さて、フィレンツェを出て、さらに北上。
今日中には、(自分の中での)メインシティ、
ヴェネツィアに着くことになっている。まず、最初に向かうのは、サンマリノ共和国。
共和国?
そう、イタリア共和国ではなく、サンマリノ共和国。
世界地図を眺めるのがお好きな人なら、
ご存知であろうが、イタリア半島には
二つの小さな国がある。ひとつは、ローマの中にあるヴァチカン市国。
ここはローマのところでも書いたように、
ローマ教皇の居住地にして、
ローマ・カトリックの総本山。んで、もうひとつが、このサンマリノ共和国である。
ローマ帝国のイタリア半島の部分を受け継いだ
西ローマ帝国は、すぐにつぶれてしまった。代わって力をつけたフランク王国も、
いったんは、イタリア半島の半分をまとめたが、
分裂した後は、現在のフランスやドイツのある場所のように、
まとまった国には、19世紀までならなかった。そして無数の小規模な国と、
ローマ教皇が持つ教皇領、
あと南イタリアは、北欧を荒らしまわった
かの有名なヴァイキングの一族のつくった、
ナポリ王国が割拠する半島になった。この時代から、サンマリノ共和国はあるらしく、
キリスト教の迫害で追われた、
サン・マリノという聖人が作った国だとされている。
彼らは、自活しながら、
戦争もせずに暮らしてきたそうな。貿易で多大な富を手に入れた
ヴェネツィアやフィレンツェが
フランスのナポレオンに制圧されたとき、
彼は、無欲なこの国を非常に気に入ったという。そこで、今のままじゃ領土が狭くて不自由だろう、
と、ナポレオンが領土を拡張しないか、と持ちかけてきた。
しかし、サンマリノの人は、感謝しつつも、それを拒み、
今まで通りの生活を続けたという。さてさて、そんな歴史のあるサンマリノ。
添乗員いわく、別に観光名所はないんだけどぉ、
寄っていきましょうか、という感覚だそうだ。少し低めの山のようなところに、中心地があり、
途中までバスで上がるのだが、濃い霧が立ち込め、
視界がかなり悪い。人口25515人。内何千人かはイタリアで職をもっている。
ただしその際、外国で働くわけだから、
パスポートは当然のこと、
その他にも、いろいろ面倒な書類作成があるらしい。ただ、むしろそんな面倒くささよりも、
サンマリノ人は、自分たちの国の生い立ちに、
誇りをもてるのではないかな、と思った。経済的には、おそらく観光業が
一番の収入源ではないかと思うが、
そのほかにもいろいろ他の産業もやっているらしい。なかなか微笑ましい(といっては失礼だけれど)のが、
この国の議員60名と2名の最高責任者のほとんどが、
商店やレストラン・バーなどを経営する、
兼業政治家なのだ。これは政治家の報酬が少ないため、
政治家だけでは、生活を維持することが難しいことによるらしい。
ということは、最高責任者ですら、
商店の経営者かもしれないのだ。こんな風に、金銭的な報酬がないのに、
政治家を務めているこの国の政治家は、
たぶん純粋な奉仕の精神をもった政治家かな、
と思ったりする。
# 現に、アメリカ大統領リンカーンから、
# 「歴史上もっとも尊敬すべき国家のひとつ」
# と、惜しみない賞賛の言葉をもらっているらしいし。さて、小さな国会前で、解散しフリータイム。
といっても店しかないので、ショッピングしかない。
Kが指摘するように、このサンマリノは、
若干、イタリアよりも物価が安いようだ。ついつい、いろんなものを買おうとしてしまう。
ふっと目をやると、ナポレオンというブランデーを見つけた。
ブランデーの銘柄で、ナポレオンというのは、
知っていたのだが…。
安すぎる。
7000リラ(約370円)。
あまりの安さに引いてしまい、買う気が失せる。
# 中身はジュースでした、なんていうオチがありそうで。もう少し上へ上がってみると、
骨董品屋というか、ガラス細工屋というか
そんな店に入った。
店のおばちゃんがいろいろフレンドリーで、
ガラスの興味があることを察知すると、
いろいろ勧めてくる。んー、でもなぁ。
ガラスと言えばヴェネツィアだし。
確かにそれらしいのがあるんだけど、
どうも絵付けが…およ。金色の模様に深い琥珀色をしたグラスがある。
ここに飾られているところは、他のものと比べると、
カクカクした感じで、明らかにつくりが違う。
それに、細工が丁寧であるように見えた。
おばちゃんがやってくると、
「It's Super!」
なんて、驚く表情を見せる。
# いや、おばちゃん。superは英語の接頭辞で単独では使えませんよ、
# とツッコミを入れたかったが、そんな英語力はなかった。ま、どうやらハイ・グレードと言いたいらしい。
おばちゃんが持ってきた説明書によると、
これは、ヴェネチアン・グラスではなく、
