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ことばは変わり、ひとも変わる


大阪の人間が、東京をはじめとする関東を嫌う場合、
その多くの場合、言葉の問題が
立ちはだかっていることが多々あります。

わたしが中学生の頃、
東京から転校してきたヤツがいましたが、
彼に、その言葉何とかならないか、
とよく言っていたことを思い出します。

今となっては彼には、
悪いことをしたなぁ、と思いますが、
それほど言葉というものは、
生活の送り心地ということと、
関係しているような気がします。

そんな「言葉にはちょっと敏感」なつもりの
わたしが、言葉の面で安心する場所があるんですよね。
確かに、まだこちらに来て、
1週間ちょっとほどしか経っていないのに、
そんなことを考えているのか、
と言われそうですけど。

実は、その場所とは、東京駅なんですね。
そう、東京駅。
関東地方以外の、どの地方から来るにしても、
必ず訪れる駅。
ここには、いろいろな言葉があります。
おそらく、国際的なハブ空港に、
さまざまな言語が飛び交っているように、
東北のことば、九州のことば、関西のことばなど、
いろいろな日本語に接することができます。

わたしは、大阪の人間ですから(しつこい)、
大阪の言葉が聞こえてくると、とても安心します。
話している人に、無条件で、
親近感が湧いたりね。

一方、違う地域の人でも、
地元の言葉を大切にしている人がいると、
すごくうれしくなります。
言葉は、自分のルーツのひとつですから。

よく、方言を矯正しようなんていう人がいますが、
わたしから言わせれば、そんなことは言語道断なことです。
少し語気が荒くなってしまいますが、
今までの自分のしてきたこと、
影響を受けたこと、そんなことの積み重ねが
今の自分をつくっているのに、
そうやすやすと変えたりするもんじゃないぞ、
と思うんでしてね。

要は、バイリンガル(?)に
なればいいんじゃないでしょうかね。
確かに標準語を覚えれば、ことばで困ることはなく、
一応、通じますからね。
でも、自分のを育ててきたことばを忘れない、と。

ずいぶん前の新聞で読んだことですが、
大阪弁の強みとして、
「進化する」ことが挙げられるそうです。
つまり、「ダメじゃん」というフレーズを吸収して、
「あかんやん」という新しい大阪弁が生まれるわけです。
「純粋な」大阪の言葉ですと、
おそらく「あかんがな」とでもなるところなんですが。
そうやって、大阪弁には進化し
新しく生まれ変わるチカラがあると、
その記事には書かれていました。

しかし、すべての言葉にそういうチカラがあるわけではなく、
例えば、「けったいな」や「おおきに」などには、
ひょっとするとないのかもしれません。
わたしは、「けったいな」ということばは、
よく使いますが、「おおきに」と言う機会は
あまりないんです、実際。

しかし、そういうことばの進化するチカラは、
大阪弁にしかないものだとは思いません。
やはり、わたしとしては、
どの地域のことばにも、そういうチカラが
あって欲しいと思うわけでして。

しかも、日本語自体がそういう異なることばを取り入れて、
進化することが得意なことばかもしれません。
貴族の世の中が終わり、武士の世に中になった鎌倉時代、
「やまとことば」に漢語が流入し、
新しい日本語の流れを作りました。

さらに、戦国時代から安土桃山時代にかけて、
スペインやポルトガルとの新しい関係ができると、
そのことばが少し、流入しました。
パン、カステラ、テンプラなんていうのが代表例ですね。

さらに時代が下ると、
明治時代、西洋との関係が強くなるにつれて、
オランダ語や英語、フランス語、ドイツ語など
さまざまな西洋のことばの影響を受けます。
複雑なものになると、societyやlibertyといった
日本語にできない西洋のことばを、
漢語を使って訳すということも試みられました。

と、ちょっと話がずれましたが、
要は、ことばは、他のことばと影響しあっていかないと、
同じところに留まってしまって、淀んでしまう、
ということです。

願わくば、先ほど書いた東京駅のように、
さまざまなことばが交じり合うところが増えて、
ことばの進化をダイナミズムを感じられる、
そんな活力があればな、と思います。

日常的に言葉の交流があれば、
ことばがイヤだからという理由で、
特定の地域が嫌いになったりしないでしょうしね。

こういうダイナミズムというのは、
ことばだけに大事だ、というのではないかもしれません。
変わらないということが、「変わらないものはない」
という真理だけという今日、
「ひと」としても、「変わる」ということをうまくプラスにして、
進化することができれば、それはすごく幸せかな、
なんて思ったり。

余談になりますが、文章を書くってことは、
そのときそのときの環境が、
よくにじみ出てきてしまうこと、
これを痛感しました。

2001-4-15(written 2001-4-12)


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