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6日目:ヴェネツィア〜ヴェローナ〜ミラノ


霧は晴れなかった。
ま、天気ばかりはどうしようもないので、
せめて、雨さえが降らなければいいのだけれども。

ヴェネツィアがメインだ、
というのには、いろいろ理由がある。
まず、水のある光景が好きなこと。

湖、海、川、なんでもよし。
さらに庭園にあるちょっとした池でも
あるのとないのと比べると、雲泥の差がある、
と思うんだな。

さらに、このヴェネツィアは、
水路が発達していて、
中心地はすべて船で移動するになっている。
そんなわけで、水の都と言われることも多い。

が、「水の都ベニス」という言い方は、
好きになれない。
ヴェネツィアと言うほうがカッコいい。
同じく、フィレンツェをフローレンス
なんていうのも、いただけない。
イタリア語の「Z」の「ツ」の発音がなぜか好き。

もうひとつの理由は、このサイトで、
水の都のことについて、
書いたということと関係している。

大阪も、「水の都」を標榜している。
が、水がくさい。
しかも、江戸時代は、運河が張り巡らされ、
それこそ、ヴェネツィアのような街だったろうが、
今では運河を埋め立ててしまい、
その雰囲気を感じることが出来ない。

それでも、大阪は「水上バス」を運行し、
あの汚い川を航行することを売り物にしている。

ということを書いたのだが、
本家本元ヴェネツィアはどうだろう?
水は、きれいだろうか?
水の都とは、どんなものなのか?
それに興味があった。

さて、ホテルを出て、近くまでバスで移動。
そのあとは船で、ヴェネツィア本島まで移動した。
霧の影響で、なかなかスピード出すことができない。
が、スピードが出ていない、
というのは、添乗員がそういうだけのことであって、
船の窓からは確認できず、ただ真っ白なだけだ。

本島に到着すると、
中世のヴェネツィア総督の居住地
ドゥカーレ宮殿へと足を運ぶ。

中世、ヴェネツィアは独立した共和国で、
例えば、ミラノやフィレンツェも、
それぞれ外国だったわけだ。

ここが、けっこうおもしろい。
こういっては、不謹慎だけれども、
教会というのは、神聖な建物であって、
建物におもしろい仕掛けというものは、
つくりにくいだろう。
が、ここには何ヵ所かそういうところがあった。

まず、出てくるのが、
総督に謁見する外国人のための控え室だ。
そこから、謁見の間、議会、
裁判所などへ通じる道がある。
# もうひとつ何かあったような気がするが、忘れた。

興味その一は、この控え室だ。
洋の東西を問わず、天井にも絵が描かれていることは多い。
が、ここは天井に彫刻が飾られている。
ま、他にもそんなところがあるのかもしれないが、
これが、非常に気に入った。

天井そのものを彫っているのでは、もちろんなくて、
独立した彫刻が立てられ(吊られ?)ている。
他の部屋の天井が、豊富な財産があることをいいことに、
キンキラリンの金箔で覆われたものが多かったので、
なおいっそう、新鮮に思えた。

興味その二。裁判の間。
ここは文字通り、罪人を裁くところであるが、
中央に、ヴェネツィア総督が座る席があったり、
天井に壁画があったりという以外は、
現在の裁判所の小法廷、といった趣だ。

で、この裁判の間。縦長の長方形をした木板を横に並べて、
上から見ると円柱状になっているところがある。
# ちょっと、説明しきれてない?

ま、いい。
それの左から4番目の木板が、
よーく見ると色が少し違うのに気づかされる。
これ、なんと牢屋に通じている。
罪人が有罪判決になると、
ここが開いて、即刻牢屋行き、なのだ。

見てる分には、アハハハで済むが、
罪人にとっちゃぁ、最低の裁判所だろう。

さらに、この上の天井に飾られている絵、
よく見ると色遣いが少しおかしい。
これは、ヴェネツィア共和国が、
ナポレオンに制圧されたとき、
ナポレオンが、
「あ、これ俺気に入った、もーらおっと。」
とかなんとか言って、フランスに持って帰ってしまったのだ。

ほとんど、ジャイアンの
「おれのものはおれのもの、おまえのものもおれのもの」
的発想であるが、未だにフランスにあり、
ルーブル美術館に保管されているという。

前から聞いていた話であるが、イギリスの大英博物館や
フランスのルーブル美術館が
1日では絶対回れないというほど巨大なのは、
植民地を持っていた時代に
各地から強奪してきたものを所蔵しているからだ、
と聞いたことがあった。

イタリアでは、絵を返せといっているらしいが、
フランスは応じる気が全くないらしい。

その裁判の間を出てすぐのところに、
また何かを引き剥がしたようなあとがある。
そう、これもナポレオンがもっていったものだ。
# ナポレオンは単なる泥棒?

