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個性的な人間関係のデザイナー


1月14日は、成人の日でした。
もっと早くに、この話でコラムもどきを
書こうとしていたのですが、
1週間遅れてしまいました。

大分と年齢を重ねた方にとっては、
成人の日というものが、15日ではないということに、
相当な違和感を持っていらっしゃるようです。

わたしの場合、ちょうどのそのとき、
3回目のセンター試験の直前で、
そんな気にはなれず、成人式には、出席しませんでした。

ですが、たとえ成人式にそれほど意味を感じなくても、
成人式とは何か、を考えるためにも、
出席しておいたほうがよかったような気が、
今となってはしています。

去年は特に、成人式での奇怪な振る舞いが
報道されましたが、今年もまた少なからずあったようです。
しかし、一方で、1月21日号のAERAでは
それは、若い男が酒をあまり飲まなくなった、
騒がなくなった、ということです。

酒を飲むことに懸命になり、集団で騒ぐ。
飲めないと馬鹿にされ、それがイヤで、
飲めるようにがんばった。
かつて、酒とそんな付き合いをしてきた人たちが、
今の若者に対して、ちょっとさびしい思いをしている、
というのです。

しかも、その憂いの主が、オジサンだけではなくて、
今、大学のサークル等で上級生が、
下級生に対して抱いている感情でもある、とのこと。
そう、この傾向というのは、この数年で、
猛烈な勢いで浸透しているようなのです。

確かに、この傾向はわたしも感じてはいました。
わたしは、かなり静かに飲むのを好むタイプで、
周りにいた友人も、そういう人間がほとんどでした。

しかし、会社に入ったとき、
同期の中で「バカ騒ぎ推進派」と「酒なんてどうでもいい派」、
「酒は優雅にゆったり飲む派」がいたのですが、
わたしが想像した以上に、「バカ騒ぎ推進派」が、
少ないように感じましたね。

この記事によれば、
ビールをついで回る姿に、オヤジ臭さを感じるヒトあり、
酒にはまったく興味のないヒトあり、
飲み会の雰囲気や酒そのものについて、
好きじゃないよっ!
ということを素直に言える時代に
なったのかもしれません。

わたしは、ウイスキーと日本酒とを
よく飲みまして、特にウイスキーが好きです。
ソフトドリンクが水しかなくても、
この二つは常備してるくらいですからねぇ。
その代り、弱いのですぐに酔っちゃって、
アルコール代がかからず、お得(笑)

でも、わたしがウイスキーを飲みだしたのは、
自宅に常備してあり、身近な酒であり、
飲んでみておいしい、と思ったから
飲んでいるんですよね。
キツイ酒をストレートで飲むのが男らしい、
とかそんな理由で飲んだわけではなくて。

そして、アルコールが好きなだけに、
アルコールをバカにした飲み方は、
わたしとしては、許せないんですよね。
特に、日本酒を一気飲みするのは、
ほんとに許せないんですよ。

杜氏の方がどれだけのプライドを持って、
どれだけの手間暇と、愛情をかけて、
「清酒」を育んでいるかを考えると、
そんな飲み方は、できないはずなんですけどねぇ。

最近、ニッカウヰスキーの高級ウイスキー、
「竹鶴17年」のサンプル品をいただきました。
その中に、竹鶴政孝という日本のウイスキー醸造史を
語るうえで欠かせない人の伝記が入ってありました。

すごく本物のウイスキーを一途に
求めたその情熱には、感動します。
やはりそういう背景を知って、
丁重にいただきたいものです。

…っと、ちょっとお酒の話に逸れてしまいました。
閑話休題っと。
ここで紹介した記事のように、
一方で、クールに自分のしたいこと、
過ごしたいライフスタイルが分かっていて、
そういうバカ騒ぎからは、一線を画すという人が
最近、目立って増えてつつあるのは、
わたしも感じるところでした。

ちょうど、同じ号のAERAに、
まじめの復権という記事も書いてありました。
誰かに言われたことをただ全うすることに、
従順に従うといったような、
旧世代のまじめさに対するアンチテーゼとして、
それまでのモラルを否定すべく出現した
「アンチまじめ」が、「新しいまじめ」の台頭で、
ぐらついているそうです。

自ら命を絶った少女が書き残した言葉が、
紹介されていますが、
「まじめであることに対する苦しみ」や、
「やさしい人ほど、生きにくい世の中」というのは、
「アンチまじめ」と「新しいまじめ」の
拮抗状態で生まれる一時的な緊張状態、
であることを願わずに入られません。

わたしとしては、無理なく相手のライススタイル
と調和していける「新しいまじめ」の価値観が、
新たな時代の価値観として
確立してくれたら、ずいぶんよい世の中になる気がします。

先ほどのお酒に関することでも、
基本にある価値観は、
好きな酒を、好きなときに、好きな量だけ、
ということです。

でもこれは人によって、好きな酒は違うわけですし、
どんなシチュエーションで飲みたいか、
などは各々違うわけで、それらを尊重しよう、
ということです。

とにかく騒ぐことによって、
連帯感を保ってきた人にとって、
それは「人間関係の希薄化」として
映るのかもしれません。

しかし、ここであげられている人たちが、
他人との連帯感を持っていないわけではなく、
人間関係の作り方が、非常に多様で個性的である、
ということに過ぎないのです。

むしろわたしには、他人への干渉レベルを
うまくコントロールしながらも、
連帯感を感じていられるというのは、
人間そのものに対する深い信頼
が裏打ちされているように、わたしは思います。

今、経済にせよ、社会にせよ、
混迷の時代といわれています。
かつて支えてきた価値観が、もはや時代にそぐわない、
として見放される一方、新しい価値観の確立が
いまだにできない、などというのも、
よく聞く話です。

しかし、自分のスタイルというものが見えている、
人たちがどんどんと増えるにしたがって、
新しい時代の価値観というものが、
ゆっくりではあるにせよ、確立されて
きているのではないかと思うのですけれどね。

2002-1-24


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