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出町柳〜銀閣


さて、賀茂大橋を渡り、東へ。
京阪電鉄鴨東線の終点、出町柳駅のすぐそばを通り、
百万遍の交差点に差しかかる。

ここは、西日本の名門、京都大学がある。
別に京大に知り合いがいるわけではないが、
ちょっとした想い出があるので、ちょっと寄る。

中途半端に有名な京大の時計台の南に、
京大・総合人間学部がある。
国公立大学はその昔、
教養部というのがあって、
そこで教養課程を終えたあと、
それぞれの学部の専門課程へ進んだそうだが、
総人(=総合人間学部)は
それを改組してできた学部である。

ま、そんなことがどうでもいいが、
その総人の入ってすぐのところに、
奇妙な胸像があった。
大学にある胸像というとその大学が輩出した
エライ人の像が普通なのだが…

はじめた京大に行ったときだったか、
顔がウルトラマンになっているのだな、これが(笑)
次に行ってみると、なにやらよく覚えていないが、
また変なのに変わっていた。

というわけで、今度は何に変わっているのだろうか、
と期待しつつ…

んが。
ない!胸像がない!
あんまりにも、バカバカしいので
撤去されてしまったのだろうか?
あな、空しや…
京大の「何でもアリ的」精神の象徴みたいだったのに。

気を取り直して、今出川通を東へ。
銀閣に向かう。
# 今回初の「京都らしい」スポットかも(笑)

銀閣前につくも、自転車の置き場に困る。
このへんが自転車観光に消極的、
というのを痛感する。
学ランやセーラー服を来た高校生が多い。
どうやら修学旅行のシーズンなのか。

高校の修学旅行といえば、
12月の真冬に沖縄に行くという
訳のわからない修学旅行を経験したので、
マトモな修学旅行がしたかったなぁ、
と思いつつ。

今年は紅葉が遅いので、
あまり紅葉は期待していなかったが、
ま、ぼちぼち紅葉しだしている、というところか。
アングルによっては、銀閣と紅葉を
一緒に写真に収めることもできた。

それはそうとして、銀閣は渋い。
が、紅葉の時期以外に来ると、
あまりに銀閣がひっそりしてるので、
龍安寺の石庭のような、銀紗灘(ぎんしゃだん)という
白い砂ばかりが目立ってしまうのが難点。

特別拝観なんていうものをやっているので、
ちょっと本堂と東求堂に上がらせていただく。
説明役のおばちゃんが、
なんだかんだと説明してくれるが
そんなことは上の空。
見たいところをキョロキョロする(笑)

東求堂の同仁斎といえば、日本史の教科書の
「東山文化」の欄に必ず入っている代表選手である。

床の間には、掛け軸をかけるところがないのだが、
実は、床の間のふすまを、
掛け軸の幅ぐらいのスペースで開けると、
掛け軸の役割を果たす仕掛けになっている。
# うーん、しみじみする世界じゃ(笑)

東求堂に安置されている足利義政の木造を拝見。
銀閣は、もともと義政の別荘で、
すべてが完成しない間に彼がなくなったので、
寺としてつくり変えられた。

8代将軍義政の頃と言えば、
ちょうど室町将軍も力がなくなって、戦乱が多い時代。
歴史の教科書に大々的に書いてある、
応仁の乱も、義政の後継者争いの末のことだった。

彼は、カミサンの日野富子に全く頭が上がらず、
言いたいことも満足にいえなかったらしい。
彼の木造を見ていると、
うつむき加減で、神妙な面持ちをした
義政の表情が妙にリアルに写る。

なんか、こういかにも日野富子に頭が上がんないのよ、
言いたいこと言えないんですぅ…、
別荘に居るときぐらいゆっくりさせてよ、
というような情けなさが伝わってくる。

あえて、現在ありそうなシーンで例えるなら、
家庭に居場所のないお父さんってところだろうか。

さて、その本堂にお願いを書く札を
300円で売っているところがある。
こういうのは趣味じゃないので、パスしようと思った瞬間。
えっ!というお願いを見つけた。

普通こういうところに書く「お願い」っていうのは、
家内安全とか交通安全とか学業成就とか、そんなやつなんだが、
その札には、「毛髪成就」と書かれてあったのだ!!
うーん、これはやはり深刻なのだろう。

親戚一同の男性が皆、髪が薄くなっていると、
自分も薄くなる可能性が高いらしいが、
親戚のおっちゃんは皆、髪は健全なので、
心配はしていないが…
ま、「毛髪安全」よりはいいでしょ。
今の髪を守ろうと守勢になるんじゃなくて、
増やそうとがんばっているんだから。
# えっ?そんな問題じゃないって?(笑)


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