自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
SL写真展 ( INDEX )〜アメリカ & 日本現役
|
HOME
|
SL写真展 ( INJEX )
|
田辺のリンク集
|
(メールは上の
SL写真展 ( INJEX )
にある送付先へドウゾ。)
…………………………………………………………………………………………………
・「ヘンリー フォード博物館 & グリーンフィールド ビレッジ」・ミシガン州
069.
C&O鉄道 bP601 「アレゲニー」
:フォード博物館
〈0001:〉
…………………………………………………………………………………………………
〈紀行文〉
1970年代の終わり頃になると、ホンダでもアメリカ大陸に自動車工場を作ろうとの課題が急速に高まってきて、工場立地における環境問題に強いととのことで氏名を受けて、アメリカのミシガン州の自動車の都 デトロイトに通うことが多くなって来た。例年のデトロイトの冬は積雪はそれほどでもないものの、寒さは一流で、川や湖はとっくに凍りついてしまっている。道面には岩塩を撒いて氷雪を融かしてはいるが、夜の冷えこみで直ぐに凍りついてしまい、ノーマルタイヤを履いたクルマがアイスバーンの上を兵器で疾走しているのには恐れを感じていた。従って遠出のドライブは難しく、手頃なところでヘンリー フォード博物館を訪ねる機械が度重なっていた。
デトロイトのリバーフロントから10まいる西隣りの衛星都市のデアボーン市は ヘンリー フォードの誕生の地でもあり、フォード自動車会社の中枢が集まっている町でもある。その本社や研究所群が散在する中にエジソン財団が運営するヘンリ- フォード博物館とグリーンフィールド ビレッジ(歴史村)があった。実は今度のウィークエンドに泊まったのは、この博物館の前の大通りをはさんだ向かいにある元フォード邸をそのまま活用した「デアボーン イン」と呼ばれるホテルを選んだ。ここの外見は古色蒼然とした石造りの3階建てで、内装も当時のままを維持しており、廊下の壁には古い写真が飾られており、古典的な豪華さを持ったロビーからは往時のVIPたちの話声が聞こえてくるような錯覚さえ覚えさせる雰囲気があった。さて、お目当ての博物館は、冬の真最中といえども開館時間は朝9時ちょうどを守っていた。除雪の雪の山があちこちに積んである広い駐車場の先には、フィラデルフィアにあるインデペンデンス ホール(独立記念館)をモチーフにした赤レンガに白い塔の映える博物館の本館が姿を現わした。その正面玄関の重厚な樫の扉の前には、20人を越える人々の列ができ始めていた。入って直ぐの玄関ホールの演出には、『1929年10月21日午前10時、黄金色に紅葉するオークやメイプルの樹々の中の季節、大雨の中をついて、自動車王ヘンリー フォード、発明王トーマス エジソン、そして当時の大統領ハーバート フーバーの3人が南北戦争時代のいでたちに飾られた古典的な薪焚きの4-4-0(アメリカン タイプ)の蒸気機関車 “SamHill"号の扮する「R大統領号」が引く特別列車に乗り込んで、デトロイトのミシガン セントラル駅から開館式場のグリーンフィールド ビレッジに臨んだのである。この時の「気笛一声」でこのユニークな博物館がオープンしたのだった。』との展示が来館者を出迎えてくれていた。
先ず本館の古めかしい室内装飾の残っている多くの部屋にはヘンリー フォードの遺品、美術品、それに素晴らしい調度品などが保存展示されており、特に突き当たりの発明に関わる大きい部屋には親友のエジソンの発明資料が合わせて展示されていた。この部屋の雰囲気にひたっていると、何故か私は伊勢の鳥羽の真珠島に建られている真珠王の御木本幸吉の遺品を展示している真珠博物館のひと部屋に立っているような錯覚に襲われたのだった。
次は本館の裏手の展示棟へ向かうのだが、この博物館には珍しいことに展示物のリストやその紹介記事を載せたパンフレットや小冊子などの印刷物を探してみたが、遂にお目に掛かれなかった。そして『展示物の記録を残したい方は売店に“レンタル カメラ”を用意してありますのでご利用して下さい』との掲示のあることを発見した。成る程展示物をしっかりと観察してもらう為には優ぐれたアイデアであるとは思って見たが、時間の余裕の持たない“特急見学者”にとってはいささか不満の残る所であった。
