自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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030. ニューイングランドのカナデアン・パシフィック

〈0001:〉 
軽いカナデアン・パシフィッ

〈0002:〉
基地の{パシフィック1293

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〈紀行文〉、
 “スチーム・タウン・USA”と云う世界一の規模を誇るSLのコレクションのある博物館がアメリカの東北の片隅のニューイングランドにあって、1980年のシーズンが最後となるであろうとの観測記事が「Train」誌に載ったのを読んで、早速に遠路出かけることにした。
ボストン空港からレンタカーを駆ってハイウエーI−91号をコネチカット河に沿って3時間半ほど北上して、バーモント州のバローズフォールと言う田舎町に着いた。ここは豊かな水をたたえた河辺の町で、家具などの木材製品の集散地らしく、鉄道の駅前の通りに店が並んでいたのが目に付いた。この河に沿ってセントラル・バーモント鉄道(CV)、ボストン・アンド・メイン鉄道(B&M)との併用路線がこの町を通っており、ここから北西のルートランドに至る支線が分岐しており、これが元ルートランド鉄道であって、今、博物館が運営する保存鉄道のルートになっている。
 膨大な数に及ぶSL群のコレクションは転車台を中心にした放射状にレイアウトされた留置線に野外展示されていた。初見参の世界最大のマレー式SL“ビッグ ボーイ”を始めとする著名なSLの名は枚挙にいとまがない。
一方、保存鉄道は西側につらなる緑濃い山の名を名付けたグリーン ・マウンテン鉄道であって、SLはカナデアン・パシフィク鉄道(CPR)のパシフィク形の4輛が動態保存されて運用されている。そして、バローズフォールからコネチカット河を離れて支流のウイリアムス川を遡って、ルートランドの町に至る52マイルのルートは、開拓時代以前にインデアンの踏道(トレイル)として使われ、ヨーロッパからの移住者の西北部へ進む馬車の通った街道筋と云われる。
1849年にボストン行きの直通列車が開通して,毎朝新鮮なバーモントの山の幸(ミルク、バター、蜂蜜、メイプルシロップ)を運ぶ様になり,冬のスキー列車も通って繁栄を謳歌した時代もあったようだ。通常の運行は約12マイル北方のキャスターへの往復の旅であるが、秋のイベントにはルートランドまで重連で走ることもあった。
 朝もやの立ちこめるコネチカット河辺を、博物館の駅であるリーバー駅に行くと、柔かな朝の斜光線の中にCPRのパシフィック.1293は煙を
上げ、生き生きとしていた。ガソリン危機の最中である今日はお客の出足が悪く客車2輛の短かい編成として12時発の往復の仕業になるのであるとのことだ。
駅を出発した列車は右手に広いコネチカット河を見ながら、20パーミル近い上り勾配を進み、深い谷を形造っているウイリアムス川を七回も渡り、標高差
300フィートを稼いでチェスターに至るのである。この最初の橋梁は古風なだぶる ワーレン トラス式の鉄橋であり、広い河原を渡っていた。この付近が最も勾配も強くドラフトと気笛が深い谷間にこだまする。グリーンマウンテン鉄道の看板シーンらしく雑誌、絵葉書に良くお目にかかる古風な鉄橋の下を冷く清いウイリアムス川の水が流れ下る。バーモントの山々は松の林が濃い緑が多く、滝のある ROCKHILL を渡る。川は100フィート下の水面にしぶきがはねる。やがて平野があらわれ、昔のままの古い牧場の点在する風景が見え隠れする。遠くには、ニューハンプシャーの山なみが見られ、振り返ればばグリーン・マウンテンが右手にせまっている。
そして、小さな村に入り、100年もたった英国ビクトリヤ調の赤レンガ建のCHESTER駅に到着する。この駅には英国調のaD1293のワインレッドのランボード、ボイラ胴の淡いブルー、キャブの金文字のレタリングが良く似合う。機関車は機廻り線を通り逆向きで連結する。ペテラン機関士はパイプをくわえながら、やさしそうな眼でホームに降りた子供達を見守るのである。
 私は恵まれたワンチャンスを生かすのは、やはり第一の鉄橋と決めて、 30分も線路を歩いて川辺に降りてから三脚を川の中に立てた。強いドラフトを残してゆっくり橋を渡るaD1293の姿は十分に捕らえることが出来た。
今日の仕業はCPRの軽パシフィック クラス D5cのaD1293機で、カナデアンン機関車工場で、1948年に製造された新鋭機である。この博物館の創立者BLOUNTさんは、このSLの近代化された点を良く考慮して苦労の末1963年9月に姉妹機.1246と共にカナダの中部、ウイニペックで買収し,1964年春のオープニングに間に合わせた。
aD1293は、ここに動態保存されているパシフィックの中で最も良くCPRの原形を残している。カナディアンルックの象徴としては、
ワインレッドのランボードとキャブ
淡いブルのボイラー胴
淡黒の煙室
優雅な英国調のイメージのボイラー,蒸気だめ。
にゴールドのレタリング、1293の金文字がまぶしく光っている。
鐘はボイラーの上から煙室の前につけられ、
前照燈がアメリカ風になっているのが惜しい。
煙突の前にある箱はコイル型のヱレスコ給水温め器で、G5dの30輛につけられたものである。このG 5 は北アメリカにおいて最も新しく製造されたパシフィック型であるが,元来は1906年に設計されたG1,2クラスが源流になっている。1944年の春、支線用の古いG1,G2クラスの代替機として、G5型が作られたのである。70吋の動輪を持ち、ローラーベアリング、強制潤滑などの近代化が行なわれた軽量級で大成功であったと云う。

撮影:1980年
発表:「レイル」誌・1980年12月、冬の号