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ミームに想いを馳せる秋の夜長


最近、ちょっとパソコンのことばかり
書いてるような気がするので、
ちょっと毛色の違う話題を。

突然ですが、ミームというものをご存知でしょうか?
ベンチャー企業や、ネット上のコミュニティの名前にも
取り入られているこのミームというもの、
これは、文化の遺伝子のことを指しています。

少し前、資生堂が展覧会か何かのときに、
この「ミーム」という言葉を使ったので、
一般化するのかな、と思いましたが、
意外としぼんでしまいました。

そんな言葉だけに、何じゃそりゃ?
というのが、おおよその反応でしょう。
ポイントは、生命の誕生から人間への進化の過程を、
遺伝子の動きをもとに理解してきたやりかたを、
文化の動きにも応用できないかな、ということなんです。

それで、生物界で進化の基本単位となる
遺伝子にあたるものを、人間の文化において、
考えられたのがミームというモノです。

ただし、両者に根本的な関係があるのではなく、
どちらかがもう片方を支配する関係にあったり、
というのではなくって、同じような方法を使って、
分析をできるのではないか、というのが基本スタンスです。

英語ならば、gene(遺伝子、ジーン)とmeme(ミーム)と、
結構発音が似ているので、連想が利くのですが、
日本語ではちょっとイマイチですね。
同じような連想が働くように、
知伝子とか、何とかいう言い方もありますが、
あまり使う人はいないようです。

で、どうしてこんなことを知っているのかと言うと、
すべてのはじまりは、大学受験のときに、
生物を選択して、「遺伝」の分野が得意だったこと。

もともと、生き物関係はあまり得意な方ではなくて、
小さいときに昆虫採集に熱中したタイプでは、
全くないのですが、これをきっかけに、
生物に興味を持って、自分でいろいろ本を読みました。

その中に、イギリスの生物学者リチャード・ドーキンス博士
の「利己的な遺伝子」という本を読んで、
このミームという言葉を知りました。
ドーキンス博士の本は、分厚くてかなりのボリュームですが、
分かりやすくて、科学ってこんなに面白いんだよ、
ということを伝えたい気持ちが現われています。

まだまだ、この試みが大きな成果を
挙げるには至っていませんが、
いずれ、大きな注目を集めるのではないかと、
個人的には思っています。
海外では本格的な取り組みがあるみたいで、
英語のページで「meme」を検索すると、
かなりのページがヒットしますよ。

で、これを身近なところで考えてみれば、
誰かから聞いた話や、本やインターネットで得た
知識を基本にして、何かミームという形で情報を発信する、
ということになります。

ミームの考え方によると、
わたしたち人間は、考え方や技術や文化や、
そんなもののカタマリのように、考えられます。
そして、他から新たなミームを吸収して、
元々あったミームと融合させ、新たなミームを発信する、
そんなイメージです。

先ほど、ベンチャー企業やネットコミュニティの名前に
取り入れられることもあると言いましたけれど、
たぶんインターネットというものが
ミームのこのような考え方にマッチしているからでしょう。

よくよく考えてみれば、わたしたち人間は、
このようなミームをいかに取り入れていくか、
ということで、精神的な成長を遂げていきます。
親から、友人から、先生から、先輩から…
いろいろと吸収していける環境を広げながら、
いろんな経験をし、人格ができていきます。

その中でも、親の存在は重要でしょう。
それを受け入れる形であれ、反抗する形であれ、
その人の考え方の核を、形成するわけで。

最近、自分の考え方のひょんなところに、
両親の考え方を見いだすことがあります。
まぁ、どこの家庭でもそうかもしれませんが、
反発したり、喧嘩したりすることはありますよね。

でも、やっぱりそうはいうものの、
自分の勝負するとこって、これやないか、
みたいな、そういうものをもたんとあかん、
というのは、自然と受け入れていたり。

何かを自分ひとりで生み出すことは、たぶん無理です。
自分で生み出したつもりでも、
それは誰かが、それもまた別の誰かの考えたことを
ヒントにして生み出したものを、
またまたヒントにして、生み出したものなんですよね。

先ほどのミームが説得力があるのは、
こういうことなんですよね。
ある考え方が「突然変異」を起こして、
別の考え方とともに、何かの影響力を「発現」する
といたようなことは、
すごく遺伝子の動きと似ているのが分かります。

親子の関係に限って考えてみれば、
親子というと、血のつながり、
つまり、遺伝子のつながりをイメージしますよね?
本当はそうじゃないんじゃないか、
という気がしているんです。

たとえ、血がつながっていても、
その経験なり、知恵を何も吸収せずに
独立してしまって、家庭を持ってしまったとすれば、
それって、親子なのかなぁと
疑問に思います。

わたしの先祖は、薩摩の武士ですが、
わたしの祖父は、その薩摩から関西に出てきて、
自分の力で独立しましたし、
わたしの父も、そういう独立自尊の精神というか、
ベンチャースピリッツの持ち主です。

母は、少し違いますが、
それでも、わたしが東京に行く際に、
他人から、息子さんが東京に行ってしまって、
寂しいでしょとよく言われたそうです。

しかし、自分のやりたいようにやればいいし、
自分の可能性を試すためなら、
どこへでも行って、存分にやってくるがいい、
と言ってくれています。

自分の所有物のようにしか
子供を見ることができない親が、
最近目立つ中で、ホントにありがたいことだ、
と感謝していますが。

たぶん、親子3代それぞれが、時代の制約があって、
考え方の違いとかがあって、
ジェネレーション・ギャップがあるのでしょうが、
それは、ミームの伝わってくる道が、
他でもない親からだけではないからです。
自分で見聞きしたこと、テレビや本、インターネット、
情報源なんて、いくらでもあって、
かえって多くて困るくらいで。

でも、その中に家族から受けたミームの存在は
やっぱりあって、こうして独りでいると、
それをいろんなところで自分の中に見出しますし、
いつもいないだけに、逆に敏感になります。

わたしはいつも、疲れていても
眠くても、落ち込んでいても
胸をはって歩くように心がけています。

そうすれば、自分がやりたいこととか、
楽しいと思うことを伝えたい、
という気持ちを思い出せるから。

いつも心の中に、誇りと寛容さと自律の精神を。
そういうミームを受ける環境にあったことを感謝しつつ、
また、明日からかんばりましょか。

2001-9-24


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