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欠乏を求める旅へ


わたしは、4月から千葉県船橋市に住んでいます。
大学生のときは、自宅から通っていたので、
一人暮らしは当然初めて。

研修で知らないことを学ぶのと同様、
日常生活でも、知らないことや
したことのないことが本当に多いんです。

料理や掃除は、したことがないわけではないんで、
そんなに不安はなかったんですが、
問題は、洗濯なんですね。
実家に住んでいると、接点のない家事。
それこそが洗濯です。

例えば、料理の場合、
両親が外出しているときなど、
レトルト食品やコンビニ、
あるいは外食で済ますこともできますが、
冷蔵庫から食材をひっぱり出し、
炒めたり、焼いたりはできます。
もちろん、味の方は保証できませんよ。
自分が口に入れる分には、問題がないというだけで。

が。
洗濯なんて縁があるはずもなく、
「せんたく」を「洗濯」と変換したのも今が
恐らくはじめてだと思います。
実家にいれば、自分の分だけ洗濯するなんて、
意味がありませんから。

とまぁ、グダグダしていても仕方がないので、
洗濯に取り掛かりました。
洗濯機と洗剤、それに洗濯物を前にして、
どうするか。水を入れなあかんな、ということで、
蛇口をひねっても変化なし。

じゃぁ、ということで、
別の場所をひねると、プシューっと
水が噴き出し、あたり一面水びたし。

後から、電源を入れて、
設定をすると自動的に水が流れてくることが判明。
全くバカ丸出し。

きちんと読んでおけば、分かったことなんですけど、
この洗濯機は、簡単に洗濯ができるらしく、
ボタンをポンッと押すだけで、洗濯物の量や質に応じて、
大抵の洗濯に適するように、
水量などを調節してくれるそうで。

おそらく初めて、パソコンを目の前にした人も、
やはり同じなんだろうな、とふと思いました。
自分だって、何も分からないことが
たくさんあったくせに、
そんなことはさっさと忘れてしまうもんなんですねぇ。

ま、そんなことはさておき、
洗濯機というものは、
人間がしなくても洗濯してくれるからこそ、
便利なものなんですけど、
なんか珍しくて、蓋の窓越しにずっと洗濯物を見ていました。
なんか、電車の先頭車両で、
運転席から線路を眺めているような気分。

すすぎなんかビックリ。
あーやってやっとんかと、しげしげと感心。
ボタンを押すだけで、後は全自動というのも
すごいけれど、洗濯をやっている姿もすごい、
と思うんですけどねぇ。
主婦業をやっている方にとっては、
お前はアホか、とツッコミが入りそうですが。

あと困るのが、買物です。
主婦業をこなしていないと、
食材とか、飲み物とか、雑貨とか、
生活にかかわる物の高い安いが全く分からないし、
スーパーに行き慣れていないので、
欲しい物の売り場がわからず、ウロウロしたり。

研修で戸惑うことはたくさんあるだろう、
と思ってはいましたが、
こんなふうに、一人暮らしにこうまで手間取るとは
思ってもいませんでした。

東京に来て、仕事をするとなれば、
こうなることは全く予想がつくことであるのに、
なぜ、この会社に入社したのか。

やりたいことができそうだ、ということがあって、
そういうことを手がけることができるようになっている、
という状態をイメージすることが、
とても楽しかったのは、事実ですし、
そういうやりたいことが芽生えてきて、
そのようなことができる可能性のある環境に
迎えられたことは幸運だったと思います。

でも、それは裏を返せば、やることを求めていた、
つまり、何かが足りないという気持ちをもち続けるために、
わざと、こういう環境へと向かったのかも
しれないという気がします。

パラサイトシングルという言葉が、世に出回ったとき、
かなり興味を持って本を読みましたし、
卒論のネタにしよう、とさえ思ったほどです。
そこで、やっぱり自律と自立をやれないような、
自分の生活すら、自分で組み立てられない人間が、
たとえ、仕事を通してであっても、
他人の生活に口出しするなんて厚かましい、
と思ったことを、よく覚えています。
あぁ、自分には自律と自立が欠乏してるな、と。

そう思った以上、そう思った自分を裏切ることはできない、
というような意地みたいなところがあって。
こういう気持ちは、パラサイトシングル
という言葉が出回ったときに、ふと思ったことではなくて、
大学生活を通して、徐々に感じてきたことでしたから、なおさらで。
せっかく3年間通して育んできたのに、って。

仕事をすること、生活をすること、どちらも初めてで、
今の自分には、足りないことだらけです。
自律や自立というものの欠乏を埋めるべく起こした行動が、
また、新たな生活や仕事の面での欠乏を生み出していく。

今回、関東に来たことは、そういう意味では、
欠乏を求める旅のようなものかなぁ、なんて思ったり。

物質的にだけでなく、社会環境の面でも
すごく幸運でありすぎて、
自分が関与して行く場の領域が、
もう見えてしまっていることは、
「意外と」辛いことです。

もちろん、欠乏だらけの環境も厳しい。
といっても、こういう状態を欠乏といっているあたり、
やっぱり考え方が甘いんだろうなぁ。

あぁ、カッコつけすぎ。
将来読むと、恥ずかしい文章の5本の指に入るな、これは。

2001-4-15(written in 2001-4-7)


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