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コピーガードCDに想う


久しぶりの更新ですが、今回はなんと豪華二本立て!
というのも、引っ越しのため、
ということで金曜もお休みをいただき、
贅沢な4連休を楽しんでいるからであります。

ま、確かに引っ越しのためというのも、
曖昧な理由でありますが、
ほら、住民票を取りに行ったり
しなくちゃなんないでしょ?
え、それだけ?
というツッコミは置いといてですね。

さて、第1本目は、
ちょっと細かいところまで
つっこんで書きたいと思います。
それは、著作権のこと。

以前、個人が既存の曲を
各人なりにアレンジした着メロをアップした
着メロサイトが、「著作権保護」の名のもと、
閉鎖に追い込まれている、ということについて、
柔らかな苦言を呈したことがあります。

確かそのときには、誰々がつくったという
オリジナリティは、尊重されるべきだけれど、
そこからまたアレンジという形で、
ユーザが創造力を発揮する場があってもいいんじゃないか、
というようなことを書いたと思います。

技術にせよ、芸術にせよ、
創造性というものは、全くのゼロから
生み出されるものではなく、
既存のものを組み合わせと、
その人の感性とが合わさったときに、
発揮されるものだと考えれば、
自ずとそういう考えになるんじゃないだろうか、
と思っているのですけれど。

そうこうしているうちに、
ついにコピー不可の「音楽ディスク」が発売されました。
どの記事も、音楽ディスクと表記しているのは、
音楽CDとしての規格(レッドブック)
からはずれているからで、
Compactdiskのロゴがありません。

技術的なことをいえば、
コピープロテクトと呼べるようなたいした代物ではなく、
4割ほどのドライブでコピーができてしまう一方で、
再生専用のCDプレイヤーで、読めないことがあったり、
問題が多いとのもっぱらの評判ですが。

このあたりのことに非常に興味がありまして、
BoAのEvery Heartを購入してしまいました。
個人的に、この手の声が好みなのも
そうなんですけどね、実は。

で、結果からいえば、
今、この原稿書いているLOOXのドライブで
コピーすることができました。
特に特別な手段を使わないでですよ、もちろん。
確かに、コピープロテクトとは名ばかりな気がしました。
しかも、パソコンで再生するための
ファイルは47Kbpsという低いビットレートですし、
Macユーザは無視ですし。

さて、この音楽ディスク、
音楽業界からはよくやったという評価をされている
らしいですが、わたしなりに感じたことは。

まずBoAの所属しているエイベックス社の
Webページ(http://www.avex.co.jp/ir/j_site/press/pop020228.html)
にかかれてあることを
まとめますと、こんな感じになるでしょうか。

1)少数の大ヒット曲と多数の小ヒット曲という構図がここ数年定着し、
  結果としてCD全体の売り上げが減少している。

2)原因は、複数あるが最も重大な原因は、パソコン等で、
  簡単に楽曲をコピーすることが可能になったということである。

3)したがって、アーティストならびにレコード会社の
  著作権・著作隣接権に伴う利益を確保するために、
  コピーを防止する仕組みが重要である。
  よって、今回コピーコントロールCDを発売した。

気になるのは、1)の現状に対して、
音楽「業界」の存亡の危機であるというだけでなく、
音楽文化の衰退につながる、と主張している点です。

また、ユーザの私的利用のための複製は、
顧客に与えられた権利ではなく、
一種の免責事項、言ってみれば
レコード会社が、大目に目をつぶってやっているのだ、
と主張しています。

しかし、CD売り上げの減少の理由が、ほかの理由をさしおいて、
楽曲がデジタルコピーがPC等でできるようになったからだ、
と強調する理由が根拠が分かりません。

確かに、デジタルコピーが可能になったことは、
またCDやMDといった媒体がなくとも、
再生できるようになったことは、
理由のひとつではあるでしょうが、
また大きな部分を占めるのでしょうけど、
そんなに他の理由を押しのけるほど、
すさまじい理由なんでしょうか?
少なくとも、こういうユーザがかなりいると推測でき、
十分な根拠をもって説明するべきではないでしょうか?