日本では、江戸時代に町人の意見を
政治に反映させようということで、
8代将軍徳川吉宗が、目安箱というものをつくっているが、
それのヴェネツィア版というべきものが、
ここにあったらしい。

手紙を入れるポストのところが、
ライオンの口になっていたそうだが、
その彫刻が、またいたくお気に入りのようで。
# はぁ、なんだかねぇ。

さてさて、ドゥカーレ宮殿を出ると、
次は、サンマルコ教会。
ここの正面は、いろいろな色の石で作られているが、
これは、世界各国を飛び回って、
貿易で富を得たヴェネツィア人が、
各地からかっぱらってきたものとか。
# ヴェネツィアもやっとんやんけ。

中が暗くて、絵がよく分からなかったせいか、
あまり記憶に残っていない。

さて、A・O・Kの三人が、
怪しい人から何かを買ったようだ。
なんか粘土のもののようだけども、
ゴム状の物のなかに砂がつめてあるだけのものだ。

はじめは、これを10000リラ(約530円)
などと言ってきたが、最終的に1000リラ(約53円)
まで下がったので、買ったらしい。
# そんなものどーすんのかしらんけど。

サンマルコ教会のあるサンマルコ広場で、
なにやら台のようなものをたくさん見かける。

ガイドの説明では、人工的につくられたヴェネツィアは、
よく水位が上昇して、島が水に浸かってしまうことが、
よくあるそうで、このサンマルコ広場が、
特によく水に浸かりやすいとか。
そこで、そのときこの台の上を歩くのだそうだ。

つい最近の2000年11月にも、1メール50センチほど上昇し、
このサンマルコ広場を船が行き来したらしい。

さて、次はゴンドラ。
4〜5人乗りの小舟で、ヴェネツィアの水路を遊覧する。
や。これはいい。やはりメインにふさわしい。

このように水路しかないと、タクシーやバスも
当然すべて船。バスの乗船場もたびたび見かけた。
残念ながら、タクシーは見かけたのだが、
シャッターチャンスを逃してしまった。

広い大通りだけではなく、
狭いところにも舟は入って行く。
少し水に触ってみたり、
少し身を乗り出して、水を眺めてみた。

かなり濁っており、そこは全く見えないが、
人工的な汚れではなく、苔とか藻が
繁殖しているからのようだった。

ま、そりゃそうだろう、
あんなに水路がややこしく入り組んでいれば、
水の出入りは、ほとんどなく淀んできて当然。
しかし、救いようのない淀川的汚染はなく、安心した。

本当に、大阪が観光をやるとつもりなら、
それも、水上バスとか使って、
「水の都」をアピールするのなら、
目を見開いて、よぉ〜く
ヴェネツィアを見てきてほしい。

そして、ヨーロッパ的な部分を外した、
水の都ならでは、の雰囲気を感じてほしい。
そんな理由だったら、
税金使って、視察行ってもいいから。

さて普通、舟というのは、障害物のあまりない、
だだっ広いところを航行するものだが、
このような狭い路地では、
車が行き来する場合のように、
一方通行とか、進入禁止とかを
決めておかなければならない。

ちょうど見やすいところに右折禁止(だと思われる)
標識を発見する。
帰ってきてからこの話をすると、
伯母から、小さい時からマークが好きだったから、
なんて言われた。

遊覧は30分ほどで終わり。
次は、ガラス工芸の実演を見学。
ここの従業員、みんな日本がバリバリ上手い。
完全に日本人相手の店だ、と思うとそうでもない。
ヨーロッパの別地域(フランス?)からの人もいたので、
この日本語の上手さには、
久しぶりの商魂のたくましさを見た。

