自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
SL写真展 ( INDEX )〜アメリカ & 日本現役

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064. 「なまはげ」風寸劇のあるHuckleberry Railroad(ミシガン州
〈0001:〉
Huckleberry RR.♯2

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〈紀行文〉
  1978年の厳冬の頃からデトロイトに駐在していた私たちは、待望の初夏の休日に二時間ほど北へののドライブをして、フランケンムースと云う古い街道沿いの小さな田舎町に昔から栄えていると云うドイッ風チキン料理とドイツビールで名を知られた店に昼食に出掛けた。このミシガン州にはドイツからの移住者が多く、初夏のデトロイトで催されるドイツでぃの日には緑色のビールを痛飲したことがおもいだされるほど、ドイツノ習俗は根付いているようだった。そして、
その日の午後にはデトロイト子たちの話題となることの多かった“Genesee リクリエーション・センターー”を訪れようとしていた。
デトロイト市街を取り巻く環状ハイウェーを脱出して、北へ向かうI−75(インターステーツ・ハイウェー)に乗ると、緑の森と青く澄んだ何十もの湖が散在している田園地帯を65マイルほど北上した。やがて、ゼネラルモータース社(GM)の発祥の地であり、自動車組立工場やGM工業大学などのある企業城下町のフリント市の脇をすり抜けてしばらく北上すると、最近オープンした Genesee郡が運営する一大レクリェーションセンターの存在を示す看板が現れた。そこは川を堰止めて湖を作り、馬場・アスレチック競技場・水上スポーツ施設はもちろんのこと、歴史村“クロスロード・ビレッヂ・と“ハックルベリー鉄道”を順次充実しつつあったのだった。このクロスロード・ビレッジはミシガン州の18世紀の社会の様子を35の施設で再現保存している歴史村であり、それに付随して設けられたアトラクションが“Huckleberry Railroad”である。その名前は、なんなく走っている列車から跳び乗ったり、飛び降りたりするいたずら好きの少年の名を冠しているように、列車の運転中に馬で乗り付けた西部の荒れ物が演じる社内劇を象徴しているのであった。
この鉄道は中西部では珍しい3フィートのナローゲージであって、二つの大きな湖に面した岸辺を約4マイルの直線距離を確保しており、両端はループ線によって転向する仕掛けとなっているのだった。
歴史村に入る踏切の角がクロスロード駅で昔の板敷キノプラットホームを設けた駅舎があり、木製の桶で作られた高架水槽が線路脇に設けられていた。駅を発車してしばらく進むと二つの湖をつないでいる深い谷となった水路は、夏の渇水にあえいでいるようであった。古めかしい丸太作りの架橋を渡る♯2の晴れ姿の撮影を試みた。濃い緑の森林の背景に溶けこまれてしまいそうな西部開拓時代の伝統的な濃い原色をペイントしたSL ♯2が現れたが、下の方の河面に浮かんだ緑色の藻の鮮やかな色は強く印象に残ったのだった。
なんといっても、ここの売りものは、列車が終点の先にある森の中のループ線をゆっくりと転向する間に演じられる「ホールド アップ」の列車強盗寸劇だろう。ミシガン大学の演劇部の出演だと聞いたが、強盗の姿をした西部の荒れ者が列車への飛び乗り風景も中々の名物シーンだし、また保安官への変身も見事な役者振りなのである。それは強盗を追跡して列車に乗り込んで人を調べ始めた保安官が乗客の中に混じっている子供たちを指さして、「勉強しているか!」とか、「
悪童は列車から放り出すぞ」など尋問する仕草は、日本の東北の秋田の年中行事"ナマハゲ、の「ひとコマ」を思い出させてくれたのであった。
この一見、歴史の浅そうなハックルベリー鉄道にも、実は古い歴史が刻まれているのには驚かされる。先ず、1857年に始まった Flint&  Pere Marquette 鉄道の一部として誕生したようであった。最終わ的に1872年にF&PMのOtter Lake 支線として、フリントからOtter Lakeを経てFostoriaまでの19マイルが完成したのであった。この鉄道は、そのごC&O(チサピーク・アンド・オハイオ)鉄道の支線に合併されたものである。その廃線を3フィートのナローゲージに改軌したのであった。
私たちの訪ねた1978年には、ここで活躍しているSLは唯一の♯2だけであって、とても大切に運転されていたようであった。
このSLが今まで辿って来た歴史を考えると、最後に幸運に恵まれた物と祝杯を挙げたくなるのであった。このSLは1920年6月にBLW(ボールドウィン機関車製作所)で♯152、4-6-0として、アラスカ・エンジニアリング委員会向けに完成され、アラスカ鉄道の建設に貢献したのであった。その後は幾多の流浪と、スクラップへの危機を乗り越えて、カリフォルニア州のAntelope & Western鉄道に買収され、1963年に♯2へと改番された。その後再び流浪の旅へ出たが、1975年にミシガン州のGenesee郡公園局が買収して、整備を進めていたが、1976年のオープニングで蘇ったのである。それから唯一のSLとして14年間休み無く活躍していたが、1990年末にオーバーホールのため4年ほどサービスから離れたが、再び現役に戻っているとか。
ここの講演局では♯2の相棒となるSLを探していたが、その努力が実って1983年になって、カリフオルニア州ロスアンゼルス郊外にある遊園地“Knotts Berry Farme”から元 デンバー・アンド・リオグランデ・ウェスタン(D&RGW)のナローゲージSL ♯464を買収することに成功した。そして整備をかんりょうしていたので1990年に♯2が故障した時には代役として活躍したと伝えられている。
この♯464を含めた1903年BLW製の一群のD&RGWの15輛のSLは、“Vauclain Compound cylinders”を装備している形式で、Stephenson Valve GearとD&RGWのスロープバックノテンダーを装着していた。その後、スライドバルブに変更され、今は再びピストンバルブのワルシャート バルブギヤーに変更されている。最後は1975年頃までコロラド高原の奥のデュランゴのシルバートン・トレィンで活躍していた経歴が記されている。最近のインターネット情報によればこのハックルベリー鉄道が保有するSLは7台になったと云うから、その充実振りには眼を見はらせるものがある。
さて、この小さな旅はドイツ料理のフライドチキンとビールにはまんぞくしたのだったのだが、鉄道写真の少ないのに驚いたが、後の祭りだった。
所で、アメリカは歴史の浅い国だからだろうか、古い物の保存活動は,まるで熱病につかれたかのようにやっているように見受けられる。元来、骨董品好きの人々であるからなのだろうか。これに関わるボランティアの面々も周囲からその価値を認められ、一目おかれているとのことである。ある日,シェィ機関車で名高いオハイオ州のリマ市を訪れた時、郡の主宰する博物館があり、そこにシェィが1両保存されているとのことだったので訪ねた。すると70〜80歳という老婦人がシェィ型森林用機関車の効能を熱心に説明してくれたのには驚いたものだ。
300箇所以上を数える鉄道関係の保存運転や静態保存展示、鉄道博物館、そして旅客駅の保存などがあり、そこでSLを動かすのに汗を流し、大勢の子供たちの相手をしている人たちの活動は、大切な社会教育活動の一環として敬意の眼をもって迎えられているのであった。


撮影:1978年
発表:「れーるがい」誌・1982年「アメリカの保存鉄道の現況について、カラー写真」。
「鉄道ジャーナル」誌、1984年7月号(209)から二回連載で、「デトロイト紀行として、白黒写真と紀行文を掲載した。

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