こんな題を掲げておいて、なんなんですが、
先日、自転車を盗られてしまいました…。この自転車は、船橋にいたころに、
絶対パンクしない自転車ということで、
かなりの値段がした代物なんですが…
その前は、危うくホームから落ちそうになるし…何かにつけ、ショッキングなできごとの多い
今日この頃、ぜんぜんプラス感情とは、
縁がなく、マイナス感情くんと「なかよし」であります。閑話休題。
普通、マイナスの感情、つまり
悲しみ、憤り、絶望感、無力感などを抱いているとき、
なんとかその気持ちから逃れようとします。
そして、なかなか事態は好転しないもの。世の中には、切り替えの上手な、
わたしなどから言わせると、
なんとも器用な人間もいるのはいますが、
そうでない人が多いのではないでしょうか。人によってさまざまな「リカバリー」方法があるでしょう。
またたとえば、音楽を聴く場合でも、
暗い気持ちのときには、底抜けの明るい気持ち
になる曲を聞く人もいれば、
暗いときに、暗い曲を聴いて
暗さのどん底にいったん沈みたい、
という人もいるでしょう。ともあれ、そうしてもがかなければいけないほど、
マイナスの感情は、不幸なことに
長く安定してしまいがちです。逆に、明るい気持ちというのは、
あるときは、むくむくと湧いて出てくるのですが、
またあるときは、急にしぼんでしまうというような、
どこか思い通りにならないところが
あるような気がします。
落ち込むのは、こんなに簡単にできるのに。たとえば、正義感。
人によって、強い弱いがありますが、
自分がこれは、ということに対しては、
頑として譲らないという面が
あったりしないでしょうか?
しかし、そのくせ都合の悪いときには、
そんな「正義感なんて、あったのか?」
というような体たらく。あるいは、信念。
プロジェクトXに出てくるような、
大きな仕事を成し遂げた人々に思いを馳せて、
将来は自分もこんな風に語り継がれるんだ、
そんな壮大な夢と使命感を感じておきながら、
ふとした拍子に、今の範囲できるような、
すごく狭いものに縮めてしまっていたり。はたまた、あるいは愛情や愛着。
あのときは、あんなに気に入っていたのに、
ふとしたことでそのレベルが、がくんと
落ちてしまっていたり。
嫌いになってはいないけど、別に好きでもなくなって。ここで、プラスの感情といっている
正義感や「惚れる」という感情は、
自分の中から出すぎてしまったり、
はたまた逆に、自分の中に閉じこもって
出てこなくなってしまったりしがちです。いい意味で適当なくらいに、
このプラスの感情でいられる「プラス感情の使い手」
になれたら、もっと平均して楽しくいられるのに、
と思います。ここのところ、自分本来の進むべき方向と、
今いる場所のことについてであったり、
自分と人とのかかわりあい方、
関係性の持ち方について考えることが多かったこと、
それに、まぁ月並みですが
仕事上のストレスといいますか、
そんなのもあったりしつつ、
感情の起伏が激しくなってきたのかなぁ、
という気はしています。暢気で長生きするぜ、といわれていた人間も、
社会の荒波に一歩身を投ずると、
感情の起伏が激しくもなってゆくんでしょうけど、
それでもまだまだ、楽しくやっていけている
という感覚があるのは、いつも「好奇心」
をそれなりにもてているからでしょうか。いわゆるカリスマ的なマーケッターや、
とんでもなく企画力のあるクリエーターのように、
すさまじく高いレベル、ということではないですが、
ちょっと仲間うちでも「新しもの好き」で
通っているくらいの好奇心は持ち合わせている
つもりではいるんですけれどね。生来の前向きな人というのは、
こんなことで、あれこれ考え込むことは
ないのでしょうけれども、
まぁ、元が「心配しぃ」なだけに、
無理して治そうとは思いませんが、
治ればいいかな、くらいには思っています。
2003-07-28