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第2週目 甲府〜諏訪〜松本〜長野


第二週目は、長野である。
とはいうものの、長野に直行だと面白くない、
ということで、さまざま寄り道をしてきたわけで。

まずは、新宿を出て甲府につく。
ちょうど昼ごろに、甲府に着くように新宿を出たので、
いい具合の腹の減り具合で、
ほうとうを頂く。

甲府に来れば、ほうとうと桔梗信玄餅は、欠かせない。
もともと暑がりなので、ほうとうなんてなものを食べると
暑くて暑くてしようがないのは、分かっているのに…

さて、暑くもうまい放蕩を頂いた後どうするか。
いつも甲府といえば、信玄関係ばかりなので、
関係のないところへ行こう、
ということで昇仙峡で行くことに決めていた。

しかし…。バスの時間を見ると1時間半以上もある。
うーん、じゃぁ顔を出しておくか…
ということで、武田神社にまた行ってしまった。

行ったところで何か新しい発見が
あるとも思えないのだが、
それでも、近くに寄ったのだから、
挨拶しとかないとみたいな、
そんな内面的な親戚みたいな感情を
持たせていただいている。
去年と違って、今年は24将行列にも出れないし、ね。

で、挨拶した後は、昇仙峡行きのバスで、
「昇仙峡滝上」まで行く。
春だとか秋だとか、植物のきれいな時期に
行くことが多いようなところなので、
こんな時期に行く人は少ないだろう。

実際、バスに乗って頂上まで行った人は
誰もいなかったし。
というか、バス周辺だけではなく、
実際に滝の近くに行くまで、
すれ違った人がいなかったほどだ。

実際、滝の迫力は季節なんぞ関係はなく、
いつも力強く、長く見ていて飽きない。


数少ないすれ違った人が、
話していたのが、いつもより水量が多いね、
ということだった。

そんなに滝ばかり見ているわけではないので、
ほかの滝と比べてはいえないが、
そういわれればかなり水量が多いような気もした。
というのは、やっぱり動いているところ見ないと
わからないっすよね、てことで動画をば。

滝の流れる様子!(Quicktime形式、約6MB)
DimageXでは、Quicktime方式でしかとれないので…
Quicktimeのない方は、こちらから。
ファイルサイズが大きいのでご注意ください。

帰りのバスが信じられないことに3時間後であったので、
このまま渓谷を降りて行くことにした。
途中には、岩でできた大きな石門や
観光ルートの端緒を開いた長田円右衛門の碑、
などを見て回り、バス一駅分を歩いた。

そこでバス停を見てみると、
来たルートとは別ルートのバスが、
あと10分ほどで来る見込み。

らっきぃ!これで帰ろう。
ここでバスが来てくれたために、
早めに上諏訪への電車に乗ることができた。
ちょうど一年前にも、上諏訪へ行ったことがあった。

そのときは、上諏訪駅に駅の温泉があったのだが、
いまでは足湯に変わっていた。
まぁ、それはそれでいいのだが、
個人的には、普通の湯船のままであって欲しかったが。

ちょっとそこに「?」なモノを発見。

え!温泉がヒステリーに効くの?うそぉ。
じゃ、なにかい、いらいらしたら
この温泉に浸かれば、イライラしなくなるってか。
この辺りの地元の人は、イライラしないのか?

ナゾだ…

宿泊地として温泉のある上諏訪を選んだのは、
一種の湯治の意味も込めてのことである。
2月のはじめ、会社から帰る電車の中、
熟睡していたために、頭がボーっとしていて…
会談から足を踏みはずし、尾てい骨を強打。

いまだに痛むのだが、ちょっと症状を緩和させるために、
温泉にでも使ったほうがよいのかなぁ
という考えがあったのだ。

24時間入ることができるので、夕・夜・朝と
三度も入ってしまった。

さぁ、次の日は諏訪を出て松本へ。
とは言うものの、都会と違ってそんなにいつもいつも
電車があるわけもないので、
ちょっと時間をつぶしているか…
というわけで、近くの城まで足を運んでみた。

それが、高島城。
あまり聞かない名前だが、
それは建築した武将が、マイナーな日根野氏ということで、
まぁ、そりゃ知らんわな。


江戸時代は、歴代諏訪氏が治めていたらしいのだが、
一度、武田信玄に攻め滅ぼされた諏訪氏が、
江戸時代にはしっかり大名として
生き残っているあたり、
歴史は、どう転がるか分からないものである。

建てられたのが織豊期、
建てた武将もマイナー、ということだから、
そんな大きな城郭はつくれない。
ただ、小さいながらも雰囲気は非常によく、
もし自分に資金力があって、城をもつとすれば、
これくらいの大きさがよいような気がする。

