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買物客の賑わいは、人となりの賑わい


久しぶりの更新です。
以前は、もっと楽に更新できたのですが、
昨今はどうも、そっちのほうまで気持ちが回らず、
ほったらかしになっております。

ひょっとしたら、これが今年最後の更新になるのでは、
と思ってしまいますが、
できるだけがんばって、もう一本は、
何か書こうと思います。

最近、少しは仕事に慣れたか、
という感じでおりますが、まだ1年経たない今でも、
あぁ、これは大事なことだ、
いつも心に留めとかなくては、
と思うことがいくつもあります。

その中のひとつが、しなければならないことに
優先順位をつけること。
「プライオリティ」なんてカッコつけていう人もいますが、
言葉尻が重要ではなく、その中身の意義をどれだけ、
明確にしているか、のほうがずっと大切でしょう。

なぜ、優先順位が必要なのか。
それは、何か行動を起こすことできる
時間、労力、資金が限られているから、です。

もし、複数のタスクがあったとしても、
無限の時間と無限の資金と無限のやる気があれば、
できないことは、ないといってもいいのではないでしょうか。

だから、先にしなければいけないこと、
あるいは、先にしたいことを決めて、
要領よく動かないといけないわけです。

ここで、わたしが気づいたのは、
ひょっとすると、何か制約される条件がないと、
つまり、優先順位をつける場面に遭遇しないと、
人間は、価値観というものをもてないのではないか、
ということでした。

さきほどの、無限の世界では、
どれを先にやっても同じであれば、
どれを先にやりたい、という感覚は
意味をなさなくなるように、思えるのです。

以前から(ひょっとすると最近も)、
価値観の多様化、個性化ということが、
時代を表すキーワードとして、
取り上げられることが多いと思います。

また、経済に関係したところでは、
消費者がどのような消費傾向を示しているのか、
ますますつかみにくくて、困ったぞ、
という話になることもよくあります。

そんなわけで、これを多様化したのではなく、
価値観というもの自体が崩れてしまった、
崩壊してしまったのだ、と見る人さえいました。

しかし、わたしはそうではなく、
人々が本当に、優先順位をつけるということが、
どういうことであるかを無意識的であれ、
考えている結果ではないか、と思うのです。

社会の環境がそうさせるのか、
そこまでは分かりませんが、
優先順位を考えなくてはならない、
という局面、大げさに言えば、時代に
来ているのかもしれません。

プライベートな場面での優先順位について、
ちょっと考えをめぐらせば、
休みの日にやりたいことのリストは、
すぐに思い浮かぶのではないでしょうか。

そのリストは、まさしくほかのさまざまな可能性を捨てて、
自分の中で高い優先順位を勝ち得た事柄であり、
それらが優先順位が高い、と判断する
その基準こそが、その人の価値観であり、
人となりであり、かけがえのないそのひとが
存在する何よりの証拠なんだ、と思ったわけで。

どうなんだろう、こういうことは当たり前なのか。
わざわざ考えないと、こんなことに気づかないのは、
間抜けなことかもしれませんけど。

さまざまな条件に制約されて、
そのなかで優先順位をつけたとき、
そこには、価値観がある。
これが、一番端的に現れるのは、
お金の使い方はないでしょうか。

前もこれに関する話題で
書いたような気もするのですが、
世の中では、どのようにお金を得るか
という方法については、
よく話題になります。

どれだけのお金を稼ぐことができるのか、
という視点もあれば、
いかにやりがいのあるしごとができるか、
また、どれだけ自分の好きなことが活かせるか、
という視点もあるでしょうし、
人間関係が円滑な場にいたい、
というのもあるでしょう。

しかし、どのようにお金を使うかということほど、
その人の価値観、人となりを
さらけ出してしまうものはないのではないか、
と思ってしまいます。

いかにお金を稼ぐか、ということは、
究極的に収入を得る、という側面を切り離して
考えることはできません。

しかも、たとえ好きなことを仕事にしたとしても、
好きなことを仕事にするには、
その背後で、何倍もしたくないことを
しなくてはならないように世の中はできているようで、

あれはヤダ、これならする

というようなことは言えません。

しかし、会社に勤務しようが、
自営業で収入を得ようが、
基本的に得た収入の使い道に関して、
誰も文句を言うことはできないはずです。

もちろん、結婚している場合は別ですけどね。
カミサンに家計を握られている場合も多いでしょうし、
子供に使うお金なんて、莫大なものなんで。
ですからその場合は、お小遣いと考えましょう。

こうして、使い道に関しては、
制約のないお金には、もちろんのことながら、
量的な制約があります。
何に使ってもいい、でも使えるお金は決まっている。

さぁ、どうする?

まさに、その人の価値観が現れるときです。
また、何を買うかというだけではなく、
どんな買い方をするか、
ということも価値観のひとつかもしれません。

いい加減な買い方、きっちりした買い方、
商品のどんな点を重視するか、
どんなことを考えながら買い物をするか
などなど、価値観の現れるところはいっぱいあります。

わたしは、こういうようになりたい
というのがありますから、
大きな買い物をするときはいつも、
こんなことを考えています。

たとえば、最近モバイル用のパソコンを買ったのも、
このコラムを書くこと、そしてそれを読んでもらうことが
わたしの中で優先順位が高かったから、
なんですよね。

外出しても、帰省しても、旅行しても、
何かを書きたい。
実際に文章にならなくても、
書きたいという気持ちは、いつもありますから。

まぁ、これはうまく説明のつく場合ですが、
お昼時に、ついつい値段の高いメニューを頼んでしまう
自分に気づいたときなど、
自分のいい加減な習性に気づくことも
少なくなかったりするんですが…

2001-12-17


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