自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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006. 噴水のあるセントルイス・ユニオン・ステーション ・(アメリカ)


セントルイス

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〈紀行文〉
 国の記念碑にも色々の物があるが、ミシシッピー河中流のセントルイスにはアメリカ合衆国が大西洋から太平洋岸に到る大陸国家となった記念碑がある。
西部開拓の玄関口として栄えた街にふさわしい“ゲートウエイ・アーチ”と呼ばれる高さ603フィートのステンレス製の輝くばかりのアーチがウオーターフロントに立っており、これはアメリカ合衆国の第三代大統領ジェファーソンがフランスのナポレオンから、この広大な西部のルイジアナ地域を買収したことを記憶するものである。
このアーチではエレベーターによって、瞬時に最上部まで観光客を運び上げてくれる。ここにも トムソーヤの冒険の舞台でもあるミシシッピー中流特有の子供まさりの、遊び心、冒険心などの地方色が読み取れるのである。
そして、細長いスリットのようなガラス窓からは、セントルイスの北部でミズリー河を合流させた大河 ミシシッピー河の両岸の様子が手に取るように俯瞰された。このミシシッピー河を縦軸とすると、横軸にはおびただしい鉄道線路とハイウェーが集中,離散しており、ここが交通の要所であることに目を奪われた。
このように、十三社の鉄道線が集中する大都会では、旅人たちの便をはかるために昔から、レール幅の統一や、運転時間の標準化、それと同時に相互乗り入れをする共同駅の発達が進められて来たようだ。
この噴水と時計塔を特徴とするセントルイス・ユニオン・ステーションは二代目で、現在はショッピング/ホテルとして当時の姿そのままに保存されており、栄華の時代を彷彿(ほうふつ)させてくれている。世界最大と云われるユニオン・ステーションが完成したのは1894年であり、当時、画期的な試みとして、世界中から建築デザインを募集して造られたのであった。駅に面するマーケット・ストリートをはさんで、“水の出会い”と称される大噴水公園を前庭にした、中世ゴシック風時計塔のある大理石建築で、二階の豪華なコンコースからは、42番線にも及ぶプラットホームに直接に行かれるようになっていた。
 この巨大なガラス張りの大鉄傘の下では、1日に240本もの長距離列車を発着させ、この間には、多くの人々の哀歓を織りなしてきたことでもあろう。
 1978年に最後の出発列車を見送った後は、荒廃するがままになっていたが、1985年に市により保存が進められた。
 さて、大通りの向こう側にある“水の出会い”と名付けられた大噴水の由来を記した銅板が壁に埋め込まれていた。それによると、メキシコ湾から発生し北上した水蒸気が、、ミシシッヒー河の上流で降った雨水となり、ミズリー河の流域に降って雨水となって、セントルイスの近くで再び出会い、合流して大ミシシッピー河となることを象徴しているのだとか。しかし、私には何か、このユニオン・ステーションでの人々の出会いにもなぞらえているように思われた。
この豊かな噴水は周辺にたたずむ女神像に注がれ、肌を洗い流してから、再びミシシッピー河の水として、母なるメキシコ湾へと帰って行くのである。そんな喜びを謳歌するように喜々として跳びはねては落ちて行く。
この噴水を透かして、向かい側を走り去って行く朝のジョギング市民の後ろ姿に当たる朝の斜光線を眺めながら過ごしたひとときであったが、この歓びに満ちた水の出会いとは対照的な日本の水の別れと云う感傷に思いが及んだのだった。それは分水嶺と云う言葉を思い出したからである。そして、信州の中仙道にある塩尻峠(塩嶺)には、「水の別れ」とも云うべき碑が密かにたたずんでいる。それには、峠の北斜面に降った雨水は奈良井川、犀川を経て信濃川から日本海へ、南の側面への雨水は諏訪湖から天竜川を経て、遠州灘の太平洋へと それぞれ分かれて流れて行く。「ここに降った雨の一しずくが運命の別れ道となって、それぞれ異なった海に注がレて行く」とあって、無情感が漂うのも日本人五のみでもあり、日本の島国の地形のしからしめる所なのだろうとと納得して腰を上げた。

撮影:1979年
発表:「塗装技術」誌・1991年5月号表紙