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ひとりの楽しさ、みんなの寂しさ


最近、仕事が忙しいという
ごくごくありきたりな理由から、
ぜんぜん更新できない日が続いていました。

忙しいということは、実はあまり頭を使っていない、
そんな気がするときがあります。
社会人3年目、良くも悪くも要領を知っているだけに、
仕事をできるだけルーティン化しているふしも
あるような気がしていて、それなのにめし→帰宅→寝る、
これだけじゃぁ、頭は使いませんわな。

なので、少々の睡眠時間を削ってでも、
Webサーフィンをするなり、音楽を聴くなり、
雑誌や本(本はそういいつつも読めてないなぁ)を
読む時間を作ったりしています。

そうすると、あそこに行ってみたいとか、
これを見てみたいとか、そんなことが1週間で
いろいろ貯まってきて、土日に外へ繰り出すのが、
最近のパターンの休日のパターンでして。

そういうもんですから、一人で行動することが
非常に多くなります。自分が興味のあることを自分の都合で、
自分のペースで歩き回っているんですから。

わたしはわたしなりに、これが楽しい時間の過ごし方なんですが、
つい最近、会社の人に、

「同期から飲みに誘われてないな」
「誰かと違って飲みの誘いで早上がりしないし」

とか言われることがあります。
大げさに言うと、自分に自信があるなら、
別になんとも感じないんでしょうが、
少しこの言葉を聞いて、迷いが生じたのでしょうか、
どうして自分は一人でいるのか、
最近ちょっと考えました。

わたしは、飲みの誘いを断ることもないですし、
行きたいときは、自分からどうか、と言うこともあります。
また、休日の過ごし方も、一人でいるのは結果であって
一人でいることが目的では、もちろんありません。
ただそこにあるのは、人を求める度合いでしょうか。

どうして、そんなに人は人を求めるのだろうか。
どうして、そんなに寂しさを感じるのだろうか。
どうして、自分は寂しさをあまり感じないんだろうか。

個人的には、一人で何かをしている様子が
それが勉強であっても、仕事であっても、
遊びというか、何かの役に立つことではなくても、
想像できない人と言うのは、あまり魅力がないような気がします。

一人で何かをしているその姿には、
その人の世界そのものが現れています。
そして、その人といるときに、
そんな世界が垣間見えたなら、
その世界は、好奇心をひきつけ、
それがその人の魅力のなっていきます。

しかし、そうは言っても、
現に、寂しいと感じる人が多いわけで、
そういう寂しいという感覚に対して、
無関心すぎたのかもしれません。

わたしの家族のよいところというと
わたしはすぐに「寂しさを感じさせないところ」というと思います。
出張や何かにつけ、帰阪しているからかもしれませんが、
父も母も、自分の楽しみや目標を見つけていて
でも、互いに無関心ではない。
わたしと両親は、そんな関係です。

だからでしょうか、互いの存在がわかっているのに、
連絡を取り合えるのに、それも寂しい、
という感覚を持ったことがなく。
それはいけないんだ、とそこで思考停止していた
のかもしれません。

振り返ってみても、多くの人と出会ってきました。
そのなかで、連絡の取り合う人は、
かなり限られた人たちになっています。
寂しさに疎いということは、
そういう人たちに冷たいということなのか。

そしてこれからまだまだ、
いろんな人と出会うでしょうし、
その人たちと将来、別れることになっても、
何も思わず、生きていくのか。

寂しさに疎いということは、
いろんな「出会い」を無駄にすることにならないか。

それほど多くの人が、迷い、翻弄されるであろう
この「寂しさ」についてこれからもうすこし、
考え抜きたいと思います。

2003-6-16


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