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真理とは教えらるるものにあらず


さて、春休みコラムもどき第2弾は。
先週の日曜日にやっていた「知ってるつもり!?」の
最終回スペシャルからです。

先週は仏陀、
今週(今日ですね)は、キリストです。

わたしは、高校生から浪人時代にかけて、
世界史が大の得意でした。
もともと歴史には興味があって、
得意だったのですが、高校時代の世界史の先生が、
わかりやすい授業で有名で、
その先生がうちのクラスの担任ということもあり、
うちのクラスには、数名の世界史マニアがいて、
ま、そこのちょっと顔をつっこんでいたわけでして。

世界史の教科書というのは、
たいてい政治の歴史を中心にかかれています。
そして、学ぶ方もそれを中心に
覚えがちなのですが、
実際は、経済の歴史、芸術の歴史はもちろん、
大国の歴史、遊牧民の歴史、
など様々な切り口があるのが世界史です。

もちろんその中で、宗教の歴史というのもあって、
テスト等でもポピュラーな切り口なのですが、
その頃から、宗教というものが、
政治と結びついて、どんどん変質していくさまが
感じられていました。

いつかご紹介した、虹の解体の著者、
リチャード・ドーキンス博士は、
宗教を特に毛嫌いする感じがしますが、
それは、政治と結合して強圧的な
思想体系としてのキリスト教というものが、
念頭にあるんだろうと思います。

とはいえ、宗教なり政治なり経済なりが、
おのおの全く独立して存在するということは、
そういう負の側面ばかりではないと思います。
互いに影響しあって、文明をつくっていくものです。
進化論風にいうなら「共進化」するものでしょう。

例えば、宗教と芸術の結合は、
仏教文化やキリスト教文化という形で、
宗教の目を通して、優れた文化を生みだしていますし、
グーテンベルクの活版印刷の効果的な技術活用は、
聖書を大量に印刷することを可能にし、
のちの宗教改革を引き起こしたこともあります。

ただ、宗教の起点が、一種哲学的な思想体系に
基づくものであると考えると、
当初の考え方ずいぶんと変わってしまう、
というより変わってしまわざるを得ない
ということに少し寂しさを感じないわけにはいきません。

それはどんな宗教でもそうですが、
特に、仏教は身近なところでは、
葬式仏教と呼ばれるように、
葬式とか法事とか、そういうところでしか
普段は触れあうところがなく、
かといって、教典とかはむやみに難しいですよね。

ということで、のちの人がどう考えたかではなく、
釈迦自身が何を体験し、何を考え、
どういう結論にいたり、結局どういう行動を起こしたのか
ということに興味を持ってはいたんです。

でも、機会がなくて、
というか自分のいい加減さ・後回し癖のために、
そういうことを調べぬままになっていたところに、
「知ってるつもり!?」の放送があったわけです。

ご存じの方もいるかもしれませんが、
釈迦は本名を、ゴータマ・シッダールタといい、
シャカ族の国、シャカ国の王子として生まれました。
この「シャカ」がひとつの呼称として
今も残っているわけですね。

彼は、王子としての恵まれた境遇と
その周りで起こる権謀術数や人間不信、
戦乱や飢餓とのあまりのかけ離れように、
生きることがこんなに苦しく、醜いものなのかと、
絶望してしまった彼は、
自分の生きる苦しみから逃れるため、
すべてを捨てて出家の道を選びます。

やがて、菩提樹の下で瞑想し、悟りを開きます。
シャカは、その悟りの境地をはじめは、
人々に伝えようとはしませんでした。
しかし、自分が楽になったこの悟りの境地を
伝えるため、また歩き出します。

ここからが問題なんですが、
彼は、その悟りの境地を伝えるとき、
直接、語りかけることはしなかったようなのです。

例えば、愛するわが子を失った女性が、
その子の死を受け入れることができず、
シャカに蘇生の薬を求めてきたときのことです。

彼は、一度も死者を出したことのない家から、
芥子(けし)の種をもらってくるように
彼女に言ったそうです。
しかし、一度も死者を出した家などなく、
やがて、生きている我が子は愛しいけれど、
死んでいる我が子を愛せないのはどうしてだろうか、
死んでいたって、愛することができるではないか
ということを自分で気がつくようになります。
そして、わが子の死を乗り越えた彼女は、
シャカの弟子となります。

こういうエピソードを見ると、
悟りを開きし者という側面以上に、
何が大切なのかを教えるのではなく、
自分で気づかせる、心から実感して理解させる
ということが非常に上手だった人だと思うのです。

これは、想像するに、かなり個人の資質の問題があって、
残念ながら、後の世にはなかなか伝わっては
いかなかったのかもしれません。
今でも有名であったり、立派な人の志を
継ごうとする人は、その人のことを
絶対視してしまって、そこから発展していかない、
といった事例がよくあります。

実際、この放送でも、真理を求める修行者は、
自己を恃(たの)む者でなくてはならない、
という内容の文言を紹介しているにもかかわらず、
あまり重要なものとして扱ってはいませんでした。

それよりむしろ、世界に対し絶望感しか抱けなかったシャカが、
この世は美しく、命とはなんと甘美なものかと
シャカが行き着いた世界観・死生観・生命観を、
盛んに取り上げていました。

確かにその境地はすばらしいものであり、
重要なことではあるのですが、
実際、絶望感にうちひしがれている人や、
希望のもてない人に対して、
その言葉を聞かされても、実感が伴わず、
当人にとっては、何の意味もありません。

わたしが思うに、生命に対する手放しの賛美だけでなく、
生きていく上で大切なことは自分が悩み抜いて
理解することであって、誰かに教えられて、
知ることではないのだと思います。

そのことに、いち早く気づいたシャカは、
洞察力に優れた人だったのだろうと、思いますね。
このあたりに、政府が心の教育と盛んに言いながら、
なかなか成果が上がっていない、
ということと関係があるように思います。

快楽と苦行の両極には、答えがない、
ということだって、理解しているつもりでも、
教育ママのように、勉強だけしていればいいんだ、とか
IT革命賛美論のように、世の中のデジタル化がすべてよくて、
従来の紙媒体などの、アナログ的なものは姿を消すんだ、
というような極端な考え方は、今も姿を変えて
残っているのが現状です。

ですから、この両極には答えがない、
という考え方にいち早く気づいたのは、
優れた洞察力の賜物だったのかもしれません。

そういえば、わたしが歴史上の人物で
興味を持っている武田信玄は、
無類の中国オタク(?)でありまして、
非常に仏教にも精通していたようですが、
多方面の教派の僧侶を集め、それを併存させ、
特定の宗派に偏ることをさけたと聞きます。

もし彼が、京都に上ることができたなら、
キリスト教に対してどのような態度をとったのだろうか、
非常に興味があります。
織田信長の比叡山焼討ちに、怒りを燃やした信玄ですから、
キリスト教を排除するものと思われるかもしれませんが、
意外と思想面では、近代を通り越して、
現代的な信玄は、仏教とキリスト教の
幸福な対話を実現してかもしれない、
と思うのは、ちょっと無理がありますかね。

2002-3-24


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