして、クトネベツ川を渡り、次の南稚内への11.7Kmもの丘陵地帯を縫うように10パーミルの上り下りを繰り返しながら進んで行く。突然にという感じで一瞬左手の車窓に視野が開けた。今まで塩狩峠を越えてから平坦な内陸を北上し続けてきた宗谷本線が
初めて日本海と出会うのだが、それもほんの束の間だけ海辺に出るのだ。天気が良かったので、彼方の水平線に利尻岳の美しい姿を近くに望めたが、その右隣には礼文島があるはずなのだが。確かに目に焼きつく風景だった。
直ぐに砂丘の間に入って海辺は見えなくなってしまった。やがて進路の先に小高い丘が近づいてくると、列車は東に向きを変えて抜海丘陵を抜け住宅街が始まると南稚内に到着する。
この稚内は北海道最北の宗谷半島の北面に位置していて、二つの岬に抱かれていた。その一つは、今まで走ってきた抜海砂丘の延長上にある小高い丘の先のノシャップ岬(野寒布岬)であって、ここから東を眺めると、足下の稚内森林公園の丘、稚内港と市街地、カーブした砂浜の先に水揚げ高を誇るせ宗谷港と日本最北の宗谷岬があり、そこから南へなだらかな稜線の宗谷丘陵がつづいていると云う宗谷半島の地形が見て取れるだろうか。
南稚内からすぐに線路伝いに絶景ポイントまで徒歩で戻ることになった。左手に見える送電線が視界から消えると、それからは雄大な自然の中をひたすら絶景ポイント「抜海の丘を目指して南下した。やがて左手の「すすき」だけのなだらかな山を登ってアングル探しに余念がなかった。この時には、低い朝の陽光に光る「すすき」の丘を前景に利尻富士の姿をバックに急行「利尻」の疾走振りを「深絞り・スローシャッター」と云う考えすぎのテクニックで撮ってから引き上げた。
それからしばらくは遠ざかっていたが、旭川区のC55の引く旅客列車が風前の灯となったとの噂を聞きつけ、最も天候が安定すると云う昭和47年の7月に入ってから空路札幌経由で出かけた。爽快な早朝の南稚内駅に付くとすぐその足で、タクシー
に乗り込んで走り出した。まもなく住宅街を抜けると、その途端に景色が緑あふれる自然の中に飛び込んだようだった。そして抜海砂丘が「ノシャップ岬」の半島部の基部の小高い丘との間の小さな峠を越えると、目前に日本海が広がり、その水平線に浮かぶ利尻山が美しい姿を見せた。
ここの海、利尻水道を挟んで18kmの沖に浮かぶ利尻岳(標高 1,721m)は円形の利尻島を形作っており、最北の日本百名山で、その姿から利尻富士と呼ばれているのだった。
この峠を下るとルエラン(坂の下の意)と名付けられた浜辺に出て左折すれば道道254号抜海港線(現在は道道106号稚内天塩線と重複)に入った。この抜海丘陵の崖下を宗谷海岸に沿って南下す沿道には信号や電柱が1本も無く、人の住む家も見えない一直線の道路であった。この道は札幌から稚内を結ぶ「日本海おろろんライン」の国道231号(札幌−留萌)+国道232号(留萌え−天塩)に続いて最北部を担っているのだった。この
“おろろん”とは、この地に生息するオロロン鳥(ウミガラス)のことである。そう云えば、この層や海岸の黒っぽい砂浜では、「メノウ石」や「ジャスパー石」の原石が見つかることもあるとかで、また運がよければ宗谷エゾシカやキタキツネの姿にお目に掛かることなどもあるそうだ。
やがて左手は、砂浜の海岸から一気に立ち上がった海食崖(かいしょくがい)を作っている砂丘が続くようになり、砂丘の奥から現れた線路が崖の上に姿を現した所が、利尻と列車を組み合わせて撮れるポイント「抜海の丘」と呼ばれる絶景ポイントで、この
真下にタクシーは性格に停まった。
私が楽に隠れるほどの高い薮が茂る路側の溝を越えて急な崖をよじ登って線路脇に何とか無事に到達した。そこで思いがけず、線路脇に現れた北きつねのお出迎えを受けたのはよいが、その背後には『危険で酢から線路内を通らないでください。』の立て札も私を出迎えてくれていたのには、いささか苦笑するより他はなかった。運良く首にぶら下げたカラーネガを詰めていたローライフレックスでショットに成功したのだった。
これに気をよくして一面のすすきの半もした海岸砂丘を全景にできる撮影ポイントを根気よく探し回った。広大なススキの丘に風が渡るさまをながめるのもいいものだ。
そして望遠で324レを牽くSLを狙ったものである。案の定、やって来たのはC5この列車は旭川までのロングランを走破している唯一の普通客列車であった。SL牽引の列車には9600の貨物列車があったようだった。
撮影:昭和43、49年
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