戻る

コラムもどきに戻る

前へ

次へ

アン・マーケティングという考え方


もう、ゴールデンウィークが、始まってしまいました。
ちょいと疲れ気味なので、前半はゆっくりしまして、
帰阪する後半にエンジンをかけようとしている
今日この頃ですが。

さてさて、わたしは読書をするとき、
あるいは、このような文章を書くとき、
気分を変えるために、よく喫茶店に行きます。
大阪にいたときは、さほどではなかったのですが、
東京に来てからというもの、スターバックスに
よく行くようになっています。

スターバックスは、日経新聞でも、
成長率の高い企業として紹介されていました。
聞くところによると、成長の重要な原動力は、
薫り高いコーヒーだけもなく、落ち着ける雰囲気だけでもなく、
「スターバックスコーヒーで、コーヒーを飲むという経験」
という、スターバックス全体に関わることなのだそうです。

なるほどな、と思わず納得するものがあります。
たしかに、 スターバックスにしかないもの
そこでしか感じられないもの(あるいは、そう思わせる何か)
がしっかりあると思います。

気のせいかもしれませんが、
わたしの行くスターバックスのお店で働いている人は、
どこか、生き生きしているように感じます。
少なくとも、わたしにはその生き生きとした感じ、
楽しい感じが伝わってきて、
今まで、何店舗か違うスターバックスに行っていますが、
みんなそんな感じでしたね。

今、マーケティングの世界では、
このような「経験」というコトバがキーワードになっています。
もちろん、今キーワードになっているということは、
もはや、それは古いということなのかもしれませんが…

書籍売り場のマーケティング関係の書棚を
眺めてみると、いまや「経験経済」という文字の入った、
本がいっぱいありますし、
昨年の秋から、発売になっている
Windows XP の「XP」だって、
experience(経験)の「XP」なわけですし。

直接、経験という言葉があるわけではないですけれど、

「商品を売るな、物語を売れ」

といった話も、同じようなメッセージとして
考えられるかもしれません。

というのは、販売/購入という、
販売者と生活者の交わる「点」のみを見るのではなく、
そこに至る「線」や「面」をも見よう
とする試みだと思うからです。

例えば、献血を考えてみてください。
献血をすることは、大切なことで、いいことです。
でも、何か大切なことを忘れていないでしょうか。

献血してください、と話しかける街頭の人を
街行く人々の多くは、無視していきます。
その中で、献血車の止まっているところへは
ちょっと行きにくいな、と思ったことはないでしょうか。

今、特に自意識について敏感な人が多い世の中です。
そのような献血してもらえる可能性のある人たちが、
献血しやすくなる環境を整える努力に
欠けているような気がするのです。

つまり、献血をしてほしいと思うあまり、
実際に協力してくれる人が、献血という経験の中で、
感じることをつかみ取れていないわけです。

このように、献血する人への配慮に欠ける姿勢には、
献血はいいことなんだから、献血がすばらしい、
ということを声高に言ってさえいれば、
いつかは分かってくれるという考え方が、
背景にあるような気がします。

しかし、これを商品に置き換えて考えてみれば、
おかしな考え方であることが、はっきりすると思います。
よい品質の商品は、品質がよいというだけで
生活者の皆さんに買ってもらえるのでしょうか。
あるいは、安ければ、買ってもらえるのでしょうか。

もはや、そんな時代ではないことは、
生活者が目にする商品に関わっている
人間であるならば、おそらく誰だって気づいていることでしょう。

作れば売れる時代は、もう終わったのだと。
売れるものを作らなくてはならないと。

この不況の時代に直面する企業は、
そんなことを肝に銘じながら、
商品の企画、商品のアピールのしかた、
商品の流通を考えているはずだ、とわたしは思います。

しかし、対象が公共的なもの、倫理的なものになると、
どうしてなのか、そういう発想が出てこなくなってしまうようです。

先ほどの献血は、ほんの一例ですが、
特に、このタイプの姿勢を感じるのは、
生活者(消費者)の保護など、
生活者の立場になって考えている人々です。

生活者が賢くなり、商品に対する見る目が肥えていくことは、
市場を量的にだけではなく、質的に成長させる上で重要なことです。
生活者が市場に対して、そのような働きかけがあるからこそ、
そのような生活者を市場環境とする企業は、
生活者の立場になって、商品作りをしていくことになるのですから。

しかし、それが重要であるという事実を伝えるだけで、
生活者がきっちりと商品を見比べて、
購入した結果、心から満足し、
心身共に成長できるきっかけを
自律的につくれる生活者が増えるのでしょうか。

単に大切だ、大切だ、というのではなく、
お金を使うことには、個性の表現としても捉えることができる、
という切り口で生活者に説明してみるのも、
いろんな形で、個性を表現したいと思っている
生活者に対しては、有効なひとつの手段だと思います。

大切なことは、消費生活をきちんと自己管理することは、
自分の生活を本当に充実したものにし、
個人の自律性を育むということを説明するだけではなく、
この思想をうまく、現代の生活者のライフスタイルの中に、
うまく落とし込み、生活者の提示する必要があるはずなんです。

そのためには、企業活動ではないことによる
柔軟な組織力を生かして、長期的で具体的な戦略性をもった、
が必須になってくると思うのです。

企業の側には、マーケッターと呼ばれる専門家がいます。
どうすれば、ヒットする商品を生み出せるのか。
対象となる購買層はどういう人たちで、
何をし、何を欲し、何を大事と考えているのか。

こういった情報を集めた上で、
どういう商品を、どれくらいの期間で開発し、
今からどれくらい後に、市場に投入するか、
という計画を練るわけです。
これが、マーケティングであり、必ず戦略性が伴ってきます。

マーケティングとは、なにか?
それを定義することは難しいですが、
ここの文脈で大切なことは、
自分が、誰かに、何かをやってほしい。
そのために、自分は何ができるだろうか、
と突き詰めて考えることだと思います。

マーケティングに関わっている人たちの中には、
いかに市場の中の生活者を「操作」するかということを
平気で話す人がいますが、
それは、フェアなやり方ではなく、
わたしは、長期的には無理が生じ、
必ず生活者の反発を買うものだと信じています。

そうではなく、してほしいと思っている人たちが、
してほしいと思う行為をやりやすく、
しかも、楽しく、興味を持ってやれること、
これを実現していくのが、マーケティングだと思います。

WordやExcelをよく使う方は、ご存じだと思いますが、
英語でdo(する)に対して、undoは、
やらないということではなくて、
やったことと逆のことをする、という意味になります。

そこで、企業の商品開発や販売促進のために行う、
マーケティングに対抗する活動を、
例えば、「アン・マーケティング」と名づけることも
できるかもしれません。

例えば、生活者に企業の販売促進とは、
違った形の商品説明を長期的な戦略を持ちつつ、
消費者団体などがやってみれば、
立派な「アン・マーケティング」活動になると思います。

「マーケティング」という戦略と、「アン・マーケティング」という戦略が
生活者の意識のなかでぶつかり合い、拮抗する中で、
わたしはもっとよい商品、よいサービスが生まれるのではないかと思います。

いくら、見る目が肥えるようにいったって、
当の生活者にがどうすればいいのか分からなかったり、
企業のマーケティング活動に踊らされていて、
それでよし、と思ってしまってはどうしようもありません。

生活者に対し、商品についての
市場の異なるサイドからのアプローチがあってこそ、
そこに生活者が自分の責任と意志で決定する
経済的に自律した主体となりうる可能性が
あるような気がします。

2002-04-29


戻る

コラムもどきに戻る

前へ

次へ