さて、1927年に建てられたとはとても思えない位の近代的な風情をかもし出している巨大な体育館を思わせる展示棟では、その高い屋根には北向きの明かり取りガラス窓が設けられており、軟らかい自然光が展示物を美しくフイルムに写し撮らせてくれている。ここの展示の領域はあらゆる産業遺産をカバーしており、この屋内展示の中心は陸上交通コーナーであることは勿論である。そして展示物の多さと内容の濃いことには驚かされた。
本館から展示棟に入ると最初に目に付くのは何と云っても、右手の奥に天井に届く程の巨体を見せている蒸気機関車であろう。近寄って行くにつれて、そのマンモスSLを真正面から眺めるようになっていた。その姿には何故か見覚えがあるのだったのにはちょっと驚いた。それは私が子供の時代に父から買ってもらった「のりもの」の絵本の一ページに描かれたアメリカの巨大なSLの力走する姿であることが判って来た。確かに、巨大な機関車の先頭にある円形の煙室扉に取り付けられた二台の複式コンプレッサーが見るからに「化け物」のような力強い迫力で迫って来ていたからであった。
今日は、「アレゲニー」と呼ばれるC&O(チサピーク アンド オハイオ)鉄道のbP601号を紹介しよう。この機関車の車輪配置は「2−6−6−6」と示されるのだが、先ず一軸の先導林に続いて三つの動輪を持ったc型の動輪群が二組続き、最後に巨大な火室を支える三軸の従台車で構成されており、二組の動輪群にはそれぞれシリンダーが装備されていて、お互いに上下左右に結合の自由度を得るための「ヒンジ(ちょうつがい」構造で連結されていると云う連接式蒸気機関車なのである。このようなSL二大を連結したようなサイズの機関車が開発された背景には、アメリカ大陸東部大西洋岸に並行して走るアパラチヤン山脈の一家府であるアレゲニー山地に優良な石炭が開発され、ウエストバージニア州の山中から産出した石炭をを5,000トンも満載した運炭列車を5.8パーミルの勾配が13マイルも続く峠超えを45mphで走り抜けて、太西洋岸のバージニア州の商港まで経済的的にピストン輸送するために開発されたのであった。
この二台分の動輪群に蒸気を供給するためには広大な火室を備えた巨大なボリラーが必要であり、この長い機関車がカーブを容易に通過出来るようにするための工夫として、機関車の動輪群を支えるフレーム(台枠)は二つに分割して、互いに連結された形が発明されたのであった。そして、『このSLの最大の特徴は石炭を燃焼させる火室は先のオープニングに登場した“Samhill”号をそっくり呑み込んでしまう程の大きな広さを誇っており、牽引力に挑戦して来たSLの極限の姿を見ることができる。』とのナレーションが流れた。
この機関車は成績が良かったのか60輛も建造され、このデトロイト近郊の火力発電所へのケンタッキー炭の輸送に大活躍したことで知られており、それ故にフォード博物館に献納されたのであろう。
ご参考に機関車にまつわる性能諸元を転記しておこう。
・C&O(、チェサピーク アンド オハイオ)鉄道
クラス H-8 「アレゲニー」"Allegheny"
車輪配置: 2-6-6-6
関節式機関車
製造しょっ:リマ機関車工場
重量:775,000 lbs(600トン)
動輪直径:65 inches
boiler pressure:260 psi,
四つのシリンダー:22.5 X33 IN (diameter X stroke)
火室:9ft x 15 ft
火格子面積:135 square foot
3軸従台車
テンダー重量:430,000 lbs
炭水積載量:25,000-gallon water/25-ton coal
全長:125フィート。
tractive effort: 110,200 lbs
出力:7500 horsepower/40 miles per hour.
1941年12月にリマ機関車会社から10輛が到着、
そして H-8クラスとして、1600〜1609号となった。
この新しい車軸配置はアレゲニー山地に因んで「アレゲニー」ベと"Allegheny"と命名された。
全部で60輛のアレゲニーが作られたら、この中の23輛には旅客列車用の蒸気暖房装置が装備されて、大戦中の兵員輸送列車や、〒列車に活躍したが、高出力を発揮するには至らなかった。
通常仕業では10,000-tonの貨物列車を15mrhのの速度で牽引することにされていた。
1952年になるとデーゼル機関車の統括運転に役目を奪われるようになり、1956年には廃車となった。現在静態保存されているのは二輛で、もう一両はメリーランド州都のボルチモア市にある「B&O鉄道博物館にある。
撮影:1978年
…………………………………………………………………………………………………