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「大阪人」の「大阪」とのつきあいかた


ドイツの誰の言葉だったか、
母国語しか話せない人間は、自国のことを知らない、
という名言があったように思います。

母国語というのは、幼い頃に自然に身につけた言葉。
それゆえ知ったつもりになっていても、
何か別の言語を学んで、比較対照してみないと、
当たり前の世界のなかで、自国の特徴というものが
埋没していってしまうということなのでしょう。

同じように、日本という国のなかでも、
大阪・東京・名古屋・広島・仙台・博多などなど、
いろいろな地方独特の言葉があります。
ですが、自分が話す方言しか知らないと、
本当の意味では、自分の生まれ育ったところが、
自分にとって、どういうものなのかを
知ることはできないのかもしれません。

時折、大阪に帰るときがありますが、
話し方が一向に変わらないな、とよく言われます。
また、東京にいるときでも、
関西人は頑として自分の言葉を曲げないな、
と言われることもあります。

わたしはずっと、自分の育った場所の言葉を話すことは、
大切なことだし、大阪人として当然だ、と思っていました。
大阪にいた頃は、関東の言葉はあまり聞きたくなかったし、
不快に思うことさえありました。

しかし、東京に来てからしばらく経つと、
世の中に好きなものと嫌いなものがあるならば、
少しでも嫌いなものがない方がいいに決まっている、
と思うようになったことがあって、
それからは、あまり気にならなくなりました。

それからというもの、大阪が持つ自分たちの場所への
帰属意識の強さばかりが目立って見えるようになり、
大阪に対する帰属意識の強さの裏返しとして持つ、
東京に対する猛烈な対抗意識を痛感します。

確かに表面上は、同じように東京に来ても、
大阪弁を話している人がいる。
しかし、それが東京というものに対抗するという
気持ちから出たものでしかないと、
自分たちのみがいいんだ、あんなところはダメなんだ、
といったような、一種ナショナリズム的な
危うさをもってくるように思いました。

これが同じ日本語の中だから、
おかしなことを言っているようなものかもしれません。
ですが、民族の言葉が、容易に民族の誇りと結合し、
言葉の壁が、容易に他民族に対する侮蔑の感情に
火をつけることが多々あることを思うと、
憎しみの感情を持つに至る流れの、
あまりに似通っていることに思い至ります。

わたしは、東京が嫌いでした。
絶対、東京になんぞ行くものかと思っていました。
あんなにカッコつけやがって。

でも、そのように東京に対抗意識を燃やすということと、
民族紛争をしている当事者同士が、
お互い対抗意識を燃やしているのと、何が違うんでしょうか?

そう考えていくと、大阪人のように、
自分の地域に対する思い入れを強く持ちやすい環境で、
育った人間は、少し再考した方がよいのかもしれません。
一方、東京では無条件に大阪人が嫌い
という人に会ったことがまだありませんから、
東京の人はこのことにもう気づいていたのでしょうか。

わたしが、大阪という自分が育った場所に対する
思い入れの源は、自分のルーツを大切にしたい、という気持ちです。
この感情はこれからも大切にしていきたいんですが、
「大切にする」ということが、
やみくもに大阪を持ち上げるということではなくて、
もっとスマートというか、ガツガツしたところのないものに、
なりそうです。

わたしの知り合いに、今住んでいる近所に実家がある人がいます。
その人は、大阪に配属になりました。
ちょっと前にあった際、まったく言葉が移っていなかったようで、
案外、安心したものです。

あれだけ違和感のあった関東の言葉ですが、
やはり迎合することなく、やみくもに大阪を
持ち上げたりしていないところが、
うれしく思えたほどです。

日本国内のすごく狭い範囲でのことですが、
文化の違いを認めるということは、
自分を相手にあわせるのでもなく、
相手が自分にあわせるように、強要するのでもない、
ということを、こんなローカルなところから
実践していくことなんでしょうね。

わたしは、東京に来て1年が過ぎ、、
「大阪人」と「東京」という街のつきあい方を通して
「大阪人」の「大阪」という街のつきあい方をも、
学んだような気がします。

2002-07-28


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