新人というものは、かくも無力なものなのか。
条件がある中でアイディアを出すことが
かくも難しいことなのか…そんなことに、毎日押しつぶされていると、
頭の回りが悪くなるんだろうな、
ということを実感しました。仕事をしているということは、
バリバリ頭を働かせているようですけれど、
実は自分の中にある思考回路の、
同じ部分しか動いていないような気がします。
いわゆる、仕事人間と呼ばれる人たちのほうが、
健忘症にかかりやすい、という話もありますしね。本を読んだり、ゲームしたり、
どこかに出かけてみたり、などということが
できればよかったんですが、
本も、時間と気力がなくて
読んでなくて、新しいCDも買ってない。
FF10はまだだし、という状況で。
(今なら、FF10はありますけど)しかし、とある日の会社帰りに、
わたしとしては、めっちゃすごいっ!
と思えるようなできごとがありましてね。というのは、タンクローリーとか
連結している大型車ってありますよね。
あれで、狭い工事現場みたいなところへ、
バックで入るところを目撃したんですよ。道をほとんど占有するもんですから、
歩行者・車・自転車がすべて、立ち往生。
その間、しばらく入って行く様子を見ていました。全くのペーパードライバーなわたしは、
車庫入れなんて、もう絶対したくない、
と思っているんですけど、
そんな車庫要れなんてバカみたい。
あれは凄まじくテクニックが必要でしょうね。だって、単に長いだけじゃなくって、
途中でクルリン、っと動くんですよ?
短くてくっついている乗用車でも、
全然距離感がつかめないのに。冷静に見れば、単に技術があって、
経験も豊富、ということかもしれないですけど、
めったに見ることのできない芸を見たようで、
やたらと興奮してまして。
それでそのあと、ふといい驚き方をしたなぁ、
という感じがしました。それは、最近の新商品のニュースや
ニュース番組で流れてくるニュースよりも、
自分の中では、インパクトの強いものでした。
ですが、最近はこういう些細なことで、
ワクワクしたり、おっと思ったりすることが、
少なくなったかもしれませんね。いや、新しいことができるようになったよ、
というタイプのことにばかり、目を向けていて、
そのくせ、そういうニュースに倦怠感を
感じている、といったほうがいいでしょうか。つまり、もうこれこれができます、便利です、
というメッセージが多すぎて、
情報の重荷に耐え切れなかったり、
便利か便利でないかということに飽きたりして、
もうどうでもいいや、と思ってしまいがちで。それよりはむしろ、さっきのタンクローリーの車庫入れのように
(この感覚は個人的なものでしょうけど)
ビックリするとか、面白そうとか、
そういうものを見聞きしたときの方が、
うまく表現できませんが、イイ驚きだな、
と思います。では、そういう商品とかサービスとか、
そういう類の話はいっさい聞きたくないんか、
と言うと、そういうわけでもなくて。商品やサービスに関することで、いいなぁと
最近よく思うのは、その仕事に携わっている人が、
本当にその商品やサービスのことが、好きで好きでたまらなくて、
自分が好きなだけじゃ飽き足らなくて、
誰かにも伝えたい、そういうメッセージが、
ウソ臭くなく伝わってくる、そういうモノです。ユニクロとか無印良品とか、
とかく価格破壊と商品コンセプトとか、
ビジネスの文脈でしか語られないようなところでも、
実は、こういうのっていいよね、
というあまりとげとげしくないポリシーみたいなのが、
根っこにあるような気がします。これはなにも、そういう名を挙げたところばかりではありません。
つい先日、ちょっとした用事で、
新川崎に行ったことがあるんですが、
そこに、マグロの専門店がありました。そこのマスターは、注文のとり方が下手だったり、
手際が悪かったりで、おいおい大丈夫かい、
という感じだったんですが、
マグロの話になると、お客にマグロの種類なんかを
本当に、うれしそうに語ってました。そのお客が、その話を聞いて
どう思ったかは知りませんけれど、
なんか、いいなぁと思わせる雰囲気になりました。上手く表現できませんが、
いかにも企業がやっているな、と思わせるような
雰囲気がありますよね。
別に、お金がかかっているかどうかとか、
見栄えがどうこうという問題じゃなく、
いかにも利益獲得の手段としてしか、
考えていないな、ということが伝わってきてしまうような。すべてがそうだ、とはいいませんが、
いかに収益をあげるかということが、
そのプロジェクトの中で、どういう位置にあるかということが
キーになると個人的には思っています。もし、それがすべてのアイデアのスタートとなっていたら、
それはやっぱり昔からの「便利」で、「使い勝手のよい」、
でも、だからどうした、というものしか
出てこないんじゃないでしょうかね。一方、制約条件になっていたら、
つまり、アイデアを出したり、煮詰めるときは、
もう自由にやっちゃって、
最後の最後で、でも利益がないと存続はできないよ、
という順序であったなら、アイデアの中に、
発案者の想いとか、譲れないものとか、
そういう「調理法」のほうが、アイデアという「おいしさ」は、
破壊されずに、商品やサービスといった「ごちそう」
の中に残るんじゃないでしょうか。ある人が、マーケティングというコトバを、
世の中からなくさなければならない、と言っていました。
どういう文脈で言っていたのかは、
少しはっきりしませんが、
それを消費者に、いかに買わせるかだということを、
マーケティングだと考えるなら、
そういうニオイのするものやサービスって、
使っているんだけど、どこかヤだなと思います。ビジネスに勝つためにはどうしたらいいか、
としかめっ面をしていたり、
勝てば官軍だと言わんばかりに、
勝ち誇る経営者を見るより、
自分の提供するサービスなり、商品なりを愛しく思い、
うれしそうな顔をして、説明している姿を見るほうが好きです。純粋に喜べるときって、どんなときだろう?
我を忘れて楽しい思いでいられるのは、どんなときだろう?それがカタチになって、
心地のよいオドロキを味わえる、
そういうことが、経済ニュースにもっと進出してきたら、
経済ニュースを見る人がもっと増えて、
あの人楽しそうに商品を語ったよね、
なんていう会話が、電車の中で聞こえてくる
世の中になるかもしれませんね。2001-8-5