どうして日本の金持ちは、いわゆる西洋風の
大邸宅しか建てないのだろうか。
せっかく金があるなら、
城郭風の大邸宅を建ててもよさそうなのに。

中は、和風ダイニングバーのような
つくりにしたら、外観とそれほど違和感もなく、
高級感のあるつくりになると思うんだけどねぇ。

と、ひとしきり見た後でも、まだ時間はたっぷりある。
というので、性懲りもなく温泉に入ってみた。
上諏訪では有名な「片倉館」。

明治時代の実業家が建てた
ちょっと「ハイカラ」な建物だ。
まぁ、いいことはいいんだけど、
湯船が深すぎて、ゆっくり座れないのが、
ちょっと不満かな。

充分時間をつぶし、いざ、松本へ。
意外と松本へは近く、40分ほどで着く。
松本に到着したときの駅員さんの声がいい。

 「松本ぉ〜、松本ぉ〜」

こんなちょっとしたことで、遠出しているな、
ということを感じたりするものである。

さて、めしを済ませて松本城へ。
国宝・松本城というだけに、
レプリカではなく、当時の城郭が残っている。


しかし、城郭の保存には一悶着があったらしく、
明治始めの「古いものには価値なし」の
時代の移行期特有のアホな思想のため、
松本城も荒廃し放題だったらしい。


よく生き残ったものだ、松本城。
古いものは大切にしないと。
無論、新しいものも大切に。

松本で相当写真をとったせいか、
デジカメのバッテリーが切れた。
まぁ、予備のバッテリーがあるからよいが、
もうちょっと長持ちしてほしいものである。

このまま、松本から長野へ直行してもよいのだが、
ちょっとまだ時間がありそうだ。
というので、またもや寄り道。
行く先は、松代。
江戸時代、真田家が治めた地。

大坂夏の陣で弟・幸村(信繁)が真田の名を上げ、
兄・信幸(信之)がしっかり後世に真田の血を残した。
その信之が松代の地を領した。

というわけで、真田邸があったり、
真田博物館(だったかな?)があったり、
真田大好き人間しか来ないじゃないか、
というところなのだが、
実は、この松代にあった松代城のあったところは、
何を隠そう、海津城のあったところなのだ。

といっても、知らん人にとっては

 「は?なにそれ?」

ということだろう。

この海津城は、武田信玄と上杉謙信が激突した
川中島の戦いにおいて、重要な位置を占めた
武田方の砦で、山本勘助の築城らしい。

で、この海津城、2003年に復元されると
聞いているので、どんなものか見に行こうとしたのだ。
復元されているとしても、
おそらく海津城ではなく、松代城だろうけど、
どんなものか気になって。

しかし、結果に唖然。
まだできていなかった。いまだに工事中。
わざわざ来たのに、そんなアホな!
という感じで、電車の乗り継ぎを考えても、
時間をぎりぎりだったので、
松代に着いてすぐに松代を出る、
といった有様。
う〜ん、無駄足。

とはいえ、結果的には、
「長野灯明まつり」にちょうどよい時間に
長野に着いた。

長野は、雪が降っており、相当寒かった。
にもかかわらず、バスには乗らないで、
徒歩で開催地の善光寺まで赴いた。

寒いからか、結構な距離を感じたが、
善光寺に近づくと、そんな気持ちはどこへやら。
奥のほうに見える黄色く輝くものを
見つけると、足取りも早く奥へと進んだ。

ただでさえ、その光の芸術に見とれているのに、
折からの吹雪が、黄金の光に照らされて、
神々しいまでの世界を創り出している。
寒さなんて、ホントどうでもいい。

さらに奥へ進むともひとつ門が。
しかし今、改装中なのに、
緑の光が照らされている。

どうして、と思ったそのとき、
緑の光がぱっと変わると、
「平和」の文字が浮かんだ。


それから周りに見慣れない言葉が浮かびだす。
パンフを見ると、各国語で「平和」という
意味の言葉を並べているらしい。

こういうご時世である。なかなか粋な計らいだ。

その先は、本堂。
ここは、赤く照らされている。
それだけじゃない、周りも照らされ、
光の芸術ここにあり、という幻想的な光景だ。

吹雪いている今日でよかった。
寒いけど今日でよかった。

さらに一番のお気に入りが、これ。


赤と青の光で善光寺を照らしているところへ
吹雪がさらに美しい光景をつくっている。
これを見れただけでもう満足だ。

さて、ひとしきり楽しんだ後、
自分のコートが真っ白なことに気づく。
あれっ、真っ黒のコートを着てきたはずやのに。

そんなボケをかますまでもなく、
そんなにも、雪が降っていたのだ。
幾分興奮が冷めてくると、
寒いものは寒い。

ということで長野駅までの帰り道にある、
「らーめん邦心」でラーメンをすする。

醤油・みそがメインだと言っているのに、
塩がベースっぽい「とろ肉らーめん」を注文。
寒い季節にラーメンはほんとにうまかった。
というか、個人的には寒くなくても
あのラーメンはけっこう好み。

ラーメンであったまったし、
後は帰るだけ。
長野新幹線で東京までひとっとび。

で、帰りの長野駅にて。

「東京はもう通勤・通学エリア」って…
下の金額見たら、そんなこと言われへんやん、
と思うのは、わたしだけだろうか??


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