また、japan.internet.comの3月20日のレポート、
「コピーコントロールCD」が問いかけるもの(1)
(http://japan.internet.com/public/report/20020320/1.html)
にもあるように、著作権法第30条第1項の
「私的使用のための複製」(著作権の制限)に、
きっちりと法で定められており、
すくなくとも、レコード会社が目をつぶってやっている、
という居丈高な態度をとっていいんでしょうか?

そしてなにより、音楽「業界」の衰亡、
というのは、あくまでも業界の衰亡であって、
音楽文化の衰亡ではありません。
つまり、楽曲の宣伝・流通・マーケティングができない
生産者たるアーティストとユーザの間で
埋めるというビジネスモデルが、
インターネットやデジタルコピーの容易化に
伴って、ビジネスモデルとしての基盤を
失いつつあるということのように思えてならないのですが。

その意味では、インターネットによって、
流通に中抜き現象が起こり、
流通業がいらないといわれたモデルに似ています。
しかも、一般的な流通業ではなく、
楽曲という無形のものであるが故に、
この中抜きという現象が、リアルに感じられます。
それは、レコード会社は、レコードなり、CDなり
無形の楽曲を有形の媒体に収めることで、
一定の安定的なビジネスモデルとなっていた、
と思われるからです。

このような現状認識の不足がありながら、
高圧的な態度に出て、しかも不完全な施策で
ユーザを混乱させている、
というのがわたしの実感です。
そして何より、CDを買ってコピーし、
マナーを守って利用しているユーザが一番
迷惑を被るということです。
ここがいちばんまずい点ですね。

どうやらレコード会社は、
合法的にコピーし、法律の定める範囲内で、
利用していることすら、できればやめさせたい、
と思っているらしく、これが私的利用のための複製
を一種の免責事項と言いきる原因に
なっていると考えられます。

わたしは、これからの著作権のあり方として、
次のような基本的な考え方をもっています。
作曲家・作詞家・歌手・演奏家などの
実際に芸術を制作している人の権利は、
絶対に保証しなくてはならないと考えています。

これはわたしの個人的な考え方からですが、
わたしは、音楽CDを借りるということはしません。
それは、わたしが音楽をつくることのできる人たちに
感謝の気持ちを送るもっとポピュラーで、
もっとも基本的な方法が、
自分で対価を払うということだ
と思っているからです。

ですから、作曲家・作詞家・歌手・演奏家等に
著作権に基づく対価を支払うことには、
何のためらいもありません。
しかし、音楽ディスクに、アーティストではなく、
レコード会社の利益「のみ」を
優先するような印象しか与えない方策を、
堂々としかも、あたかも完全に正しいことをしているかのごとくに
振る舞っていることが我慢ならないのです。

著作保護の対象とその媒体が
必ずしも分離できないとは限らない現状を勘案すると、
今の著作権システムでは、整合性がとれないでしょう。
また、このような市場環境に置かれたときの
レコード会社とは、なにをすべきなのか
を考えるべき時だと思います。

今回の問題でいえば、
楽曲にコピー可能回数を制限するとか、
そのような穏便な方法でも十分に、
パソコンでコレクションをしながら楽しむ方法を守りながら、
きっちりアーティストの著作権と正当な報酬の源をも
守ることができたのではないでしょうか。

要は、このようなレコード会社にとって
将来的に構造不況になる可能性があり、
それを回避するためには、
お互いがメリットのある方策をもって、
対処する準備をしていくのが、
もっとも賢明だと思います。
自分たちの利益だけを声高に主張しても、
ユーザは聞く耳を持たないと思います。

少なくとも、消費者に不便を強いてでも、
コピーコントロール機能付き音楽ディスクでしか発売したくない
というレコード会社の意向のみで、
ユーザがそれを甘受しなくてはならない、
という事態に陥ってはならないと思います。

音楽をつくることができるすばらしいひとと、
音楽を楽しむすべてのひとにとって、
すばらしい世の中になるように。

2002-3-24


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