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モノの流れとコトバの流れと


唐突ですが、お店に行って、
ご自分が買物しているシーンを想像して下さい。
店員さんは、あなたのことをどう呼んでいますか?

一番多いのが、「お客様」ではないでしょうか。
最近この言葉に、妙な違和感を覚えています。
たとえ、言葉だけで丁寧にされても、
たとえ、笑顔で対応されても、
ふとしたときに、その言葉にウソ臭さを
嗅ぎ取ってしまうことがありまして。

というのは、ちょっとした事情で、
ごく短期間ではありますが、
お客様、という言葉を発する立場に
立ったことがあったんですね。
そこでは、いかにも親切に
説明しているように見える人でも、
実は、高いものをいかに売りつけるか、
を考えているという事実を目の当たりにして、
そこで抱いた感情に、端を発して
こんな気持ちになったのかもしれません。

この違和感を例えて言うなら、
政治家の例が、一番いいでしょう。
大抵の国会議員は、なぜか先生と呼ばれています。
しかも、それで当然という雰囲気すらあります。
でも、そんな先生と呼ばれる議員と
先生と呼んでいる有権者との間に、
本当の信頼関係があるなんて、
わたしには、到底思えないんですけどね。

この政治家と有権者の間の奇妙な関係が、
売り手の過剰なへりくだりと、
買い手の無神経さということと重なってくる
ような気がしています。

売り手は、お客様といって相手を持ち上げる一方、
買い手は、それに乗っかり買うほうがエライんだ、
と勘違いしているという状態。
確かに売り手は、買い手にモノやサービスを
買ってもらわないと、やっていけないけど、
それは、買い手がエライかどうか
とは関係ないですよね。

このように頻繁に「さま」という言葉を
いうようになったのは、
いつのことなんでしょうね。

しかし、大阪では普通、時の権力者でも太閤さん、
神さま仏さまでも、えべっさんなどといったように、
「さま」という言葉は、そういう大きな店舗以外は、
あんまり使わないんですよ。
基本の敬称は「さん」。
もちろん「はん」なんていう人も中にはいますが、
それはコテコテの大阪人だけです。

関東の方では、そういうのが
あるのかないのか知りませんが、
なんでもかんでも「さん」をつけるんで、
それはおかしい、という人もいるようです。

でも、わたしは、この言語感覚に、安心感を抱きます。
それは、人間の醜い部分が出やすいタテの関係で
人間関係を捉えるのではなく、
双方の立場を等しく扱うヨコの関係として
捉えようとする意志が感じられるからなんです。

そういう言語感覚が普通の環境に長く親しんでいると、
「お客様」という言葉、というより
そういう買い手と売り手の関係を上下関係で捉えた時点で、
すでにユーザの方とは、距離があるような気がします。

かつては、「お客様は神様です」とかなんとか、
言われた時代もあったようですが、
しかしそれは、買い手の立場になることではなく、
買い手を「金のなる木」としてしか、
見ていなかったからではないでしょうかね。

だって、もしお客さんが神様なら、
お客さんの立場になって、
考えることなんてできないですから。
神様の考えることなんて、
人間の考えの及ばぬとことですもん。
それじゃ、最初からお客さんの立場になる気がないと
思われても仕方のないことで。

逆に、よくレジで店員さんにお金を渡すとき、
あるいは、店員さんからおつりを受け取るとき、
ものすごく素っ気ないしぐさの人がいますが、
それをみると、買い手のほうにも、

「オレは消費者=エライんだ」

という意識が垣間見えます。
こういうのを見ると、
やっぱりどこか勘違いしているぞ
と思わずにはいられないんですね。

接客なんて、その場限り
なんて考える人は別ですが、
同じ方と長いお付き合いをしよう
とするお店であれば、
馬鹿みたいにへりくだった
偽善的な人付き合いはしないはずです。

同じ対等な人間として、
敬意をもって話すでしょうし、
自分のもっている知識を活かして、
どうすれば、この人が楽しくなるようにしてやれるか、
そういう困った友人から
相談されているような感覚で、
話を聞くことがしようとするはず、
と思えてならないんですが。

今は不景気、どの店舗も企業も、
売上を伸ばそうと必死なんでしょう。
でも目的の売上を伸ばす、ということばかりを
追い求めても、人々はついてきません。
心のない笑顔や敬語に、うれしく思うほど
生活者は、バカじゃないですもんね。
モノやサービスだけ流してもダメ。
モノの流れとともに、生きたコトバの流れがないと、
結局、信頼を勝ち得ることはできないでしょう。

これからも、こういう機会があるかどうかは
分かりませんが、信頼とか、共感とか、
そんなところを大事にしたいですね。
なんとか、自分のもっている楽しさの火種を、
ユーザの方に移していけるように。

2001-7-17


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