というのも、イタリアに来てから、
ホンマに働く気あるんかい、
と思ったことがよくあって、
休日は多いし、昼休みまできっちり休む。
これでもまだ足らないのか、
日本のお盆のような日を作って、
今年から休日になったらしい。
その名も、「死人の日」。
# そのままやろが。

そのあと当然のように、ショッピングタイム。
いろいろ見て回るが、高い。
いや、もちろん、日本の物価レベルからすると
安いんだろうけど、それでも。
# 日本人相手ってことで吹っかけられてもいない
# と信じることにしよう。

いろいろ迷っていると、いいなぁというのがあった。
が、セット商品。単品ではダメ、とのこと。
しかも、そのセットは、今の懐では高い。

となりのセットは、買えない値段ではなかった。
色も深みのあるウイスキー色。
いや、本当はこんなところでは、
琥珀色というものだが、
ウイスキーをストレートでキュキュッといくのに
ちょうどいい感じだったから、
そんな表現が頭に浮かんでしまった。

以前、修学旅行で沖縄に行ったときも、
同じくガラスの興味を持ち、
赤や青のきれいな色のグラスを買ったのだが、
一向に使う気がしなかった。
しかも今度は、24金の飾りまでついている。
もっと使わなさそうだ。

うーんどーしよう。
買おっかなぁ、どうしようかなぁ。
なんて悩んでいると、WさんとT、
それにTとよく話していた20代女性二人組みが、
(税関で捕まった人たちとは別人)
営業活動してくる。

「一生もんだからさ」
「お金なら貸すし」
「あたしも買ったよ」
「こっちの方はどう?」

おまえら、どっちの味方だぁ。
まぁ、いいや、買っちゃえ。
お値段、日本円で28000円。
イタリアリラにして、約532000リラ。
ふぅ。梱包してもらって、
手渡されると、別の意味で重かった。

友人たちの話では、このあと、
nikko81の行動がおかしかったらしい。
完全な天然系になってたようだ。
しゃべってても噛んでばかり、
バスの座席間違うし。

Tとお姉さんたちに、
ヴェネチアングラス、恐るべし。
なんて言われて、冷やかされる。

その横で、Hさんが、
気をつけるよう忠告してくれる。
さっき横にいた男がなんか危なかったらしい。
そうか、こういうときにスリに遭うんだろうな。

もう後は、昼食を食べて、
ヴェネツィアを後にする。
ぬぬぬぬ、せめて一日おらせてくれぇ。
半日じゃ、あかんで。

ヴェネツィアで、
イカ墨のスパゲッティを食べる。
こんなに黒くなるのか。
ウェイターが意味を分かっているのかどうかは、
不明だが、やたらとアヤシイ日本語を連発。
おばさま連中に、
「ドウゾ、オジョウサマ」
なんて言ってバカウケ。
# こちらは、というと呆れてみているしかできなかった。

さらに、皿を下げるとき、
「アリガトウ、オイシカッタ」
なんていいながら、皿を下げる。
おいおい、それはこっちのセリフだろうが。
単語だけ知っていて、
意味は知らんのだろう。

さて、無常にもバスは出発し、
ロミオとジュリエットの話で有名なヴェローナへ行く。
といっても話をよく知らないので、
なんだかなぁ、という感じではあったが。

この話は、イタリアのシェークスピアが書いた物語である。
が、当の本人は、この地を訪れたことがなく、
旅の商人たちから聞いた話を
もとに作品を書いたのだという。

ロミオのモデルとなった人の家の前に行くが、
そう説明されないと、わからないほど普通の家だった。

少し歩き、露店の出ているところで
少しフリータイムが出た。

ここで、公衆電話機に関心が行く。
というのも、ナポリのホテルカブールを出たときも、
公衆電話機が気になった。

今、日本ではICカード用の公衆電話機があるが、
あれ、どうも気に入らない。
なぜって、ダサすぎ。
もう、みんな携帯電話で話すんだから、
公衆電話なんてどうでもいいやん、
という姿勢が、デザインから感じられて、
いい気がしないのだが…