ボヘミアン・グラスのようだ。今、インターネットで検索にかけると、
どうもこういうことらしい。
ヴェネチアン・グラスは、金などの色付けの技法に優れ、
ボヘミアン・グラスはカット技法に長けている、とのこと。もちろん、このときはそんなこと露知らず、
いいなぁと思ったので、即買い。
140000リラ(約7400円)のボヘミアングラス、お買い上げ〜♪いったん店を出て、昼食をとるレストランの前まで、
来ていたのに、突然Tがさっきのおばちゃんと写真を撮ろう、
と言い出す。そこで、さっき下ってきた坂道
を一気に駆け上がり、先ほどの店に戻って、
写真を撮った。
…疲れるぅ。現地で時計がなくて、
とにかく、時間を確認するために、
どんな時計でもいいから必要だったKは、
安い時計を購入。その時計なんと、
G-SHOCKの偽物、その名もS-SHOCK。
その「S」はなんなのかよく分からないが、
サンマリノ・ショックの「S」にしとこう、ということになった。んで、昼食を済ませて、再びバスに乗り込み、
サンマリノを後にする。
特に名所はないが、おもしろかった。ここまで、全くお食事の話はしていないが、
それは、あまり書くほどのことではないから、なのだ。
ぶっちゃけた話、このツアー、15万円の格安ツアーである。
やっぱり、何を削るかってアンタ、
食事に決まってるでしょうよ。ま、そんなことはさておき、
次は東欧の雰囲気漂う、ラヴェンナへ。
東欧の雰囲気の源になっているのが、
ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂のモザイク壁画である。モザイク壁画というのは、
細かいタイルというか、色のついた石というか、
そういうものを貼り絵のようにして、
絵を書いていく。またまた、歴史の話になってしまうが、
東西に分裂したローマ帝国は、
その後、1000年にもわたって存続する。
6世紀、力を取り戻した東ローマ帝国は、
西へ攻め上り、かつてのローマ帝国の
栄華を取り戻そうとした。そのとき活躍したのが、この聖堂の
正面左右の壁画に描かれている、
ユスティニアヌス1世と皇后テオドラである。
あぁ、そうや世界史で、やったなぁ。東欧の雰囲気というのが、
この東ローマ帝国と非常に関係している。
これは、後にビザンツ帝国と呼ばれる。
ここにも実はローマ教皇のような、宗教の指導者がいて、
コンスタティノープル総大主教という。これが、宗教上いさかいを起こし、
キリスト教自体が、東西に完全に分離し、
それぞれ独自の道を歩むことになる。
んで、この西のローマ・カトリックに対し、
東は、ギリシア正教といわれた。これがビザンツ帝国の滅亡後、
ロシアに引き継がれ、ロシア正教と名前を変え、
東欧の国は、たぶんほとんどが
このロシア正教の国になっていた、と思う。
だから、なんですねぇ、東欧の雰囲気がするというのは。ま、モザイク壁画はこれはこれで、
けっこう味のあるものだった。
が、お土産品はサイテー。
これを土産とするなよって感じで、
出来があまりに、悪すぎる。
ま、仕方ないので、ここでのショッピングはナシ。このラヴェンナという町は、
イタリアの観光地でも有数のトイレのない町だそうで、
もちろん他の日本人観光客もいるわけで、
トイレはたちまち満杯。しかたなく近くのバールで、何か注文して、
そのついでに、トイレを借りて欲しいとのこと。
どうなんだろう、あまり観光地として
整備する気がないような気がしたんだけどねぇ。さぁて、次はいよいよヴェネツィア。
バスで1、2時間走ったところにある。
サンマリノからここまで続いている、
濃い霧が一向に晴れない。
添乗員の話では、この時期ヴェネツィアあたりは、
霧が濃い日が多いそうだ。確かに、雨が降るよりはマシなのだろうけど、
やはり、晴れてくれた方が気分がいいもんだ。さて、ヴェネツィア着。
が、ヴェネツィアは、水路の発達した水の街なので、
バスはおろか車は一切入れない。
なので、郊外でバスを降り、レストランへ向かった。ここで、まぁたハプニング。
初日ドイツのフランクフルト空港で、
煙草を持ち込みすぎて、税関で一悶着あった女性二人。
今度は、レストランに向かう途中、
露天か何かでそういや水を買っていたな、
とは思っていたのが、フッと振り返ると、またいない。もうぉぉー、勘弁してくれよぉ。
仕方がないので、いないことに気づいた地点に
ドライバーのアンジェロを残し、
添乗員まで大急ぎで知らせに行く。
ま、後は添乗員が何とかしてくれるだろう。
# あんまり外国で人の世話する
# 余裕なんてなんだけど、実際。ま、いいや。
無事帰ってきたし。
今日は、ここヴェネツィアで夕食を取って、
ホテルに向かい、ぐっすりおやすみだ。
明日にしっかり備えなくては。
霧、晴れてくださいまし。