自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
SL写真展 ( INDEX )〜アメリカ & 日本現役

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012.  「ビルダーズプレート(製造者銘板)

    (あめりか、 ボールドウイン機関車工場

ビルダーズ・プレー

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〈紀行文〉
 銘板、すなわち、ネームプレートのことであるが、高価な大型の機械製品には、メーカーの名前が誇らしげに大きく浮き出している豪華な鋳物製の工芸品に近いものが多く見受けられる。その点では、このSLの丸いビルダーズ・プレートには、主役として製造番号が中央に据えられているが、訳ありの珍しい例ではないだろうか。
鉄道車両の中でも電気機関車は側板の中央に、SLでも運転席の窓下に取り付けることが多いようである。
それに対して、この場合はボイラー胴の前端の煙室に当る側面に鋲(びょう )打ちされている。このようなビルダーズ・プレートは機能には関係するものではないが、趣味の世界では第一番に重要であるとこだわるのも面白い。
 SLの寿命は予想外に長くて、50年以上も現役で働き、更に第二のお勤めを果すものも少なくない。後に触れる“ジョンブル”は,150年祭を自らのボイラーで走って見せると云う離れ技(わざ)を演じた“つわもの”振りであった。そのような点からして、ボイラーを交換するなどと云うことは滅多にあることではない。ボイラー胴に取り付けていることは、SLの誕生の証を後世に伝える重要な役目をしているものと考えるのはどうだろうか。一方、機関車の各部品には製番が刻印されているが、足回りのメカニズムは損傷や摩耗により更新されることも多いのは、無理のないことである。
さて,この製番41196号のSLは、世界最大のSL製造メーカーとして知られるボールドウイン機関車工場(BLW)で、1914年に製造されたものである。
この会社の創立者である M.ボールドウィンは、ペンシルバニア州のフィラデルフィアで時計商を営んでいたが、港にイギリスから輸入され、陸揚げされたSLの組立てに携わったのが、SLとの縁であったと云う。。当時、アメリカの首府であったフィラデルフィアと北に位置して貿易港に発展していたニューヨークとの間に、馬車より速い、イギリスで発明された鉄道を建設したのがカムデン・アンド・アンボイ(C&A)鉄道であった。1800年代初期のアメリカでは、SLはイギリスから石炭鉱山用として輸入されたが、その地形の険しさの違いや、レールが木材に鉄板を張った木製レールだったことなどが災いして失敗する例がしばしばであったことから、西部を目指した鉄道会社では、軽量のアメリカ製SLを工夫して使っていた。これに対してC&A鉄道では、すべての資材をイギリスの鉄道の父とされるスチーブンスン会社から輸入することに決め、有名なロケット号の子孫に当る44号を輸入したのである。そして組立てられたSLは、平坦地のデラウェア河沿いを超スピードで快走し、後に、“ジョンブル”(John Bull:英国紳士)と名付けられ親しまれた。続けて数両が輸入されたが、やがて主要な部品だけを輸入し、その他はアメリカで製造されるようになり、合計で12両になったと云われている。
今、“ジョンブル”はワシントンにあるスミソニアン科学歴史博物館の中央ホールの主として、アメリカにおけるSLの始祖のひとつとなって納まっているのであるが、このSLが動態で当時そのままの姿で保存される幸運に恵まれたのは、C&A鉄道が「世界の標準」と豪語したPRR(ペンシルバニア鉄道)に発展したことから、記念SLとして保全の手が加えられ、献納されたからに他ならない。
その後、PRRでは、シカゴ鉄道博覧会のために、“ジョンブル”の複製(レプリカ)を製作し、運転したものが、現在はペンシルバニア州立鉄道博物館に展示されている。
さて、ボールドウィン機関車工場は1830年から1950年までに約10万台のSLを世界に供給すると云う大発展を遂げたが、その理由としては、部品の共用化、驚くべき納期短縮のための努力、新しい技術への挑戦の 3点が挙げられている。そのSL黄金期の“製造番号 60,000号”は、近代技術の粋を結集して記念SLとして設計製造され、全米をキャラバンで試走した。例えばピストンは 三気筒、高圧シリンダーが中央に、両サイドに低圧シリンダーと云う複式三シリンダー機であった。このSLはフぃラデルフィアのフランクリン博物館の大展示室において、実際にレールの上を 3メートル移動させると云うユニークなデスプレイでも知られている。また、ここには原型の姿のロケット号の孫が新旧対照的に保存点字されていたのもほほえましかった。

撮影:
1979年
発表:「塗装技術」誌・ 1990年10月号の表紙