っと、閑話休題。
そんなわけで、ナポリの電話機なんだけども、
なんか安っぽいというのか、
ビンボくさいというのか、
ノペッとしているというのか、
とにかくいただけない。

逆に北イタリア、ヴェローナでは、
すきっとした感じで、よかった。
「かぁっこいいー」
とまではいかないが、感じはいい。

イタリアの中でも、
北と南では、経済状態がかなり違う。
もちろんヨーロッパの中でも、イタリアという国自体が、
経済的には、かなり厳しい部類に入る。

ヨーロッパは、通貨統合も果たし、
経済的には、フランスやドイツといった単位で考えるのではなく、
ヨーロッパ、という単位で
考えなくてはならなくなってくるわけだ。

その通貨統合に参加するには、
参加国に一定の経済上の条件が課される。
そこで、ギリシアが条件を満たせずに、
通貨統合に参加できなかった。
そのとき、よくイタリアはクリアできたなぁ、
という感じを持ったほどだ。

そのイタリアの中でも経済状況が、
北がよく、南は悪いというような、
地域格差が存在している、というわけ。

添乗員の話では、イタリアに存在する
過激な政党の中には、
お荷物の南イタリアを切り離し、
北イタリアだけでやっていこう、
と主張する政党があるのだそうだ。

ツアー旅行では、そういう地域格差なんていうものは、
なかなか分かりにくいのものだが、
何とか北と南の違いを見つけようとしてたのだが、
電話のデザインの違いしか、分からなかった。
# ま、ツアーでは限界があるかな。

と、ロミオとジュリエットはどこへやら、
という感じだが、出発時刻になり再び歩き出す。
今度はジュリエットの家へ。
そこには女性の彫刻があり、
左右の胸に触ると、どちらかが愛情、
どちらかがお金に恵まれる、んだったと思う。

ま、そういうのはあまり趣味ではないが、
ノリのいいおばさん連中のいる手前、無視するわけにも行くまい。
どっちだったかは…忘れた。

さて、もうあたりは真っ暗、
ヴェローナからバスで5分の土産物屋で買物。
なんか高い気がして、あまりか買わなかったが、
ビンに蛇口がついているリキュールは、
おもろいな、と思って買った。
# って、ネタ系の土産が多いよな気もするが。

さて、しばらくバスで走って、
ミラノに到着。
やはり予想通り、日数を重ねて行くにしたがって、
ホテルがグレードアップするようだ。

うーん、どうしよ。
自分の中では、イタリア旅行はもう終わってるんだけど。
ミラノじゃぁ、どーしあしょうねぇ。

ナポリからずっとバスを運転して、 いろんなところを回ってくれた
ドライバーのアンジェロとは、ここでお別れだ。
彼は、明日スイスのチューリッヒまで行って、
また、日本人観光客を乗せて移動するのだという。

イタリアの観光バスの運転手というのは、
一度家を出たら、2〜3ヶ月は、家を空けるのがザラだとか。
なもんで、結婚しても必ず離婚、
というのが大方のパターンらしい。
もちろん、彼も例外ではない。
# わからんでもない話だけど。

こんな重労働で、だいたいお給料が、
月50〜60万円、それにチップだ。
ちょっと割が合わないぜ、と思うがどうだろうか。
ひょっとすると、彼には何か、この仕事を続けるさせる、
彼なりのドライバー魂があるのかもしれない。

バスから降りると、チップを渡した。
添乗員は、5000から10000リラぐらいと言っていたので、
10000リラを渡す。

警察には、呼び止められるし、
運転ばっかりでしんどいだろうな、
という気持ちはあっても、
下手にチップを増やすことは、できなかった。
なんでも、金でコトを済まそうとする
イヤミな日本人の典型のような気がした、から。

どうやら、Tもそんなことを考えていたようで、
彼には、帽子をプレゼントした、
と言っていた。

アンジェロと握手をし、
そんなことを考えながら、
ホテルに入った。

アンジェロは、このホテルで、
晩飯を済ましてから行くそうだ。
だったら、アンジェロと
都合のつく同じツアーのメンバーと
記念写真をパチリといこうじゃないの、
ということで、ホテルで写真を1枚。

さて疲れたので、早めに就寝。
明日は、はイタリアの旅最終日。
はたまた、どうなることか。


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