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2002年は仮説力を磨くべし


もう2001年も終わろうとしていますが、
今年は、社会人1年目ということで、
ページの更新の頻度が、
ぐっと少なくなってしまいました。

わたしがこんなにインターネットの世界に
深くかかわるきっかけになった
「メーリングリスト」のほうにも、
なかなか参加しにくい状況です。

世の中には、仕事で忙しいという人が、
山ほどいるのでしょうけど、
わたしも、ホント忙しいなぁという
というときが結構ありまして、
新聞なども、満足に読めないときがあります。

新聞を読まない人が増えていると聞きますが、
新聞なんて読まなくていいよね〜
と思っているわけではなく、
社会人になって新聞を読むリズムをつくるのが、
難しいんだな、と思ったりしまして。

なので、逆に実家に帰ったときのほうが、
新聞を読む時間がありまして、、
久しぶりに隅のほうまで読んだんですが、
そこで、少々気になる記事を発見しました。

その、インタビューの専門家の書いた、
インタビューについて軽めのコラムによれば、
なんでも「仮説力」というものが
インタビュアーには必須の能力ではないか、
というものです。

この人はこういう考え方をしているのではないか、
こういう価値観を持っているのではないか
ということを話の中で、検討をつけつつ、
インタビューを投げることができることを
「仮説力」と名づけているようです。

この実践の中で検討をつけつつ、
行動に移すというのは、インタビューという仕事に限らず、
かなり重要なことだと思っていましたが、
最近ちょっと忘れていて、
はっ、と思い出させてくれた記事でした。

わたしは、ストレートに大学に
入学した人と比べると、
2回多く大学受験をしているのですが、
振り返ってみれば、受験勉強をうまくこなす人は、
質問をみつけるのが上手な人でした。
自分が何を分かっていないか、
を分かっている人ですね。

また、中高年の方がパソコンが苦手だということで、
パソコン教室に通ったり、
本を買って勉強したりされることを
よく耳にしますが、その場合であっても、
質問をよくする人ほど、上達が早いようです。

質問をすることと質問をされること。
一見質問される、つまり答えるほうが難しい
と思いがちかもしれませんが、
必ずしもそうだとは、いえないような気がします。

前に書いたことですが、
難しいことをいかにやさしく説明するか、
ということは確かに「かしこい」という要素
だと思いますし、なかなかたやすく
できることではありません。

しかし、向上心があるのに、
どう質問していいのか、
ちょっと大げさに言うと、
どう成長していいのかということが
頭に描けないときというのは、
本人にとっては、つらいことです。
この状況を打開するっていうのは、
また違った難しさがあります。

その、質問ができるというのは、
この記事の執筆者が書かれていた、
仮説力なんでしょう。
もっと一般的なことばでは、想像力などと
いうのでしょうが、この場面では、
仮説力というほうが、
文脈に即しているような気がします。

仮説が立てられるというのは、
先の見通しがついているということであり、
たとえ、間違っていたとしても、
後の肥やしになる、というか
成功の元になりうる失敗のようなものでしょう。

イギリスの首相であったチャーチルは、

成功とは、情熱を持って次々と失敗することに他ならない。

という名言を残しましたが、
情熱の裏にこういう風になりたい、したい
という譲れない遠い遠い目標があって、
それを何度も失敗しながら、明確にしていくなかで、
成功に結びつくのかもしれません。

日々の仕事には、確かにわたしが就職する前には、
想いの及ばなかったような、
いろいろなことがありました。

一つ一つの仕事をこなしているなかで、
わたしが、当初持っていた感情を、
いつの間に忘れかけ知らず知らずに、
枠に収まりかける自分に気づくこともありました。

その一方で、わずかではあるものの、
経験を基にした考え方や業界の動向のつかみ方、
それに、当初の目標がより明確になったことなど、
得たものも、また大きいものがあります。

受験勉強では(特に数学では)、
練習問題を何度も何度も解くことが、
合格の近道ですが、合格したいという気持ちがなければ、
その行為は単なる作業にしかなりません。

また逆に、どれだけ合格したいと想っても、
何度も練習を繰り返すなかで、仮説力をつける、
つまり「どう質問していいのか」を見つける
ために問題を解かねばならないのも事実です。

そう考えると、理論と実践があったとき、
自分がまず手をつけるべきは、
実践なんだろう、と考え方が少し変わってきた
自分に気がつくことがあります。

わたしは、理論的な方向性が好きで、
こうしたい、あるべきだという想いのようなものは、
いつも持ち合わせているつもりでおります。
なので、何事も考えてから、
行動に移すことの多いんですよね。

でも、一度何も考えずにやってみて、
そこで何を考えていかねばならないのか、
どんな将来を描くのか、という
「仮説力」を磨くということも、
必要なことなのかもしれません。

当初、大学院に進学しようと思っていたのを、
急遽変更して、一般企業に就職したのも、
今まで得意な志向であった理論的な考え方は、
自分にできることとして、
(ま、それでも相対的なもので
実際にはたいしたことはないのかもしれませんが)
いわゆる「実践」という、自分が得意とするところ以外でも、
何かしてみたいという気持ちが出てきたからか、
と後になって見れば、思いますね。

もちろん、今の仕事はわたしが興味を持ったこと
でありますし、「好きなことだから」、
という理由で、がんばれる仕事ではあります。
しかし、「こういうことがしたい」と
単に思ったのではなくて、「実践」ということも
考えなくてはいけない、といったことが、
就職へ決断させた要因になったような気がします。

そう考え始めたのが、ちょうど1年前のことです。
そして21世紀を迎えて、就職活動を始めたんですよね。
そうか、あれからもう1年か。
そうこの1年を振り返りつつ。

今年は、21世紀の最初の年ですが、
なにかと波乱の大きな年でもありました。
2002年は、心から明るく楽しくいられる、
そんな年でありますように。
皆様も、よい年をお迎えくださいませ。

2001-12-30


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